塀内久雄

日本の元プロ野球選手

塀内 久雄(へいうち ひさお、1981年7月7日 - )は、愛媛県西予市出身の元プロ野球選手内野手)、コーチ[1]。右投左打。

塀内 久雄
2011年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県西予市
生年月日 (1981-07-07) 1981年7月7日(42歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1999年 ドラフト4位
初出場 2002年4月7日
最終出場 2013年9月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴 編集

 
2010年

愛媛県立三瓶高校時代は「四国のバース」の異名を持っていた。1999年夏は愛媛県大会1回戦で敗退する。高校通算30本塁打1999年ドラフト4位で千葉ロッテマリーンズに指名され入団した。

ロッテ時代 編集

2001年、顎骨・右足首の骨折により、一軍の試合には出られなかった。

2002年小坂誠の故障により出場機会が増加。4月8日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、クリス・シールバックから史上43人目のプロ初打席初本塁打を放った。しかし4月26日に右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い、手術を受けた。

2004年、2年間のリハビリを経て再び一軍に昇格した。

2005年は3年ぶりの安打を放った。二軍では打率.328、8本塁打、6盗塁と活躍を見せた。阪神タイガースとの日本シリーズでは第2戦に2番二塁手で初出場。アジアシリーズでは怪我で欠場の堀幸一、小坂誠らの代役として全試合先発出場したが無安打に終わった。

2006年、初めて開幕一軍に登録された。シーズン序盤以降は準レギュラーとして出場試合が増えたものの、打率は2割を少し超える程度と低迷し、レギュラー獲得はならなかった。二軍では打率.305、6本塁打。

2007年、1月27日に元モデル渡辺奈緒美との婚姻届を提出。シーズンでは西岡剛の怪我もあり、自己最多の出場機会を得たものの、打率が2割を切る不振に加え、送りバントの失敗や守備での失策も連発。さらに終盤はオーティズの途中加入により出場機会が激減した。主に代打・内野の守備要員として初めてシーズン通して一軍に残った。二塁手47試合、遊撃手21試合、三塁手19試合とさまざまなポジションを守り、二塁と遊撃はチーム2位の出場試合数だった。

2008年、2年ぶりの本塁打を記録したが、根元俊一田中雅彦の台頭により40試合の出場にとどまり、打率も.153と下げた。また、8月12日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では、6回表にサブローの適時二塁打で、三塁走者としてホームインする際に、折れたバットが頭を直撃して怪我を負い、担架で運ばれ16針縫った。また、秋季キャンプ中の11月7日には外野でキャッチボールをしている最中に打球が頭を直撃し頭蓋骨骨折している。

2009年、6月18日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、10回表に林昌勇から膝に死球を受け、担架で運ばれた。8月以降打撃の調子をあげ規定不足ながら入団初の打率3割をマーク。本塁打、打点もキャリアハイの成績を残した。反面、左投手からは無安打に終わった。金泰均が入団したことで[2]、背番号が16に変更となっている[3]

2010年、は51試合に出場するも、内野のレギュラーが固定された上にいずれの選手も好調だっためスタメンの機会に恵まれず、主に一塁の守備固めや代走での出場に留まった。中日ドラゴンズとの日本シリーズでは第7戦では守備固めで途中出場し、その後の打席で日本シリーズでの自身初安打を記録。シーズンオフ、背番号が23へ変更[4]

2011年も開幕から前年同様代走や一塁の守備固めなどで出場。その後は荻野貴司の離脱により2年ぶりに遊撃手としての先発出場もあったがスタメン定着には至らず、7月には出場選手登録を抹消された。9月に1軍復帰も、目立った活躍なくシーズンを終えた。

2012年、例年同様代走や一塁の守備固めなどで出場していたが、夏以降出場機会が減少し、8月に出場選手登録を抹消された。10月6日に地元愛媛で開催されたファーム日本選手権では7番・一塁手で出場し、2安打2打点の活躍で勝利に貢献、最優秀選手に選出された。

2013年は、8月に根元俊一の負傷に伴い昇格。根元が守っていた二塁手のほか、今江敏晃の欠場時には三塁手も務めた。また、例年同様代走や一塁手の守備固めとして出場したが、3年連続で打率1割台に終わった。

2014年は開幕から一度も一軍に昇格することなく、10月5日に球団から戦力外通告を受けた[5]。12月2日、自由契約公示された[6]

引退後 編集

2015年からはマリーンズ・ベースボール・アカデミー(MBA)のコーチを務めている[7]NPB12球団ジュニアトーナメント2018から2020年までは同アカデミーのマリーンズジュニアチーム監督を兼務した[8](後任は小林宏之)。

選手としての特徴 編集

内野ならどこでも守れるユーティリティープレイヤー[9]。意外なパンチ力があり、ストレート系を積極的にスイングする打撃スタイルだが、三振が多くムラがある[10][9]

信じられないようなアクシデントやプレーに何度も関わることから、一部で「暗黒神」や「暗黒王子」などと呼ばれた[11][12]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2002 ロッテ 17 31 26 2 3 0 0 1 6 4 0 2 3 0 2 1 0 9 0 .115 .179 .231 .409
2004 3 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2005 15 20 19 2 4 2 0 0 6 1 0 1 1 0 0 0 0 7 0 .211 .211 .316 .526
2006 49 115 102 12 21 6 0 2 33 8 1 0 4 0 7 0 2 33 0 .206 .270 .324 .594
2007 88 146 134 17 25 11 1 0 38 7 2 0 5 1 6 0 0 41 2 .187 .220 .284 .503
2008 40 66 59 8 9 1 0 2 16 2 0 0 5 0 2 0 0 18 1 .153 .180 .271 .452
2009 54 108 96 17 29 4 0 4 45 10 0 0 2 0 8 0 2 31 2 .302 .368 .469 .837
2010 51 28 22 6 4 0 0 0 4 2 0 0 5 0 1 0 0 8 0 .182 .217 .182 .399
2011 35 50 45 4 8 2 0 0 10 2 0 0 3 0 2 0 0 11 0 .178 .213 .222 .435
2012 61 20 17 1 2 0 1 0 4 2 0 1 2 0 0 0 1 4 0 .118 .167 .235 .402
2013 36 36 32 4 6 2 0 0 8 2 0 0 2 0 2 0 0 9 1 .188 .235 .250 .485
通算:11年 449 626 558 73 111 28 2 9 170 40 3 4 32 1 30 1 5 173 6 .199 .246 .305 .551

年度別守備成績 編集


一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2002 - 1 4 3 0 0 1.000 2 1 0 1 0 .500 12 10 25 2 2 .946
2004 - - - 3 4 6 0 1 1.000
2005 - 4 3 1 0 1 1.000 3 2 1 0 0 1.000 1 0 0 0 0 .---
2006 - 34 53 75 3 16 .977 3 1 2 0 0 1.000 13 14 16 1 4 .946
2007 - 47 41 65 2 14 .981 19 11 24 0 2 1.000 21 19 31 2 7 .962
2008 2 4 0 0 0 1.000 18 19 32 0 7 1.000 8 2 1 1 0 .750 14 8 24 1 5 .970
2009 2 1 0 0 0 1.000 15 31 40 2 8 .973 22 5 28 3 4 .917 11 5 13 0 0 1.000
2010 34 44 7 0 4 1.000 - 3 2 0 0 0 1.000 -
2011 13 17 1 0 1 1.000 - 8 4 8 1 0 .923 11 10 21 0 1 1.000
2012 52 71 6 0 4 1.000 2 1 0 0 0 1.000 1 0 1 0 0 1.000 2 1 3 0 1 1.000
2013 13 17 1 1 2 .947 20 22 25 2 2 .959 2 2 1 1 0 .750 -
通算 116 154 15 1 11 .994 141 174 241 9 48 .979 71 30 66 7 6 .932 88 71 139 6 21 .972

記録 編集

背番号 編集

  • 52 (2000年 - 2009年)
  • 16 (2010年)
  • 23 (2011年 - 2014年)

登場曲 編集

脚注 編集

  1. ^ コーチ紹介|千葉ロッテマリーンズ”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト. 2022年6月7日閲覧。
  2. ^ 金 泰均選手入団会見のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2009年11月16日
  3. ^ 背番号変更のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2009年11月16日
  4. ^ 塀内選手背番号変更のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2010年12月28日
  5. ^ 来季契約について - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト2014年10月5日
  6. ^ 2014年度 自由契約選手 - 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
  7. ^ 最新メディア出演・掲載情報 - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2015年1月11日
  8. ^ ロッテ マリーンズジュニア監督に塀内久雄氏「楽しみながら練習を」 | 北海道日本ハム | Baseball Gate - Baseball Gate 2018年10月23日
  9. ^ a b 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、124頁。ISBN 978-4-331-51519-8 
  10. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』白夜書房、2007年、53頁。ISBN 978-4-86191-246-7 
  11. ^ 鈴木長月『千葉ロッテマリーンズあるある』TOブックス、2014年、54頁。ISBN 978-4-86472-251-3 
  12. ^ “知る人ぞ知る“暗黒王子”と呼ばれたロッテのアノ選手が引退を表明!!”. ガジェット通信. (2014年11月11日). https://getnews.jp/archives/698306 2018年12月26日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集