壱岐市立武生水中学校

長崎県壱岐市にあった公立中学校

壱岐市立武生水中学校(いきしりつむしょうずちゅうがっこう, Iki City Mushozu Junior High School)は、2011年(平成23年)3月末まで長崎県壱岐市にあった公立中学校。略称「武中」(むちゅう)。

壱岐市立武生水中学校
地図北緯33度45分4.2秒 東経129度41分42.6秒 / 北緯33.751167度 東経129.695167度 / 33.751167; 129.695167座標: 北緯33度45分4.2秒 東経129度41分42.6秒 / 北緯33.751167度 東経129.695167度 / 33.751167; 129.695167
過去の名称 武生水町立武生水中学校
三町村組合立武生水中学校
郷ノ浦町立武生水中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 壱岐市
併合学校 志原村立志原中学校
柳田村立柳田中学校
設立年月日 1947年昭和22年)4月10日
閉校年月日 2011年平成23年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 811-5133
長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触75番地
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郷ノ浦町地区の初山中学校沼津中学校渡良中学校の3校と統合し、壱岐市立郷ノ浦中学校が新設された。なお、武生水中学校の校舎が、そのまま郷ノ浦中学校の校舎として使用されている。

概要 編集

校名の由来

  • 「武生水」という校名は、郷ノ浦町ができる前にあった武生水町(その前は武生水村)[1]という地名に由来している。武生水には長崎県の郡役所(現在の壱岐振興局)をはじめとして、古くから国や県の官公署・出先機関が置かれ、壱岐の中心地となってきた場所である。例えば、現在の壱岐警察署壱岐保健所は、現在の名前になる前は武生水警察署、武生水保健所という名称であった。
  • 現在、住所表記で用いることはないが、旧武生水町の地域は今でも「武生水」地区と呼ばれ、「武生水保育所」[2]というように、施設の名称で用いられている。
  • 「武生水」という地名の由来には諸説ある。[3]
    • 1. 日本武尊の神を祀った社(やしろ)があり、その社の下から水が湧き出たことから。
    • 2. 景行天皇の皇子、日本武尊を授かったことに由来し、湧き出る水を産湯として用いたことから。
    • 3. 武士が湧き出る水を飲んで、士気を高めたと云う伝説から「力みなぎる聖水、体力がよみがえる魔法の水」ともてはやされ、その水を「武生水」と呼んだことから。
校訓
「厳しさ、優しさ、逞しさ」
校章
万年筆のペン先3本が中心より、3方向(上、右斜め下、左斜め下)に伸び、中心には中学を表す「中」の文字が置かれている。
校歌
作詞は豊永友一(武生水中学校 初代校長)、作曲は荻原秀枝によるもの。歌詞は4番まであり、歌詞の中に、学校名は入っていない。なお、壱岐市役所のホームページで校歌の曲(歌詞あり、歌詞なし)をダウンロードできる。[4]
校区
小学校校区は壱岐市立盈科小学校壱岐市立志原小学校壱岐市立柳田小学校の3校であった。
校舎
3階建て。色は白。
校長
18代目で閉校。
制服
男子は学生服(学ラン)、女子はセーラー服
通学方法
徒歩。

沿革 編集

  • 1947年昭和22年)
    • 4月10日 - 「武生水町立武生水中学校」として開校。校長代理(事務取扱)は平田美久(武生水小学校[5]校長)
    • 8月1日 - 豊永友一、初代校長に就任。
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月12日 - 旧志原村、柳田村、武生水町の「三町村組合立武生水中学校」が長崎県立壱岐高等女学校[6]跡地(現在地)に開校。
    • 6月2日 - PTA組織結成。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 市町村合併[7]により「郷ノ浦町立武生水中学校」と改称。
  • 1957年(昭和32年)9月20日 - 相撲場が完成。
  • 1962年(昭和37年)12月9日 - 同窓会が発足。
  • 1965年(昭和40年)3月10日 - 後援会により庭園が完成。
  • 1966年(昭和41年)2月5日 - 有志家より校旗が寄贈。
  • 1973年(昭和49年)9月1日 - 運動場拡張工事が完成。(9,800m²)
  • 1984年(昭和59年)7月24日 - プールが完成。
  • 1989年平成元年)6月 - 相撲部屋が新築。土俵を整備。視聴覚室を新設。
  • 1990年(平成4年)
    • 3月10日 - 体育館が完成。
    • 6月11日 - 旧制壱岐高等女学校跡地記念碑除幕式を挙行。
  • 1993年(平成5年)7月 - 校舎大規模改造着工。
  • 1997年(平成9年)8月24日 - 全日本中学校バレーボール選手権大会で男子第3位。
  • 1999年(平成11年)
    • 2月20日 - 頭髪の自由化開始。
    • 10月 - 創立50周年記念講演会の実施。(講師 古賀稔彦)創立50周年記念式典を挙行。
  • 2003年(平成15年)
    • 4月1日 - 長崎県より「トライ・イングリッシュ・スクール事業研究」の委託を受ける。(2年間)
  • 2004年(平成16年)3月 -壱岐郡内4町合併による壱岐市誕生に伴い、「壱岐市立武生水中学校」(最終名)となる。
  • 2006年(平成18年)
    • 4月1日 - 文化部(器楽部)を創設。
    • 4月20日 - 校内LAN工事が完了。
  • 2011年(平成23年)3月 - 壱岐市の中学校規模適正化(統廃合)により、閉校。(創立から64年を目前に閉校。)
    • 最終年度 在校生徒数(中学3年を含む)230名、学級数8
    • 在校生は4月より壱岐市立郷ノ浦中学校へ編入となる。
    • 校舎はそのまま郷ノ浦中学校校舎として使用。

学校行事 編集

1学期

  • 4月 – 歓迎遠足
  • 5月 - 壱岐市中体連(球技武道大会)、生徒総会
  • 6月 - 壱岐市中体連(陸上相撲大会)
  • 7月 - 地区会
  • 8月 - 平和集会

2学期

  • 9月 - 体育祭
  • 10月 - 壱岐市中体連駅伝大会、中2修学旅行
  • 11月 - 合唱祭
  • 12月 - 人権集会、生徒会役員選挙

3学期

  • 1月 - 校内駅伝・ロードレース大会
  • 2月 - 立志式
  • 3月 - 卒業式、修了式

部活動 編集

運動部

文化部

期間限定

  • 6月大会のために、5月大会終了後に全校生徒の中から選抜され、特別編成される。大会後解散する。[8]
    • 陸上部(男女)
    • 相撲部(男)
    • 応援部(男女)
  • 10月大会のために、全校生徒の中から選抜され、特別編成される。
  • 壱岐地区では中学校体育大会[9]は「中体連」[10]と呼ばれ、種目ごとに3回ごとに分かれて行われる。(2011(平成23年)の統合後もこの形で行われている。)
    • 5月 -球技・武道
    • 6月 -陸上・相撲
    • 10月 -駅伝

アクセス 編集

最寄りの港

最寄りのバス停

  • 壱岐交通 「郷ノ浦中学校前(旧武生水中学校前)」「八畑(はちばたけ)」

周辺 編集

脚注 編集

  1. ^ 1925年大正14年)に「武生水村」が「武生水町」となり、1950年昭和30年)に他の5村と合併して「郷ノ浦町」となった。
  2. ^ かつては「JA壱岐市武生水出張所」が存在したが、2020年(令和2年)2月に廃止されている。
  3. ^ 地名の由来 - 壱岐市立一支国博物館ウェブサイト
  4. ^ 旧中学校校歌ダウンロード - 壱岐市ウェブサイト
  5. ^ 現・盈科小学校
  6. ^ 1947年(昭和23年)4月の学制改革により、長崎県立壱岐第二高等学校に改称した後、同年11月に壱岐第一高等学校と統合の上、共学の長崎県立壱岐高等学校となり、旧壱岐第一高等学校の校舎(現在の壱岐高校の場所、郷ノ浦町片原触)へ移転した。
  7. ^ 武生水町・柳田村・志原村・初山村・渡良村・沼津村の1町5村が合併し、郷ノ浦町となった。
  8. ^ 以前は水泳部もあり、水泳の大会も行われていた。
  9. ^ 全国中学校体育大会を参考。
  10. ^ 盟」の略。読みは「ちゅうたいれん」。

関連項目 編集