堀田 頼康(ほった よりやす、万治元年(1658年) - 享保9年3月22日1724年4月17日))は、江戸時代柔術家。頼保あるいは頼庸と表記されることもある。通称佐五右衛門自諾。前名は平野頼建

前名を平野頼建といい、起倒流を吉村扶寿に学び、赤穂藩で200取の近習役として仕えていた。

藩主・浅野長矩切腹後、始めは仇討ちの義盟に参加していたが、大石家の金を盗んで京都に逃げ、堀田階康と名を変え、後に頼康と変えた。京都で道場を開き、自らの流儀を「起倒柔術雄雌妙術」と称した。後に大坂に移った。

享保9年(1724年)3月22日、大坂で死去した。享年67。

赤穂藩時代の弟子に大石良雄萱野重実間光興らがおり、大石と萱野には免許を授けたという。京都に逃げた後の弟子では滝野遊軒がいる。

参考文献 編集

  • 綿谷雪 『完本 日本武芸小伝』 国書刊行会 2011年
  • 綿谷雪・山田忠史 編 『増補大改訂 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部 1978年