多坐弥志理都比古神社

奈良県磯城郡田原本町多にある神社

多坐弥志理都比古神社(多坐彌志理都比古神社、おおにいますみしりつひこじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町多にある神社式内社名神大社)で、旧社格は県社。一般には多神社(おおじんじゃ)と呼ばれ、多社、多坐神社、太社、意富(おお)社とも書かれる。社号標には「多彌志理都比古神社」と記す。

多坐弥志理都比古神社

拝殿(2016年5月)
所在地 奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内569
位置 北緯34度32分08秒 東経135度47分11秒 / 北緯34.53556度 東経135.78639度 / 34.53556; 135.78639 (多坐弥志理都比古神社)座標: 北緯34度32分08秒 東経135度47分11秒 / 北緯34.53556度 東経135.78639度 / 34.53556; 135.78639 (多坐弥志理都比古神社)
主祭神 神倭磐余彦尊(神武天皇
神八井耳命(神武天皇皇子
神沼河耳命(綏靖天皇
姫御神(玉依姫命
太安万侶
社格 式内社(名神大2座)
県社
創建 綏靖天皇2年(紀元前580年
本殿の様式 春日造
別名 多神社(おおじんじゃ)
例祭 4月第3日曜日(おおれんぞ)
地図
多坐弥志理都比古神社の位置(奈良県内)
多坐弥志理都比古神社
多坐弥志理都比古神社
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本殿(2018年5月)
一の鳥居(2011年11月)
二の鳥居(2018年5月)
二の鳥居後ろには、奉献された石燈篭が並ぶ(2012年8月)

祭神 編集

以下の4座の神を主祭神とする。

このほかに、『古事記』を編纂した太安万侶も祀られている。当地は多氏の拠点であり、多氏の祖神である神八井耳命を祀ったものとみられる。

延喜式神名帳』には「大和国十市郡 多坐彌志理都比古神社二座」と記されている。

久安5年(1149年)に当社禰宜朝臣常麻呂が国司に提出した『多神宮注進状』では以下の2座とし、また、社名より水火知男女神(みひしりひこひめのかみ)が『延喜式神名帳』の2座であるとも書かれている。

  • 珍子 賢津日霊神尊(うつのみこ さかつひこのみこと) 皇像瓊玉坐 河内国高安郡春日部坐宇豆御子之社と同神
  • 天祖 賢津日孁神尊(あまつおや さかつひめのみこと) 神物圓鏡坐 春日部坐天照大神之社と同神

元文2年(1737年)の『多大明神社記』では現在の四座になっているが、明治時代の『神社明細帳』では本殿の第一社・第四社は摂社の扱いとなっており、主祭神は神八井耳命・神沼河耳命の二座としている。

社名の通りであれば弥志理都比古(みしりつひこ)を祀る神社ということになるが、これは神八井耳命のこととされる。神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったので、「身を退いた」という意味で「ミシリツヒコ」とも呼ばれる。

歴史 編集

記紀神話には、「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とあり、それが当社の始まりであるとしている。綏靖天皇2年(紀元前580年)、神八井耳命は春日県(後の十市県)に邸宅を造り、そこに神籬磐境を立てて自ら神祇を司り、春日県主の遠祖・大日諸神を祭祀者として奉祀せしめた。崇神天皇7年(紀元前91年)、その神祠を改造し、天津日瓊玉命・天璽鏡劔神を祈賽したと伝える。

正倉院文書』の天平2年(730年大和国正税帳に「太神戸稲壱萬伍伯伍拾弐束伍把 租壱伯参拾捌束肆把 合壱萬陸伯玖拾束玖把」と記され、太(多)神社の神戸が有するは、田租用の138束4把と合わせて1万690束9把という、他社と比べて大きな経済力を持っていた。

延喜式神名帳』では「大和国十市郡 多坐彌志理都比古神社二座」と記され、名神大社に列し、月次相嘗新嘗幣帛に預ると記されている。永治元年(1141年)の『多神宮注進状草案』では神階正一位となっており、「正一位勲一等多大明神」の扁額が一の鳥居及び二の鳥居に掲げられている。一の鳥居は神社から約800m東の近鉄橿原線の線路を越えた寺川沿いにある。

古くは春日宮と称し、現在の社領地は約1万m2余を有するが、『大和志料』によると、天文21年(1552年)、当地の領主・十市遠勝より周囲6四方の土地(約42万m2)を寄進されたとあり、四方に鳥居があったという。

明治時代に多村の郷社に列格し、1923年大正12年)に県社に昇格した。

本殿の後方に「神武塚」と呼ばれる小丘があり、古代の祭祀場もしくは古墳と考えられている。

1972年昭和47年)、当社裏の飛鳥川築堤工事中、境内より縄文時代から古墳時代の遺跡(多遺跡)が発見された。

境内 編集

  • 本殿 - 東西に一間社春日造が4棟並ぶ四殿配祀形式。1977年昭和52年)に檜皮葺から銅板葺に改められた。
    • 第一殿(奈良県指定有形文化財) - 享保20年(1735年)再建。
    • 第二殿(奈良県指定有形文化財) - 享保20年(1735年)再建。
    • 第三殿(奈良県指定有形文化財) - 享保・宝暦年間(1716年 - 1764年)再建。
    • 第四殿(奈良県指定有形文化財) - 享保・宝暦年間(1716年 - 1764年)再建。
  • 中門
  • 拝殿
  • 多神社資料館
  • 社務所
    • 社務所表門

摂末社 編集

境内社

境外社 境外摂社として以下の神社があり、どれも式内社である。『五郡神社記』では本社二座と下記の四皇子神をもって「意富六所神社」と称している。

  • 小杜神社 - 祭神:太朝臣安萬呂、式内小社・小社神命神社
  • 皇子神命神社 - 祭神:皇子神命、式内小社・皇子神命神社(論社)
  • 姫皇子命神社 - 祭神:姫皇子命、式内小社・姫皇子命神社(論社)
  • 屋就神命神社 - 祭神:屋就神、式内小社・屋就神命神社

祭礼 編集

大祭礼は4月第3日曜日で、大連座(おおれんぞ:大和で祭りのことをレンゾと言う)と呼ばれる。旧暦使用の時代では春分の頃、祭礼を行っていたという。

文化財 編集

奈良県指定有形文化財 編集

  • 多坐弥志理都比古神社 本殿4棟 - 1996年(平成8年)3月22日指定[1]

田原本町指定有形文化財 編集

交通アクセス 編集

脚注 編集

  1. ^ 県指定文化財一覧、奈良県、2020年(令和2年)4月1日現在。
  2. ^ 多神社の太安萬侶像、田原本町

関連項目 編集

参考文献 編集

外部リンク 編集