塚原直也

日本の体操競技元選手、指導者

塚原 直也(つかはら なおや、1977年6月25日 - )は、男子体操競技の元選手指導者

塚原 直也
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-06-25) 1977年6月25日(47歳)
生誕地 日本の旗 日本 東京都
身長 166cm [1]
体重 63kg [1]
種目 体操競技
所属 朝日生命体操クラブ
元コーチ ニコライ・アンドリアノフ
獲得メダル
日本の旗 日本
オリンピック
2004 アテネ 団体総合
世界体操競技選手権
1999 天津 個人総合
1999 天津 平行棒
1997 ローザンヌ 個人総合
1997 ローザンヌ 平行棒
2003 アナハイム 団体総合
2006 オーフス 団体総合
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略歴

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父親は月面宙返りを編み出したメキシコオリンピックミュンヘンオリンピックおよびモントリオールオリンピック金メダリストの塚原光男。母親の千恵子(旧姓:小田)もメキシコオリンピックの体操女子代表選手。このような環境にあったが、体操開始年齢は11歳と遅めである。

朝日生命体操クラブにて11歳から体操を始め、明星学園小学校明大中野高校明治大学卒業。朝日生命所属。インターハイ2連覇、NHK杯3連覇、全日本選手権5連覇(1996-2000年、当時の歴代最多タイ記録)と長きにわたって日本のトップに君臨。1999年(平成11年)には世界選手権個人総合2位に輝く。高校時代より父・光男の現役時代の好敵手だったニコライ・アンドリアノフの指導を受ける。

オリンピックは3大会連続出場し、日本体操の低迷期を支え続けた。ついに2004年(平成16年)、アテネオリンピック団体総合にて金メダルを獲得した。なお、日本のオリンピック史上初の親子金メダリストである。

2008年5月のNHK杯では8位に入賞するが、北京オリンピックの代表には選出されなかった。その後も現役を続行する一方、父・光男が校長を務める「塚原体操センター」で技術アドバイザーを務め、後進の指導にも当たる。2009年よりオーストラリアに体操留学をし、オーストラリア国籍取得を前提に、ロンドンオリンピックへの出場を目指していたが[2][3]、国籍取得手続きが間に合わず2012年1月開催の五輪最終予選の代表を外れた。2012年6月の国籍変更の手続き完了予定の間も、オーストラリアの代表選手として国際大会出場を目指し[4]、翌年2013年4月にオーストラリア国籍取得した[5]

リオデジャネイロオリンピック出場を目指していたが、2016年2月のオーストラリア代表選考会で3位に終わり五輪出場はならなかった[6]。2016年3月をもって現役を引退した[7]

引退後に日本国籍を再取得した[8]

年譜

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日本のテレビ番組出演(個人)

脚注

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  1. ^ a b 公式サイト、プロフィールより
  2. ^ 塚原選手、豪からロンドン五輪へ 国籍取得前提に”. 共同通信 (2011年7月19日). 2011年9月17日閲覧。
  3. ^ 体操の塚原、世界選手権は絶望的 豪州の国籍取得難航で”. 共同通信 (2011年9月17日). 2011年9月17日閲覧。
  4. ^ 塚原、ロンドン五輪出場できず 豪国籍取得が間に合わず
  5. ^ 体操の塚原直也が豪州国籍を取得 国際大会の代表めざす』朝日新聞デジタル、2013年4月21日。2013年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  6. ^ 塚原、リオ五輪出場逃す=豪州代表選考会で3位-体操』時事通信、2016年2月28日。2016年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  7. ^ 「晴れやかな気持ち」=体操アテネ金の塚原引退』時事通信、2016年3月16日。2016年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  8. ^ 体操金メダリスト塚原直也さんは不動産会社の嘱託社員 体操クラブの総監督を辞したワケ|あの人は今こうしている”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2024年6月3日). 2024年10月21日閲覧。
  9. ^ 塚原直也氏、朝日生命総監督を退任後は立飛ホールディングス「体操ディレクター」に(スポーツ報知)

関連項目

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外部リンク

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