堀田 正義(ほった まさよし、文化13年2月6日1816年3月4日[1] - 天保12年(1841年))は、近江宮川藩の第7代藩主。堀田家宗家9代。

美濃大垣藩主・戸田氏庸の三男。通称は仁四郎、初名は庸晴[1]。正室は堀田正民の娘。官位は従五位下、豊前守。

天保9年(1838年)4月28日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年10月11日、養父正民の死去により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・豊前守に叙任する。天保12年(1841年)8月3日、または9月27日に26歳で死去し、跡を養嗣子の正誠が継いだ。

系譜 編集

父母

正室

養子

脚注 編集

  1. ^ a b 大垣市史 上巻』p.533