堤家(つつみけ)は、藤原北家勧修寺流甘露寺家庶流にあたる公家華族だった家。公家としての家格は名家、華族としての家格は子爵[1]

堤家
家紋
竹に雀たけにすずめ
本姓 藤原北家勧修寺流甘露寺庶流
家祖 堤貞長
種別 公家名家
華族子爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
東京市世田谷区
凡例 / Category:日本の氏族

歴史 編集

江戸時代寛永8年(1631年)に正親町三条貞秀の子で甘露寺豊長の養子となっていた(一説には貞秀の子で甘露寺豊長の養子となっていた甘露寺時長あるいは甘露寺嗣長いずれかの子)貞長によって創設された。当初は「中川」と号していたが、2代目にあたる貞長の子・輝長の代の延宝6年(1678年)に家名を「堤」と改称した。堤代長広長は、正二位権中納言に昇進したが、原則的には参議極官であった。江戸時代の家禄蔵米30俵2人扶持。

明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると堤家も公家として華族に列した[2][3]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同8日に大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 1]として堤功長子爵に叙された[5]。功長と2代子爵雄長は貴族院の子爵議員に当選して務めた[6]

堤子爵家の邸宅は昭和前期に東京市世田谷区玉川尾山町にあった[6]

歴代当主 編集

  1. 堤貞長 (1615 - 1677)
  2. 堤業長 (1638 - 1642)
  3. 堤輝長 (1653 - 1691)
  4. 堤為任 (1685 - 1717)
  5. 堤為量 (1690 - 1754)
  6. 堤晴長 (1695 - 1749)
  7. 堤代長 (1716 - 1783)
  8. 堤栄長 (1735 - 1795)
  9. 堤敬長 (1755 - 1800)
  10. 堤広長 (1773 - 1848)
  11. 堤維長 (1793 - 1859)
  12. 堤言長 (1813 - 1827)
  13. 堤哲長 (1827 - 1869)

系図 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた。叙爵内規は歴代当主の中にこの大納言直任の例があるか否かで平堂上家を伯爵家か子爵家かに分けていた[4]

出典 編集

  1. ^ 小田部雄次 2006, p. 333.
  2. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  3. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  4. ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
  5. ^ 小田部雄次 2006, p. 329.
  6. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 205.
  7. ^ 町尻兼量の子とも。
  8. ^ 坊城俊清の子。
  9. ^ 甘露寺愛長の5男。

参考文献 編集

  • 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。 
  •  太田, 亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 小倉 オクラ」、上田萬年、三上参次監修 編『姓氏家系大辞典』 第1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、914頁。 NCID BN05000207OCLC 673726070全国書誌番号:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130845/531 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366 
  • 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342 

関連項目 編集