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塩瀬村(鹽瀨村、しおせむら)は、かつて兵庫県有馬郡にあった。1889年(明治22年)の町村制施行にともない編成され、昭和の大合併により消滅した。

しおせむら
塩瀬村
廃止日 1951年4月1日
廃止理由 編入合併
西宮市、山口村塩瀬村西宮市
現在の自治体 西宮市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
有馬郡
総人口 4,054
国勢調査1950年
隣接自治体 有馬郡山口村、道場村
川辺郡宝塚町西谷村
武庫郡良元村
塩瀬村役場
所在地 兵庫県有馬郡塩瀬村大字名塩
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現在の西宮市の北東部、概ね武庫川の右岸にあたる。村名は町村制施行以前の名塩村・生瀬村から一字ずつが採られたものである。

目次

地理編集

歴史編集

町村制施行以前には、生瀬村(なまぜむら)と名塩村(なじおむら)があった[1]

武庫川沿いに位置する生瀬は、摂津平野と有馬方面を結ぶ有馬街道(大坂街道)に位置し、13世紀にはすでに宿駅として栄えた記録がある[1]嘉禎4年(1238年)創建とされる浄橋寺浄土宗西山派)には、武庫川を渡る橋にちなむ伝説が伝わる[1]。江戸時代には参勤交代の宿駅として、また物資の中継地として栄えた[1]

名塩にある木ノ元地蔵尊木元寺は聖徳太子ゆかりの地蔵伝説があり、室町時代に赤松則村によって伽藍が建設された[1]文安2年(1445年赤松満政は木元の山中で一族と共に最期を遂げた[1]。15世紀に創建された浄土真宗教行寺は、蓮如の子蓮芸の子孫が代々住持を務め「名塩御坊」と呼ばれる高い寺格を保った[1]

名塩は和紙生産の郷として知られる[1]名塩雁皮紙、名塩鳥の子紙を特産品としている。名塩の紙漉の発祥にはさまざまな伝説があるが[1]、和紙生産が盛んになり名塩が発展するのは17世紀以降である[1]。江戸時代後期には名塩から蘭学者億川百記が出ており、百記の娘の八重は、百記の弟弟子である緒方洪庵に嫁いだ[1]。この縁で洪庵門下の伊藤慎蔵によって1862年から1869年にかけて名塩蘭学塾が設けられ、洋学が教授されていた[1]

また、18世紀の中頃には武田尾温泉が知られるようになった[1]

1889年明治22年)、町村制の施行により、名塩村・生瀬村が合併して塩瀬村が発足する。ともに長い歴史を有する名塩・生瀬の間にはしばしば利害の衝突も発生したという[1]。1898年(明治31年)、阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)が宝塚駅から延伸開業した際、終着駅として有馬口駅(現在の生瀬駅)が開業。阪鶴鉄道は翌1899年(明治32年)に三田駅まで延伸し、武田尾駅(駅所在地は現在の宝塚市玉瀬)が設置されて武田尾温泉の利用者が増えた[1]

1951年昭和26年)、昭和の大合併に伴い塩瀬村は解村し西宮市に編入された[1]

西宮市役所は塩瀬支所を置いており、塩瀬支所には生瀬分室が設けられている。

行政区画・自治体沿革編集

交通編集

鉄道路線編集

現在は旧村域に西宮名塩駅が所在するが、当時は未開業。

道路編集

現在は旧村域に中国自動車道西宮名塩サービスエリアが所在するが、当時は未開通。

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 塩瀬”. 環境学習都市・にしのみやエココミュニティ情報掲示板. 西宮市. 2015年2月5日閲覧。

参考文献編集

関連項目編集