塩屋埼灯台
福島県いわき市平薄磯にある灯台
塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)は、福島県いわき市平薄磯に建つ大型灯台。
塩屋埼灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 1801 [M6512] |
位置 | 北緯36度59分31秒 東経140度59分07秒 / 北緯36.99194度 東経140.98528度座標: 北緯36度59分31秒 東経140度59分07秒 / 北緯36.99194度 東経140.98528度 |
所在地 | 福島県いわき市平薄磯字宿崎34 |
塗色・構造 | 白色 塔形 コンクリート造 |
レンズ | 第3等大型 |
灯質 |
単閃白光 毎15秒に1閃光 |
実効光度 | 440,000 cd |
光達距離 | 22海里(約 40 km) |
塔高 | 24 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 73 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1899年(明治32年)12月15日 |
管轄 |
海上保安庁 第二管区海上保安本部 福島海上保安部 |
立地と、白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」にも選ばれ、地元では「豊間の灯台」とも呼ばれている。周辺は、磐城海岸県立自然公園に指定され、太平洋に臨んで、北に薄磯海岸、南に豊間海岸と海水浴の適地に恵まれ、マリンスポーツファンにも人気がある。
歴史
編集- 一帯は潮の流れが激しく暗礁も多い、海上交通の難所として古くから知られていた。このため江戸時代から狼煙台がつくられた。
- 1899年(明治32年)12月15日:煉瓦石造で建てられ、初点灯[1]した。
- 1914年(大正3年)3月29日:燭光数変更[2]。
- 1920年(大正9年)11月12日:燭光数変更[3]。
- 1926年(大正15年)8月17日:豊間村立の霧信号所(モーターサイレン)設置、吹鳴開始[4]。
- 1932年(昭和7年)11月1日:無線方位信号所(中波、無線標識局)設置[5][6]。
- 1935年(昭和10年)6月17日:寄付により霧信号所が逓信省に移管される[7]。
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)7月10日:仮灯を変更[9][10]。
- 1940年(昭和15年)3月30日:鉄筋コンクリート造に改築し点灯[11][12]。
- 1945年(昭和20年):太平洋戦争末期に度々米軍の標的となり、飛行機や潜水艦からの攻撃を受けて破壊され、灯台としての機能を喪失。灯台職員も殉職した。
- 1947年(昭和22年)5月6日:本灯復旧、それまで仮灯が点灯していた[13]。
- 1950年(昭和25年)4月7日:戦災復旧工事によってレンズや灯器を修復。
- 1957年(昭和32年):映画「喜びも悲しみも幾歳月」(松竹映画作品、木下惠介監督)が公開され、主題歌共々日本国内で全国的ヒット。灯台職員とその家族が日本全国の辺地の灯台勤務で積み重ねる、長い人生の哀歓を描いた映画作品である。本作は当時の塩屋埼灯台長夫人・田中きよの手記「海を守る夫とともに20年」(雑誌「婦人倶楽部」寄稿、1956年8月号に掲載)から原案を得た内容で、映画には塩屋埼灯台もロケーションで登場した。
- 1977年(昭和52年)3月29日:霧信号所モーターサイレンからダイヤフラムホーンへ変更。
- 1992年(平成4年)10月31日:無線方位信号所(中波)廃止。
- 1993年(平成5年)2月:無人化。
- 2008年(平成20年)4月10日:無線方位信号所(レーマークビーコン)廃止[14]。
- 2011年(平成23年)
- 3月11日:東北地方太平洋沖地震により消灯(3月26日発表 航行警報 11-0915 [リンク切れ] )。
- 11月30日:約9ヶ月ぶりに再点灯。
- 2019年(平成31年)4月18日:同年12月15日に迎える初点灯120周年に向けて記念事業が立ち上がる。(記念事業facebbokページ)
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塩屋埼灯台(北方からの遠景)
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塩屋埼灯台より北側を望む
付属施設
編集一般公開
編集一般公開(有料300円、小学生以下無料)されている参観灯台で、階段で上まで登ることができ、灯台資料展示室も見学できる。公開時間は、8:30 - 16:00(入館は30分前まで)。年中無休(但し荒天時は休み)。50台(大型10台)が停められる無料駐車場あり。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の被害の影響により、復旧工事のため一時参観中止となっていた。2014年2月22日再開。
記念碑
編集脚注
編集- ^ 明治32年逓信省告示第334号(『官報』第4916号、明治32年11月18日、p.233.)
- ^ “逓信省告示第227号. 官報. 1914年04月04日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1737号. 官報. 1920年11月18日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1620号. 官報. 1926年08月24日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1880号. 官報. 1932年10月08日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1989号. 官報. 1932年10月28日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “航路標識寄付. 官報. 1935年09月06日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “逓信省告示第3634号. 官報. 1938年11月21日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1947号. 官報. 1939年07月03日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第2093号. 官報. 1939年07月20日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第631号. 官報. 1940年03月13日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “逓信省告示第865号. 官報. 1940年04月02日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “運輸省告示第162号. 官報. 1947年06月13日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2021年11月19日閲覧。
- ^ “無線方位信号所(レーマークビーコン)廃止計画 (PDF) ”(海上保安庁)2021年11月20日閲覧。