夏期講談会(かきこうだんかい)は、1900年から1902年まで年1回、内村鑑三が主催した聖書の講演会である。

1900年(明治33年)、『東京独立雑誌』の主筆であった内村鑑三は、第58号と第59号で夏期講談会を計画し、広告した。しかし、1890年7月に東京独立雑誌社は解散したため、内村一人で責任を引き受けることになった。大島正健松村介石留岡幸助らが講師として応援した。

1900年7月25日より8月3日までの10日間、聖書を中心に道徳、文学、歴史などのキリスト教的「講究会」が東京府角筈の女子独立学校で80名が寝食を共にして行われた。主な参加者は、井口喜源治荻原守衛森本慶三小山内薫らであった。

第2回は1901年に角筈で行われ、浅野猶三郎志賀直哉などが加わった。第3回は1902年7月に同じく角筈で行われ、大島正健、黒岩涙香津田仙山県五十雄などが講師になった。この会では大賀一郎海保竹松斎藤宗次郎青山士有島武郎などが参加した。

この3度にわたった講談会が終わった後、参加者の有志によって角筈聖書研究会が作られた。それにより、内村鑑三の無教会派の運動が展開されることになった。

参考文献 編集