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Yuzuki.jpg
艦歴
建造所 藤永田造船所
起工 1925年11月27日[1]
進水 1927年3月4日
竣工 1927年7月25日(第34号駆逐艦)
喪失 1944年12月13日
除籍 1945年1月10日
要目(計画)
排水量 基準:1,315トン、常備:1,445トン
全長 102.72m
全幅 9.16m
吃水 2.92m
機関 ロ号艦本式缶4基
艦本式タービン2基
2軸、38,500馬力
速力 37.25ノット
航続距離 14ノットで4,500海里
燃料 重油450トン
乗員 154名
兵装 45口径三年式12cm単装砲4門
留式7.7mm機銃2挺
61cm3連装魚雷発射管2基6門
(八年式魚雷12本)
爆雷投射器
爆雷12個

夕月(ゆうづき/ゆふづき)は[2]大日本帝国海軍駆逐艦[3]睦月型駆逐艦の12番艦[4]

目次

概要編集

一等駆逐艦夕月(ゆうづき/ゆふづき)は[2]、日本海軍が藤永田造船所で建造した駆逐艦で、1927年(昭和2年)7月に竣工した[5]。竣工時の艦名は第34号駆逐艦[2]。太平洋戦争開戦時、引きつづき第二航空戦隊(司令官山口多聞少将)麾下の第23駆逐隊に所属していたが[6][7]、空母蒼龍飛龍真珠湾攻撃に参加し[8]、23駆は南洋部隊[9](指揮官:第四艦隊司令長官井上成美中将)に編入されてグアム島攻略作戦に従事した[10]。その後も南洋部隊の指揮下でラバウル攻略戦等に従事した。

1942年(昭和17年)5月4日、ツラギ島攻略作戦従事中に空母ヨークタウン艦載機の攻撃で夕月は小破[6]、姉妹艦菊月が沈没する[11][12]。 応急修理後、ギルバート諸島攻略作戦に従事した[13]。同作戦中の5月12日、敷設艦沖島ブカ島で潜水艦の雷撃により沈没すると[14]、夕月は臨時の第十九戦隊(司令官志摩清英少将)旗艦となった[15]。 5月25日、第23駆逐隊は解隊され[16]、夕月は第29駆逐隊に所属した[6][17]。 7月10日、第六水雷戦隊の解隊にともない第29駆逐隊は第二海上護衛隊に編入された[18]。しばらくソロモン諸島パプアニューギニアでの作戦に従事したあと[19]、夕月は内南洋方面における船団護衛任務に従事した[6]

1943年(昭和18年)4月1日、第29駆逐隊は解隊された[20]。夕月は第二海上護衛隊として、船団護衛任務に従事した。 同年11月30日、夕月は第三水雷戦隊麾下の第30駆逐隊に編入された[21]

1944年(昭和19年)2月、ラバウルに進出し、姉妹艦水無月と共に同方面における最後の駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)を実施した[22]。3月10日より、中部太平洋方面部隊に編入される[23]。 4月28日、パラオ方面輸送作戦中に軽巡洋艦夕張が米潜水艦の雷撃で沈没し[24]、夕月は臨時の第三水雷戦隊旗艦となった。第三水雷戦隊司令部がサイパン島地上戦で玉砕すると[25]、日本海軍は三水戦の残余戦力を元に8月20日付で第三十一戦隊を編制した[26][27]。夕月も僚艦や大鷹型航空母艦などと共に、船団護衛任務に従事した。 同年12月、第30駆逐隊(夕月、卯月)は多号作戦に投入される[28]。12月13日、夕月はパナイ島沖で空襲を受けて大破、沈没した[3]。前日に姉妹艦卯月も沈没しており[29]、睦月型全12隻は太平洋戦争中に全て失われた。

艦歴編集

太平洋戦争開戦まで編集

1925年(大正14年)11月27日、藤永田造船所で起工した[30][1]。12月18日に第34号駆逐艦と命名され、一等駆逐艦に類別された[31][32]1926年(大正15年)9月、藤永田造船所は翌年7月31日に竣工の延期を海軍に願い出た[33]1927年(昭和2年)1月31日、船体に不具合が見つかったため進水日予定日(2月18日)を3月4日に変更を要請した[34]。3月4日[5]、呉鎮守府司令長官谷口尚真中将が臨席して進水する[35]。 7月25日に竣工して佐世保鎮守府に配属され、第32号駆逐艦(三日月)と第23駆逐隊を編制した[5][36]

第23駆逐隊は12月1日、第31-34号駆逐艦(菊月、三日月、望月、夕月)の4隻で第二水雷戦隊に所属した[37]1928年(昭和3年)8月1日、第34号駆逐艦は夕月と改名された[2][38]

1931年(昭和6年)12月1日の艦隊編制で、第23駆逐隊は第一艦隊・第一水雷戦隊に所属した[39]1932年(昭和7年)2月、第一水雷戦隊(旗艦〈夕張〉、第22駆逐隊〈皐月、水無月、文月、長月〉、第23駆逐隊〈菊月、三日月、望月、夕月〉、第30駆逐隊〈睦月、如月、彌生、卯月〉)は臨時に第三艦隊に所属し[40]第一次上海事変が起きた中国大陸沿岸に進出、艦砲射撃や船団護衛任務に従事した[41]。 3月24日に停戦協定が成立し、第一水雷戦隊は内地に帰投した[41][42]。 7月4日夜、夕月は標的曳航艦として演習に参加中に標的と衝突してスクリューを破損、横須賀に回航された[43]

1934年(昭和9年)11月15日、第23駆逐隊は佐世保警備戦隊に配属された[44]1936年(昭和11年)8月13日夜、第23駆逐隊が豊後水道方面で演習中に夕月と三日月が衝突した[45]。2隻は8月15日から呉で修理を行った[46]

1937年(昭和12年)7月28日、第23駆逐隊は佐世保警備戦隊から除かれた[47]。 この頃盧溝橋事件が発生し、第二次上海事変に発展した。夕月は8月1-9日まで第三水雷戦隊(司令官近藤英次郎少将)旗艦を務めた[48]。14日、第三水雷戦隊は佐世保を出撃、揚子江方面に進出して支那事変に対応した。第五艦隊に所属して中支、南支方面で活動した[49][50]1938年(昭和13年)10月22日、中国大陸珠江湾で夕月は金華丸(商船)と衝突。応急修理した後、馬公市を経て11月13日に佐世保に着いた[51]

11月15日から第三予備艦となった[52]。12月15日、夕月は第30駆逐隊に編入され、睦月型4隻(夕月、如月弥生卯月)を揃えた[53][54]

1939年(昭和14年)11月15日、夕月は第23駆逐隊に編入され、23駆は睦月型4隻(菊月、三日月、卯月、夕月)となった[55]1940年(昭和15年)5月1日に第4予備駆逐艦となり、第23駆逐隊から外れた[56]。10月15日、夕月は再び第23駆逐隊に編入され、駆逐艦3隻(菊月、卯月、夕月)を揃えた[57][58]。 11月15日、日本海軍は第23駆逐隊を空母2隻(蒼龍飛龍)の第二航空戦隊に編入した[59]

1941年(昭和16年)1月、第二航空戦隊は第二遣支艦隊(司令長官高須四郎中将、旗艦「足柄」の指揮下に入った[60]。二航戦(空母〈蒼龍、飛龍〉、第23駆逐隊〈菊月、卯月、夕月〉)はS作戦部隊(旗艦「鳥海」)に配備され、インドシナ方面で行動した[60]。同作戦中、夕月は蒼龍と衝突し損傷した[61]

4月10日、日本海軍は第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将)を編制した[62][63]。第二航空戦隊も一航艦に組み込まれた[62]。 7月10日以降、二航戦(蒼龍、飛龍、第23駆逐隊)はふたたび支那方面艦隊の指揮下に入り、31日まで南部仏印進駐作戦に参加した[64]。 8月、第二航空戦隊は佐世保に戻った[65][66]。9月15日、橘広太少佐が夕月駆逐艦長に任命された[67]

第二航空戦隊のうち空母2隻(蒼龍、飛龍)は真珠湾攻撃のため南雲機動部隊(指揮官:第一航空艦隊司令長官南雲忠一海軍中将)に編入されたが、第23駆逐隊(夕月、卯月、菊月)はハワイ作戦には参加していない[68][12][注 1]。 11月中旬、第23駆逐隊はGF第一期作戦兵力部署にともない南洋部隊(指揮官:第四艦隊司令長官井上成美海軍中将)の指揮下に入った[注 2]。マリアナ諸島方面を管轄する第五根拠地隊(司令官春日篤少将)に配属され[69][70]、18日に呉を出撃し、南海支隊(司令官堀井富太郎陸軍少将)[71]の陸軍輸送船団を護衛して小笠原諸島に進出した[72][73]。12月4日、グァム島攻略部隊は母島を出撃した[74]

太平洋戦争緒戦編集

1941年(昭和16年)12月8日の開戦時、第23駆逐隊(夕月、卯月、菊月)は敷設艦津軽、駆逐艦、特設水上機母艦聖川丸、陸軍輸送船団と共にグアム島攻略作戦に従事した[注 3]。12月中旬、ハワイ攻撃を終えた南雲機動部隊は、マリアナ諸島北方を通過して内地に向かうことになった[77][78]。12月18日、南洋部隊は麾下艦艇・部隊に担当海面の対潜掃蕩と哨戒を命じ、第23駆逐隊(菊月、夕月、卯月)は機動部隊予定航路の対潜掃蕩を実施した[79]

1942年(昭和17年)1月31日、第23駆逐隊司令に鳥居威美中佐が就いた[80]。第23駆逐隊(夕月、菊月、卯月)は南洋部隊各部隊[注 4]と行動を共にし、ラバウル攻略作戦ラエサラモアアドミラルティ諸島など、南東方面における各攻略作戦に参加した[81]。 4月10日、第23駆逐隊は第六水雷戦隊(司令官梶岡定道少将、旗艦「夕張」)に編入され、ポートモレスビー攻略作戦に備えた[82]。23日、第23駆逐隊は敷設艦沖島を護衛してトラック泊地を出撃、ラバウルへ進出した。沖島と第23駆逐隊の2隻(夕月、菊月)などでツラギ攻略部隊(指揮官:第十九戦隊司令官志摩清英少将)が編成され、29-30日にラバウルを出撃、5月3日にツラギ島を占領した[83]

4日、フランク・J・フレッチャー提督ひきいる米軍第17任務部隊の空母ヨークタウンより攻撃隊が発進、ツラギの日本軍攻略部隊を襲撃した[84]。夕月と菊月は沖島に燃料を補給中で、空襲を受けた夕月では橘艦長が戦死、多数の死傷者を出した。菊月は直撃弾を受けて座礁、放棄されて沈没した[11]。菊月艦長の森幸吉少佐ら生存者は夕月に移乗した。夕月と沖島はラバウルに戻った[85][86]

10日夕、ナウル島・オーシャン島攻略部隊に卯月が加わる[87]。攻略部隊はラバウルを出撃した[注 5]。11日早朝、沖島が米潜水艦S-42に雷撃されて大破した[13]。夕月と卯月は爆雷攻撃でS-42を損傷させた[88]。救援部隊[注 6]が到着して救難作業をおこなうが、沖島は沈没した[14]。夕月は臨時の第十九戦隊旗艦となったが[15]、攻略作戦は結局中止された[90][91]

15日、森少佐が夕月駆逐艦長に任命された[92]。19日、攻略部隊はトラック泊地に帰投した[93]。夕月と卯月は佐世保で修理することになり、21日にトラック泊地を出発した[94]。5月25日、日本海軍は第23駆逐隊を解隊し、夕月は第六水雷戦隊麾下の第29駆逐隊に、卯月は第30駆逐隊に編入された[16][95]。29駆は駆逐艦4隻(追風朝凪夕凪、夕月)編制となった[17]。鳥居中佐が第29駆逐隊司令となった[96]

夕月と卯月は5月28日に内地へ帰投した[97]。6月15日に佐世保を出発、トラック泊地に進出した[97]。その後、南洋部隊僚艦とともに、ガダルカナル島に飛行場を建設する輸送船団の護衛任務に就いた[98]。7月6日、夕張、追風、卯月と共同でガダルカナル島への揚陸に成功。各艦はラバウルに帰投した。

護衛・輸送任務編集

1942年(昭和17年)7月10日の艦隊再編で第六水雷戦隊は解隊され[98]、夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊は第二海上護衛隊に編入された[99][100]。同日付で夕月駆逐艦長は、小山田正一大尉に交代した[101]。このうち第30駆逐隊は新編の第八艦隊(7月14日編制、司令長官三川軍一中将)へ転籍している[102]。夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊は、引き続きソロモン諸島やニューギニア方面での作戦に従事した[19][103]

20日、第29駆逐隊は第十八戦隊(天龍、龍田)、敷設艦津軽、輸送船団と共にラバウルを出発、21-22日にかけてブナパプアニューギニア)に揚陸した。空襲で綾戸山丸が座礁したが、他の艦は24日までにラバウルへ帰投した。27日、龍田と夕月、第32駆潜隊、輸送船2隻(良洋丸、広徳丸)で第二次ブナ輸送が行われたが、29日にポートモレスビーからの空襲で2隻は沈没し、護衛した艦は8月1日までにラバウルに戻った[104]

8月6日、龍田、卯月、夕月、駆潜艇2隻は輸送船3隻(南海丸、幾内丸、乾陽丸)を護衛してラバウルを出撃、ブナへ向かった。7日に米軍がガダルカナル島フロリダ諸島に上陸し、ガダルカナル島の戦いがはじまる[105]。艦隊は混乱したが9日にラバウルに帰投した。17日、天龍、夕月、駆潜艇、第20号掃海艇と共に輸送船(和浦丸、良洋丸、乾洋丸)を護衛しラバウルを出発。18日にブナ西方のバサブアに揚陸に成功し、21日までにラバウルへ帰投した[106]。夕張と第29駆逐隊は8月下旬までソロモン方面の作戦に従事し、以降は内南洋方面での任務についた[107]

1943年(昭和18年)1月2日、夕月は横須賀に帰投した[6]。2月17日に横須賀を出発、再び船団護衛任務に就いた[6]。4月1日、第29駆逐隊は解隊された[20]

4月3日、「夕月」と合流しバリクパパンからトラックへ向かっていた「有馬丸」がパラオ付近でアメリカ潜水艦「ハダック」に沈められた[108]。「夕月」は爆雷攻撃で「ハダック」に損傷を与えた[109]。「ハダック」は修理のため真珠湾に帰投した[109]

10月、夕月駆逐艦長は松本正平少佐に交代した[110]

11月4 - 8日、夕月と駆潜艇29号はクェゼリン環礁からトラック泊地へ戻る練習巡洋艦鹿島を護衛した[111][注 7]。 14日、夕月は海防艦福江、駆潜艇10号と共に輸送船4隻(北江丸、鵜戸丸、日鉱丸、地洋丸)を護衛する第4111船団を結成、横須賀に向けトラックを出発した。19日、米潜水艦ハーダーの攻撃で鵜戸丸が沈没[114]、北江丸が大破した[115]。福江と地洋丸、駆潜艇10号は父島へ先行、夕月は北江丸を曳航するが船体が切断し中断、警戒中に日没となり日鉱丸を見失った[116]。 22日、北江丸護衛を第46号哨戒艇にひきつぎ、23日朝になって父島に到着した[116]。午後、行方不明の日鉱丸を捜索しながら北上したが発見できず、25日に横須賀に到着した[116]。北江丸は沈没し、日鉱丸も沈没と認定された[114][116]。 11月30日、夕月は第二海上護衛隊から除かれ、第三水雷戦隊(司令官中川浩少将)麾下の第30駆逐隊(駆逐隊司令澤村成二大佐)に編入された[21]。12月28日に横須賀に移動し、修理と整備を行った。

昭和19年編集

1944年(昭和19年)1月22日に修理が終わり、訓練を行った。2月3日、特設運送船りおでじゃねろ丸を護衛して横須賀を出発、11日にトラック泊地に到着した。2月12日、補給用の弾薬・燃料・人員を搭載した夕月と駆逐艦水無月は輸送船団を護衛しトラック泊地を出発、17日にラバウルに到着した[22]。この日は米軍機動部隊によるトラック島空襲が実施され、日本海軍は大損害を受ける[117]。航空兵力再建のため、連合艦隊はラバウル所在航空部隊を内南洋方面に後退させた[118][119]。第三水雷戦隊司令部(司令官中川浩少将)は将旗をラバウル陸上から「夕月」に移す[23]。20日、夕月(第三水雷戦隊旗艦)と水無月はニューブリテン島中部ガブブへの輸送を実施する[23]。揚搭後後はラバウルに戻らず、パラオに向かった(24日到着)[23]。これが南東方面における最後の駆逐艦輸送になった[23]

3月10日、第三水雷戦隊および駆逐艦3隻(松風、秋風、夕凪)は中部太平洋方面部隊(指揮官南雲忠一中部太平洋方面艦隊司令長官)に編入され、襲撃部隊は解消した[23]。4月上旬、夕月と水無月はメレヨン島に向かう輸送船3隻(南洋第五支隊)を護衛してサイパン島を出撃する[120][121]。だが米潜水艦シーホースの雷撃で輸送船「新玉丸」が沈没、「木津川丸」が大破する。グァム島に避退したのち、4月12日に輸送船「松江丸」と共にメレヨン島に到着した[122][123]

続いてパラオのソンソロール島メリル島トコベイ島に兵士約1000名と物資500トンを輸送することになり、軽巡2隻(夕張鬼怒)、駆逐艦(夕月、浦波五月雨)、第149号特設輸送艦が参加した。4月19日、夕月と五月雨はサイパン島に到着、旗艦は夕張に移った。4月23日、各艦(夕張、夕月、鬼怒、五月雨)はサイパンを出発、25日にパラオに到着した[124]。夕月の機関が故障したため編成を変更し、夕月と夕張がソンソロール島への輸送を担当した。26日に出港、27日朝に揚陸に成功し帰路についた[125]。同日午前10時頃、同島近海で哨戒中だった米潜水艦ブルーギルは最初に夕月を狙ったあと、つづいて夕張に目標を変更した[126]。ブルーギルは魚雷6本を発射し、魚雷1本[127](米軍記録3本)が夕張に命中した[128]。夕月は爆雷で攻撃し、ブルーギルを追い払った[129]。五月雨は夕張の曳航を試みたが成功せず、夕張は28日朝に沈没した[130]。第三水雷戦隊司令部と夕張生存者は夕月に移動した[130][131]。夕月は第149号特設輸送艦と共に29日にパラオに到着する。その後、第三水雷戦隊司令部をサイパンに送った[132]

5月1日、第30駆逐隊に駆逐艦2隻(秋風松風)が編入され、30駆は4隻(夕月、卯月、秋風、松風)編制となった[133]。 6月9日、30駆僚艦の松風は船団護衛中に米潜水艦ソードフィッシュに撃沈された[134][135](8月10日附で除籍)[136]

7月上旬、第三水雷戦隊司令部(司令官中川浩少将)はサイパン島の戦いにおいて日本軍守備隊(中部太平洋方面艦隊など)と共に玉砕した[137]。第三水雷戦隊は7月18日附で連合艦隊附属となった[137]。 8月20日、日本海軍は第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将、旗艦「五十鈴」)を編制する[138][26]。第30駆逐隊も第三十一戦隊に所属した[139]。同日附で駆逐艦2隻(皐月夕凪)が第30駆逐隊に編入され、同隊は駆逐艦5隻(卯月、夕月、秋風、皐月、夕凪)となった[140]。 8月25日、夕凪が米潜水艦ピクーダに撃沈された[141][142](10月10日附で除籍)[143]

9月上旬にヒ75船団(指揮官、第八護衛船団司令官佐藤勉少将)が編成され[144]、空母神鷹・駆逐艦2隻(夕月、卯月)・海防艦3隻(三宅、満珠、干珠)が護衛し[145]、水上機母艦〈秋津洲[146]、特設巡洋艦〈西貢丸〉、特設運送艦〈浅間丸〉、タンカー〈雄鳳丸、良栄丸、日栄丸、万栄丸、あまと丸、東邦丸せりあ丸〉が配属された[147]。 8日、門司を出撃する[148]。12日に台湾・基隆市に向かう浅間丸が分離した。13日、ヒ75船団は高雄市に到着した[148]。14日に海防艦18号、水雷艇、第28号掃海艇とタンカー3隻(富士山丸黒潮丸、大邦丸)を加えて出港する。17日、4隻(夕月、卯月、秋津洲、西貢丸)はシンガポールへ向かうヒ75船団から分離し、マニラへ向かった[149]。夕刻、秋風が加わった。18日午前、米潜水艦フラッシャーの雷撃で西貢丸が轟沈する[149]。護衛の3隻(夕月、卯月、秋風)は生存者の捜索と爆雷攻撃を行い、秋津洲は単艦でマニラに先行した[150]

護衛3隻は19日にマニラに到着し、21日にはマタ27船団を護衛して出港した。合流予定だった皐月はマニラで空襲を受け沈没し[151][152]、第30駆逐隊は駆逐艦3隻(夕月、卯月、秋風)となった[153]。同日夕、機関故障で速力5ノット以下の安土山丸を分離。22日、米潜水艦レイポンの雷撃で順源丸が沈没した。残る船団は高雄に立ち寄り、第30駆逐隊3隻は30日に佐世保へ帰投した。

夕月と卯月は10月17日に佐世保を出発、練習巡洋艦鹿島による第二航空艦隊むけ輸送(呉~鹿児島~高雄市)を護衛し[154]、26日佐世保に戻った[155]。 その頃、空母隼鷹は特攻兵器震洋や空挺部隊、さらに栗田艦隊向け弾薬を南方へ輸送することになった[156]。30日、隼鷹艦長指揮下の輸送部隊(空母〈隼鷹〉、軽巡〈木曾〉、駆逐艦〈秋風[注 8]、夕月、卯月〉)[157]は佐世保を出港した[158]。馬公を出港後の11月3日、待ち受けていた米潜水艦ピンタド が隼鷹を雷撃し[159]、これが秋風に命中して同艦は轟沈した[160][161]。夕月が救援に向かったが、生存者は見つからなかった[159][162]。 隼鷹隊は6日にブルネイに到着し、8日に重巡利根を加えて出港した[163]。11月10日-11日、隼鷹隊はマニラに到着した[164]。同地で木曾は隼鷹隊から外され、沈没した軽巡阿武隈の代艦として第一水雷戦隊(司令官木村昌福少将)旗艦予定となる[158][163]。隼鷹隊には駆逐艦時雨が加わり、呉に向かった[163]。マニラに残った木曾は、11月13日から14日にかけてのマニラ大空襲により、僚艦(曙、秋霜、沖波、初春)等と共に大破着底した[165][166]。 一方、内地帰投中の隼鷹隊は途中で米潜水艦に襲撃されたが被害はなく、隼鷹隊は内地に帰投した[163][167]

呉で修理後、第30駆逐隊(夕月、卯月)はヒ83船団の護衛に従事した[168]。山口県六連島を26日に出発、貨物船5隻、タンカー3隻他2隻を空母海鷹、駆逐艦5隻(、夕月、卯月)[169][170]、海防艦6隻(1号、3号、25号、35号、64号、207号)で護衛した。

沈没編集

第30駆逐隊(夕月、卯月)はマニラに進出後、フィリピン南部レイテ島オルモックに増援兵力に輸送する第九次多号作戦(指揮官、第30駆逐隊司令澤村成二大佐、旗艦「夕月」)に投入された[28](詳細な編制は多号作戦参照)[171]。兵員4400名などを輸送するため[172]、駆逐艦3隻(夕月、卯月、[173])、駆潜艇2隻(17号、37号)、輸送船3隻、輸送艦3隻は、12月9日午後2時にマニラを出港した[174][175]。第9号輸送艦は甲標的セブ島輸送を担当し、途中まで同行した[176]。輸送部隊は11日にレイテ島北で空襲を受け[177]、輸送船2隻(たすまにや丸、美濃丸)が沈没した[178]。卯月と駆潜艇2隻は救助と輸送船空知丸の護衛を行い[179]、4隻(夕月、桐、輸送艦140号[180]、159号)はオルモック湾へ向かった[181]

同日午後9時30分、夕月と桐、140号・159号はオルモック湾で揚陸を始めたが、米軍の補給部隊および大型駆逐艦6隻と遭遇した[182]。12日午前0時過ぎに駆逐艦コールドウェルコグランと交戦したが、双方に被害はなかった[183]。午前2時、夕月と桐は湾外に出たが、夕月は揚陸作業中の輸送艦を掩護するためオルモック湾に戻った[183][184]。第159号は陸上からの砲撃で着底した[185]。夕月は第140号と合流して同湾を脱出し[184]、昼に桐も合流した[186][187]。 12日夕、マニラに帰投中の3隻は、P-38ライトニングF4Uコルセア戦闘機に襲撃された[188][189]。夕月は機関部に爆弾2発が命中して火災発生、航行不能となり[190]、乗員は桐と第140号輸送艦に移った[188]。桐は夕月を砲撃で処分しようとしたが、すぐに沈まなかったという[188]。午後8時27分、夕月はパナイ島東方のシブヤン海で沈没した[191]

卯月は魚雷艇の攻撃で12日未明に沈没しており[192][95]、夕月を最後に睦月型駆逐艦12隻はすべて沈没した。夕月乗組員181名は海軍陸戦隊に編入され[193]マニラ市街戦フィリピン地上戦で多数が戦死した。1945年(昭和20年)1月10日に帝国駆逐艦籍から除籍、第30駆逐隊も解隊された[194][195]

歴代艦長編集

※脚注なきかぎり『艦長たちの軍艦史』261-262頁による。

艤装員長編集

  1. 穂本繁治 中佐:1927年2月15日[196] - 1927年7月25日[197]

艦長編集

  1. 穂本繁治 中佐:1927年7月25日[197] - 1928年12月10日[198]
  2. 境澄信 中佐:1928年12月10日[198] - 1929年9月29日[199]
  3. 池田久雄 少佐:1929年9月29日[199] - 1930年3月8日[200]
  4. 勝野実 少佐:1930年3月8日[200] - 1931年12月1日[201]
  5. 森下信衛 少佐:1931年12月1日[201] - 1933年11月1日[202]
  6. 伊集院松治 少佐:1933年11月1日[202] - 1934年11月1日[203]
  7. (兼)戸村清 大尉:1934年11月1日[203] - 1935年10月31日[204]
  8. 脇田喜一郎 少佐:1935年10月31日[204] - 1936年7月22日[205]
  9. 由川周吉少佐 :不詳(着任1936年7月25日)[206] - 不詳(退艦1936年10月31日)[207]
  10. 大田春男 少佐:1936年11月2日[208] - 1937年6月1日[209]
  11. 藤田勇 少佐:1937年6月1日[209] - 1938年11月25日[210]
  12. (兼)小倉正身 少佐:1938年11月25日[210] - 1938年12月15日[211]
  13. 佐間英邇 少佐:1938年12月15日[211] - 1940年5月1日[212](以後艦長の発令なし)
  14. 竹内一 少佐:1940年10月15日[213] - 1941年9月15日[67]
  15. 橘広太 少佐:1941年9月15日[67] - 1942年5月4日(戦死)
  16. 森幸吉 少佐:1942年5月15日[92] - 1942年7月10日[101]
  17. 小山田正一 大尉:1942年7月10日[101] - 1943年10月20日[110]
  18. 松本正平 少佐:1943年10月20日[110] - 1944年12月15日[214]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 機動部隊の護衛を担当する駆逐艦には、航続力の観点から最新式の艦隊型駆逐艦が選抜された。第一水雷戦隊より第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)、第二水雷戦隊より第18駆逐隊(不知火、霞、陽炎、霰)、第五航空戦隊より秋雲である[68]
  2. ^ 11月5日付の機密聯合艦隊命令作第1号により11月7日付で南洋方面部隊に編入された部隊は、第一艦隊より第六戦隊(青葉、加古、衣笠、古鷹)、二航戦より第23駆逐隊(夕月、卯月、菊月)、第五航空戦隊より駆逐艦であった[9]
  3. ^ グアム島攻略部隊の編成は[75][76]、総指揮官第四艦隊司令長官井上成美中将(旗艦「鹿島」)、グァム島攻略部隊(指揮官は第五根拠地隊司令官、攻略部隊旗艦津軽)、グァム島攻略支援部隊(指揮官は第六戦隊司令官五藤存知少将、青葉、加古、衣笠、古鷹)、パラオ方面防備部隊(第三根拠地隊司令官)、マリアナ方面防備部隊(第五根拠地隊司令官)。
  4. ^ 第六水雷戦隊(軽巡〈夕張〉、第29駆逐隊〈追風、朝凪、夕凪〉、第30駆逐隊〈睦月、弥生、望月〉)、第十八戦隊(天龍龍田)、第六戦隊(青葉、加古、衣笠、古鷹)など。
  5. ^ 第十九戦隊司令官志摩清英少将を指揮官とするRY攻略部隊は、旗艦「沖島」、駆逐艦2隻(卯月、夕月)、輸送船2隻(金龍丸、高瑞丸)。
  6. ^ 第十八戦隊、重巡加古、第30駆逐隊(睦月、望月)など。[89]
  7. ^ 11月10日、第四艦隊旗艦は鹿島から軽巡洋艦長良(11月1日付で第四艦隊に編入)に交代した[112]。鹿島は呉鎮守府部隊に編入され[113]、内地へ戻る。
  8. ^ 秋風は小沢機動部隊補給部隊を護衛しており、31日に隼鷹隊と合流した。

出典編集

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  3. ^ a b 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 88a夕月(ゆうづき)
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  44. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.50『昭和九、一一、一五(内令四八一)|佐世保警備戰隊|霧島 妙高 那智 足柄 羽黒 北上 加賀 能登呂 迅鯨 磐手 第二十三驅逐隊 第三十驅逐隊 第二十六潜水隊 第二十七潜水隊 第三十潜水隊 第二十一水雷隊 早鞆|昭和十年七、一〇(内令二七七)那智|昭和十年三、一(内令八一)磐手/四、一(内令一二五)那智足柄羽黒迅鯨』
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  57. ^ #第23駆逐隊(支那事変第8回)p.1『卯月 夕月|慰勞乙|自一五.一〇.一五至一五.一一.一五|同右(佐世保軍港ニ在リテ船體兵器機関ノ修理整備竝ニ軍港一般防備警戒ニ從事)|内令第七一五號ニヨリ第二十三驅逐隊ニ編入セラル』
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  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』(原書房、1981年、第3刷)ISBN 4-562-00302-2
  • 橋本廣『機動部隊の栄光 艦隊司令部信号員の太平洋海戦記』光人社、2001年。ISBN 4-7698-1028-8
  • 原為一ほか『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8
    • (75-86頁)戦史研究家伊達久『航跡でたどる軽巡二十五隻の栄光と悲惨』
    • (148-161頁)当時「夕張」航海長・海軍少佐津田武彦『袖珍軽巡「夕張」ソロモンへの片道切符 船団を護衛して魔の海域に作戦する小型軽巡を襲った痛恨の一撃
    • (185-206頁)「丸」編集部『外国戦史に見る日本軽巡の最後』
    • (304-318頁)戦史研究家柏木浩『日本の軽巡洋艦かく戦えり』
    • (319-350頁)戦史研究家落合康夫『日本海軍軽巡洋艦戦歴一覧』
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 ハワイ作戦』第10巻、朝雲新聞社、1967年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦<1> 昭和17年5月まで』第38巻、朝雲新聞社、1970年10月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<6> ―第三段作戦後期―』第45巻、朝雲新聞社、1970年4月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』第49巻、朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』第56巻、朝雲新聞社、1972年6月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦<2> 昭和十七年六月以降』第62巻、朝雲新聞社、1973年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<3> ガ島撤収後』第96巻、朝雲新聞社、1976年8月。
  • 『写真 日本の軍艦 駆逐艦 I 睦月型・神風型・峯風型』第10巻、雑誌『』編集部/編、光人社、1990年5月。ISBN 4-7698-0460-1
  • ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』雑誌『』編集部/編、光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4
  • 歴史群像編集部編『水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦 究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡』第19巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1998年8月。ISBN 4-05-601918-5
    • (85-94頁)向井学「艦隊型駆逐艦全131隻行動データ」
    • (143-158頁)戦闘ドキュメント 日本駆逐艦の奮戦 PATR1〔水雷戦隊かく戦えり〕/PART2〔ルンガ沖夜戦〕
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正14年達完/12月』。Ref.C12070085600。
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外部リンク編集