多摩区

神奈川県川崎市の行政区
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多摩区(たまく)は、川崎市を構成する7行政区のうちの一つ。

たまく ウィキデータを編集
多摩区
藤子・F・不二雄ミュージアム
多摩区のシンボルマーク
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
川崎市
市町村コード 14135-6
面積 20.50km2
総人口 225,192[編集]
推計人口、2024年2月1日)
人口密度 10,985人/km2
隣接自治体
隣接行政区
川崎市高津区宮前区麻生区
東京都世田谷区調布市狛江市稲城市
区の木 ナシハナミズキ
区の花 モモスミレ
多摩区役所
所在地 214-8570
神奈川県川崎市多摩区登戸1775番地1
北緯35度37分10.3秒 東経139度33分43.6秒 / 北緯35.619528度 東経139.562111度 / 35.619528; 139.562111座標: 北緯35度37分10.3秒 東経139度33分43.6秒 / 北緯35.619528度 東経139.562111度 / 35.619528; 139.562111
多摩区役所
多摩区役所

地図
区庁舎位置
外部リンク 多摩区役所
川崎市多摩区位置図多摩区位置図
特記事項 世帯数:96,908世帯(2005年12月1日)
ウィキプロジェクト

地理 編集

 
多摩川
 
多摩川(菅野戸呂付近)

川崎市の最北端に位置し、新宿渋谷、岩本町(秋葉原)、大手町(丸の内)、乃木坂など都内との交通網が発達している。また、市内を走る南武線武蔵小杉駅で乗り換えると品川駅東京駅などの都心にも簡単にアクセスができ、利便性に優れている。南武線は川崎〜登戸駅まで、1時間あたりの本数が多い傾向にある。北は多摩川を境に東京都と接する。南には多摩丘陵が広がり、生田緑地は市民の憩いの場となっている[1]多摩川梨で有名である。

一級河川
準用河川
普通河川

気候 編集

川崎市の中でも多摩区は近隣の世田谷区三鷹市などとともに東京都心(千代田区)よりやや寒暖差が大きく、夏は猛暑日、冬は氷点下になることも少なくない。夏の最高気温、冬の最低気温としては、東京湾から同距離(約15-20km)の内陸部にあたる練馬区(アメダス)に近い。

隣接している自治体・行政区 編集

神奈川県
東京都

歴史 編集

先史時代 編集

  • 縄文時代 - 多摩川の川岸に栃の実などを水に晒す作業場が作られる。丘陵上には集落が作られる。
  • 弥生時代 - 丘陵上に大集落が作られる。

古代 編集

中世 編集

近世 編集

  • 1590年 - 多摩川大洪水、流路が大きく北へ変わる。
  • 1609年 - 小泉次太夫六郷用水、稲毛・川崎二ヶ領用水上河原幹線を完成。
  • 1629年 - 筧助兵衛、二ヶ領用水宿河原幹線を完成。
  • 1690年 - 菅村が多摩郡より橘樹郡に編入。
  • 1725年 - 稲毛領52ヶ村が御鷹場となる。
  • 1782年 - 関東地方に大地震
  • 1786年 - 多摩川洪水、猪方村堤(現:狛江市)の堤防決壊。
  • 1787年 - 天明の大飢饉、登戸でも打ち壊しが起きる
  • 1790年 - 多摩川洪水、矢ノ口(現・稲城市)・菅村境の堤防決壊、中野島村では人家が流失、登戸下流では床上4尺の浸水
  • 1791年 - 多摩川流域で梨の栽培が始まる
  • 1809年 - 多摩川出水、堤防120間余大破
  • 1810年 - 宿河原村字船島の稲毛・川崎二ヶ領用塩樋床替、以前の場所より145丁上流になる。
  • 1825年 - 猪方村堤(現:狛江市)8箇所切断、新堤築立
  • 1831年 - 寺子屋が普及
  • 1855年11月 - 安政の大地震
  • 1859年 - 多摩川満水、周辺11ヶ村に被害
  • 明治以前は武蔵国橘樹郡であった。

近代 編集

  • 1868年 - 東京府、神奈川県が設置
  • 1871年 - 廃藩置県。
  • 1875年 - 中野島村が多摩郡より橘樹郡に編入。生田村が成立。
  • 1878年 - 郡区町村編制法により行政区画としての橘樹郡が編成される。
  • 1881年 -この頃より長尾で天然氷の製造が始まる。
  • 1889年4月 - 町村制により橘樹郡に向丘村[注釈 1]稲田村[注釈 2]が成立。橘樹郡生田村に高石村、金程村、細山村が編入[注釈 3]
  • 1889年4月 - 都筑郡に柿生村岡上村が成立。[注釈 4]
  • 1893年9月 - 大師河原(現川崎市川崎区日の出町)で当麻辰次郎が他の梨とは違う品種を発見し「長十郎」と名付ける。
  • 1894年 - 川崎街道が県道となる。
  • 1898年9月 - 多摩川出水、宿河原取入口大破損
  • 1910年 - 多摩川氾濫。稲田村など5ヶ村民が村区域変動で争う。宿河原の一部が切れて、狛江と地続きになる。
  • 1912年4月 - 府県境界変更により多摩川を東京府と神奈川県の境とし、上布田の飛び地、下布田の飛び地、和泉の飛び地が稲田村に編入、宿河原の飛び地が狛江村に転出。
  • 1912年 - この頃より稲田村、生田村で梨・桃の栽培が盛んになる。
  • 1917年5月 - 喜津根坂道路改修竣工。
  • 1920年 - 多摩川砂利鉄道が南武鉄道となる。
  • 1923年9月 - 関東大震災
  • 1924年7月 - 川崎市が成立。(現在の多摩区にあたる地区は橘樹郡のまま)
  • 1926年 - 向ヶ丘遊園開園
  • 1927年 - 小田急線、新宿-小田原間の運転開始、豆汽車開業
  • 1927年 - 神奈川県が「二ヶ領用水改良事業」を計画
  • 1928年 - 登戸郵便局で電話業始まる
  • 1929年12月 - 南武鉄道(現:JR南武線)全通
  • 1932年6月 - 稲田村が町制施行して稲田町となる。
  • 1935年 - 多摩川原橋が開通により、「上布田の渡し」が廃止、「下菅の渡し」と「矢野口の渡し」が結合し「菅の渡し」となる。
  • 1936年 - 「二ヶ領用水改良事業」に基づく用水路工事開始
  • 1938年10月 - 橘樹郡の稲田町、向丘村、生田村が川崎市に編入される。
  • 1939年4月 - 都筑郡柿生村、岡上村を川崎市へ編入。
  • 1940年 - 「堰の渡し」廃止
  • 1941年3月 - 二ヶ領上河原堰の改造工事に着手
  • 1944年 - 南武鉄道が国鉄になる。
  • 1945年6月 - 二ヶ領上河原堰完成

現代(多摩区発足以前) 編集

  • 1949年5月 - 二ヶ領宿河原堰完成(コンクリートの固定堰)
  • 1950年3月 - 豆電車開業
  • 1951年 - 川崎市稲田公民館(後の多摩区民館)完成
  • 1952年5月 - 川崎市稲田公民館に図書室を開設。
  • 1953年 - 「多摩水道橋」完成、「登戸の渡し」廃止
  • 1959年3月 - 東京都水道局長沢浄水場通水
  • 1960年 - 宿河原堤の桜植樹開始
  • 1960年 - 多摩川梨もぎとり連合会発足
  • 1961年 - 登戸電報電話局開設
  • 1962年4月 - 神奈川県稲田警察署開設。
  • 1963年10月 - 稲田図書館開館
  • 1964年 - 稲田保健所ができる。
  • 1964年9月 - 読売ランド開園
  • 1966年4月 - 小田急向ヶ丘遊園モノレール線開通
  • 1966年 - 二ヶ領用水、矢上川、平瀬川などで水があふれ、または決壊、床上浸水の被害。
  • 1966年 - 南武線複線化
  • 1966年 - 多摩川、一級河川に
  • 1967年 - 日本民家園開園
  • 1969年 - 東名高速道路開通
  • 1970年 - 多摩川サイクリングコース開設
  • 1971年4月 - 京王相模原線、京王多摩川駅〜京王よみうりランド駅間(2.7km)開業
  • 1971年8月 - 生田緑地内に川崎市青少年科学館開館[2]

現代(多摩区発足後) 編集

 
生田緑地にある川崎市岡本太郎美術館

人口 編集

  • 1975年 202,647
  • 1980年 233,790
  • 1985年 152,255
  • 1990年 175,570
  • 1995年 187,042
  • 2000年 196,637
  • 2005年 205,389
  • 2010年 213,894
  • 2015年 214,158

町名 編集

多摩区内では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。なお、川崎市の町名の丁目にはアラビア数字が広く使用されているため、町名欄はアラビア数字で統一している。

多摩区役所管内(102町丁)
町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考
菅馬場1丁目 すげばんば 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字馬場耕地、上布田字新田、中野島字樋口・字南耕地の各一部
菅馬場2丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字馬場耕地・字馬場谷・字北浦谷の各一部
菅馬場3丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字馬場谷・字北浦谷の各一部
菅馬場4丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字馬場谷・字北浦谷の各一部
菅稲田堤1丁目 すげいなだづつみ 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字北浦耕地・字野戸呂耕地・字芝間耕地・字馬場耕地の各一部
菅稲田堤2丁目 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字北浦耕地・字馬場耕地の各一部
菅稲田堤3丁目 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字北浦耕地・字馬場耕地、上布田字新田の各一部
菅野戸呂 すげのとろ 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字野戸呂耕地・字北浦耕地・字芝間耕地の各一部
1丁目 すげ 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字馬場耕地・字北浦耕地の各一部
菅2丁目 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字北浦耕地・字芝間耕地の各一部
菅3丁目 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字芝間耕地の一部
菅4丁目 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字芝間耕地・字野戸呂耕地の各一部
菅5丁目 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字芝間耕地・字野戸呂耕地・字北浦耕地の各一部
菅6丁目 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字芝間耕地・字野戸呂耕地の各一部
菅北浦1丁目 すげきたうら 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字北浦耕地・字馬場耕地の各一部
菅北浦2丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字北浦耕地・字馬場耕地・字北浦谷の各一部
菅北浦3丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字北浦耕地・字芝間耕地・字小谷の各一部
菅北浦4丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字北浦谷・字小谷の各一部
菅北浦5丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字北浦谷・字馬場耕地・字小谷の各一部
菅城下 すげしろした 1984年11月5日 1984年11月5日 菅字芝間耕地・字仙石谷の各一部
菅仙谷1丁目 すげせんごく 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字仙石谷・字芝間耕地・字小谷の各一部
菅仙谷2丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字小谷の一部
菅仙谷3丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字小谷・字北浦谷の各一部
菅仙谷4丁目 1985年2月12日 1985年2月12日 菅字仙石谷・字小谷・字北浦谷の各一部
中野島 なかのしま 1938年10月1日 未実施
中野島1丁目 なかのしま 1991年11月25日 1991年11月25日 中野島字南耕地・字北島・字樋口・字北河原、菅字馬場耕地の各一部
中野島2丁目 1991年11月25日 1991年11月25日 中野島字南耕地・字砂川附、登戸字甲耕地・字乙耕地の各一部
中野島3丁目 1991年11月25日 1991年11月25日 中野島字南耕地・字砂川附・字北島・字北河原・字下河原、登戸字乙耕地の各一部
中野島4丁目 1991年11月25日 1991年11月25日 中野島字北河原・字下河原・字中河原・字石河原の各一部
中野島5丁目 1991年11月25日 1991年11月25日 中野島字下河原・字中河原・字石河原、和泉字西南河原の各一部
中野島6丁目 1991年11月25日 1991年11月25日 中野島字北島・字樋口・字北河原・字中河原、下布田字ヌノタの各一部
布田 ふだ 1991年11月25日 1991年11月25日 上布田字新田、下布田字ヌノタ、中野島字樋口・字中河原、菅字馬場耕地の各一部
和泉 いずみ 1938年10月1日 未実施
登戸 のぼりと 1938年10月1日 未実施
登戸新町 のぼりとしんまち 1949年9月9日 未実施
宿河原1丁目 しゅくがわら 1987年11月23日 1987年11月23日 宿河原字七耕地・字八耕地・字九耕地・字拾壱耕地、登戸字辛耕地の各一部
宿河原2丁目 1987年11月23日 1987年11月23日 宿河原字壱耕地の全部と宿河原字弐耕地・字参耕地・字七耕地・字八耕地・字九耕地、登戸字庚耕地の各一部
宿河原3丁目 1987年11月23日 1987年11月23日 宿河原字弐耕地・字参耕地・字四耕地・字七耕地・字九耕地の各一部
宿河原4丁目 1987年11月23日 1987年11月23日 宿河原字九耕地・字拾壱耕地の各一部
宿河原5丁目 1987年11月23日 1987年11月23日 宿河原字六耕地・字九耕地・字拾耕地・字拾壱耕地の各一部
宿河原6丁目 1987年11月23日 1987年11月23日 宿河原字五耕地の全部と宿河原字四耕地・字六耕地・字九耕地、堰字西耕地の各一部
宿河原7丁目 1987年11月23日 1987年11月23日 宿河原字六耕地・字拾耕地・字拾壱耕地の各一部
長尾1丁目 ながお 1975年2月1日 1975年2月1日 高津区長尾字新川、宿河原字参耕地の各一部
長尾2丁目 1975年2月1日 1975年2月1日 高津区長尾字西高根、高津区平字高山、高津区五所塚1、生田字鴛鴦沼の各一部
長尾3丁目 1975年2月1日 1975年2月1日 高津区長尾字西高根・字東高根、高津区五所塚1の各一部
長尾4丁目 1975年2月1日 1975年2月1日 高津区長尾字新川、宿河原字四耕地の各一部
長尾5丁目 1975年2月1日 1975年2月1日 高津区長尾字新川の一部
長尾6丁目 1975年2月1日 1975年2月1日 高津区長尾字東高根の一部
長尾7丁目 1975年2月1日 1975年2月1日 高津区長尾字東高根の一部
1丁目 せき 1988年2月1日 1988年2月1日 堰字北耕地の全部と同字東耕地・字西耕地の各一部
堰2丁目 1988年2月1日 1988年2月1日 堰字東耕地・字西耕地、宿河原字六耕地の各一部
堰3丁目 1988年2月1日 1988年2月1日 堰字東耕地・字西耕地、宿河原字六耕地の各一部
生田1丁目 いくた 1981年10月12日 1981年10月12日 生田字菅生耕地・字寒谷・字土渕、菅字馬場耕地・字馬場谷の各一部
生田2丁目 1981年10月12日 1981年10月12日 生田字土渕耕地・字菅生耕地の各一部
生田3丁目 1981年10月12日 1981年10月12日 生田字土渕耕地・字菅生耕地・字土渕の各一部
東生田1丁目 ひがしいくた 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字飯室・字榎戸・字稲目、登戸字庚耕地の各一部
東生田2丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字飯室・字枡形・字鴛鴦沼の各一部
東生田3丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字鴛鴦沼・字飯室の各一部
東生田4丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字鴛鴦沼・字飯室の各一部
1982年7月1日 生田字鴛鴦沼の一部
枡形1丁目 ますがた 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字北耕地・字明王・字榎戸西・字土渕の各一部
枡形2丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字北耕地・字榎戸西・字榎戸の各一部
枡形3丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字榎戸・字稲目・字榎戸西・字根岸の各一部
枡形4丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字榎戸西・字根岸の各一部
枡形5丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字根岸・字大谷・字東三田の各一部
枡形6丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字稲目・字枡形・字飯室・字根岸・字東三田・字篭馬澤・字飯室谷の各一部
枡形7丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字飯室・字鴛鴦沼・字篭馬澤・字飯室谷・字大谷・字東三田の各一部
東三田2丁目 ひがしみた 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字東三田・字大谷・字根岸・字篭馬澤・字枡形の各一部
多摩区役所生田出張所管内(35町丁)
町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考
寺尾台1丁目 てらおだい 1970年4月1日[† 1] 未実施[† 2]
寺尾台2丁目 1970年4月1日[† 1] 未実施[† 2]
長沢1丁目 ながさわ 1982年5月31日 1982年5月31日 生田字東長沢・字中谷の各一部
長沢2丁目 1982年5月31日 1982年5月31日 生田字東長沢の一部
長沢3丁目 1982年5月31日 1982年5月31日 生田字東長沢・字西長沢の各一部
長沢4丁目 1982年5月31日 1982年5月31日 生田字西長沢・字餅坂・字中谷・字塔ノ越の各一部
生田4丁目 いくた 1981年10月12日 1981年10月12日 生田字土渕・字明王・字寒谷・字西五反田・字東五反田の各一部
生田5丁目 1981年10月12日 1981年10月12日 生田字寒谷・字土渕の各一部
生田6丁目 1981年10月12日 1981年10月12日 生田字北大作の全部と生田字寒谷・字大作、寺尾台1の各一部
生田7丁目 1981年10月12日 1981年10月12日 生田字西五反田・字大作・字寒谷・字土渕・字東五反田の各一部
生田8丁目 1981年10月12日 1981年10月12日 生田字榎戸西・字根岸の各全部と同字東五反田・字西五反田・字土渕・字明王の各一部
南生田1丁目 みなみいくた 1977年2月28日 1977年2月28日 生田字栗谷・字栗谷台・字無入・字四郎左衛門谷・字南大作・字雁俣の各一部
南生田2丁目 1977年2月28日 1977年2月28日 生田字四郎左衛門谷・字立牛・字中谷・字塔ノ越・字雁俣の各一部
1982年5月31日 生田字塔ノ越の一部
南生田3丁目 1977年2月28日 1977年2月28日 生田字立牛・字栗谷台・字四郎左衛門谷・字中谷・字塔ノ越の各一部
南生田4丁目 1977年2月28日 1977年2月28日 生田字塔ノ越・字中谷・字西長沢の各一部
1982年5月31日 生田字塔ノ越・字中谷・字西長沢・字餅坂の各一部
南生田5丁目 1982年5月31日 1982年5月31日 生田字中谷・字東長沢・字西長沢の各一部
南生田6丁目 1982年5月31日 1982年5月31日 生田字中谷・字東長沢・字平野の各一部
南生田7丁目 1982年5月31日 1982年5月31日 生田字平野・字東栗谷・字中谷の各一部
南生田8丁目 1982年5月31日 1982年5月31日 生田字立牛・字栗谷台の各全部と同字東栗谷・字中谷の各一部
西生田1丁目 にしいくた 1978年10月1日 1978年10月1日 生田字北大作・字南大作、菅字馬場谷の各一部
西生田2丁目 1979年10月22日 1979年10月22日 生田字大作・字北大作・字南大作・字西五反田の各一部
西生田3丁目 1979年10月22日 1979年10月22日 生田字栗谷の全部と同字大作・字北大作・字南大作・字無入の各一部
西生田4丁目 1979年10月22日 1979年10月22日 生田字北大作・字南大作・字雁俣・字無入、高石字石神・字水暮の各一部
西生田5丁 1979年10月22日 1979年10月22日 生田字四郎左衛門谷の全部と生田字雁俣・字無入・字塔ノ越、高石字水暮・字三谷の各一部
栗谷1丁目 くりや 1977年2月28日 1977年2月28日 生田字栗谷・字栗谷台・字南大作の各一部
栗谷2丁目 1977年2月28日 1977年2月28日 生田字栗谷・字栗谷台・字立牛・字四郎左衛門谷・字東栗谷の各一部
栗谷3丁目 1977年2月28日 1977年2月28日 生田字栗谷・字栗谷台・字大作・字西五反田の各一部
栗谷4丁目 1977年2月28日 1977年2月28日 生田字栗谷・字栗谷台・字大作・字東栗谷の各一部
三田1丁目 みた 1967年4月1日[† 3] 未実施[† 2]
三田2丁目 1967年4月1日[† 3] 未実施[† 2]
三田3丁目 1967年4月1日[† 3] 未実施[† 2]
三田4丁目 1967年4月1日[† 3] 未実施[† 2]
三田5丁目 1967年4月1日[† 3] 未実施[† 2]
東三田1丁目 ひがしみた 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字根岸・字三田原・字大谷、三田3の各一部
東三田3丁目 1980年11月4日 1980年11月4日 生田字大谷、三田5の各一部
  1. ^ a b 菅土地区画整理事業換地処分公告の翌日
  2. ^ a b c d e f g 町名地番整理実施区域(一部を除く)
  3. ^ a b c d e 東生田土地区画整理事業換地処分公告の翌日

多摩川の両岸に残る地名

かつての上布田村、下布田村、和泉村、宿河原村は多摩川の氾濫によって分断され、多摩川の両側に地名を残している(現在、東京都側の宿河原の地名は消滅している)。

  • 川崎市多摩区布田 - 東京都調布市布田
  • 川崎市多摩区和泉 - 東京都狛江市和泉
  • 川崎市多摩区宿河原 - 東京都狛江市駒井町の一部(旧:狛江町宿河原)

経済 編集

産業 編集

農業 編集

果物 編集

多摩川梨(稲城梨)

  • かつては「稲城梨」として東京市場の名産品として評判であり、1932年に「稲城梨」から「多摩川梨」に名称を変更した。1952年に「多摩川果物協同組合連合会」が設立され「多摩川梨」の生産が拡大された。1960年に「多摩川梨もぎとり連合会」が発足し1980年代までは「梨もぎとり園」も多く存在し観光客も来ていた。現在は生産農家が減り路上販売が主である。
  • 品種の変遷 - 多摩川流域で見つかった品種「長十郎」が多摩川梨の代名詞であったが、後に「二十世紀」と勢力を二分するようになり、1980年代以降は「幸水」「豊水」「新高」「多摩」などが主流品種となっていった。
    • 長十郎、二十世紀、幸水、豊水、菊水、新水、旭、新世紀、新高、新星、稲城、多摩、あきづき

宿河原

  • かつて「宿河原桃」は東京市場の名産品として評判であったが、1961年をピークに生産は減り、1970年代まではまだ主要な農産物であったが、現在は激減した。

その他

  • かつてはブドウミカンビワ等を生産する農家もあったが、現在では農家の庭木などに名残を残すのみとなっている。

野菜 編集

のらぼう菜(野良坊菜)

  • 川崎市多摩区菅地区で自家消費用で栽培されていた洋種ナタネに分類されるアブラナ科の野菜。近年はテレビ、新聞等で取り上げられ、多摩区の新たな名産品となりつつある。
  • 多摩区以外では東京都あきる野市などでも栽培が盛んである。

その他

編集

  • 江戸時代には、良質な稲毛米を産出していた。稲毛の田から「稲田」と言う地名が出来たと言われる。1970年代までは田圃も多く見られたが、現在は数軒の農家を残すのみとなっている。

教育 編集

川崎市のなかでも教育機関が多く、文教都市としての側面がある。

大学 編集

中高一貫校 編集

私立

高等学校 編集

公立

中学校 編集

公立

小学校 編集

私立

公立

交通 編集

鉄道 編集

東日本旅客鉄道(JR東日本)
  南武線
武蔵野線
京王電鉄
  相模原線
小田急電鉄
  小田原線

路線バス 編集

索道 編集

道路 編集

多摩川の渡し 編集

現在は廃止されてしまっているが、多摩川を渡る交通手段として渡し船が存在していた。

  • 菅の渡し - 1935年に矢野口の渡しと下菅の渡しが統合、1973年廃止
  • 下菅の渡し - 1935年廃止
  • 上布田の渡し - 1935年廃止
  • 中野島の渡し - 1935年ころ廃止
  • 登戸の渡し - 1953年廃止
  • 堰の渡し - 1940年廃止

観光 編集

  • 多摩区観光推進協議会
  • 多摩区役所地域振興課

2007年8月に観光地としての多摩区の魅力をPRする為に「多摩区観光大使」が新設され、区内在住の落語家桂米多朗が就任した。

レジャー施設 編集

遊園地 編集

ゴルフ場・ゴルフ練習場 編集

テニスコート 編集

釣堀 編集

野球場 編集

  • 硬式野球場
  • 軟式野球場
    • 川崎市多摩スポーツセンター
  • 少年野球場
    • 稲田公園
    • 多摩川緑地
    • 三田第一公園
    • 南生田公園

プール 編集

神社・仏閣等 編集

遺跡等 編集

公園・その他 編集

祭・イベント 編集

  • 多摩区民祭
  • ふれあい移動水族館(正式名称:ガサガサ水辺の移動水族館、生田在住の川崎河川漁業組合員山崎充哲が責任者となり、依頼があれば場所を問わず各種イベント会場や学校・教室・体育館、子ども会のお祭りなど各地で開設している)

防災 編集

避難所 編集

広域避難場所 編集

  • 多摩川河川敷一帯(稲田公園含む)
  • 生田緑地一帯(川崎国際カントリークラブゴルフ場、長沢浄水場を含む)
  • 西菅公園一帯(西菅公園、菅馬場公園など)

消防 編集

ライフライン 編集

防災情報発信 編集

その他 編集

  • 川崎治水事務所
  • 多摩区土木事務所
  • 多摩防災センター

防犯 編集

警察 編集

多摩区を舞台とする作品 編集

  • 巨人の星 - 巨人軍宿舎が星飛雄馬と伴宙太の生活の場となった。
  • ウルトラセブン - 第8話「狙われた街」でメトロン星人が向ヶ丘遊園駅に自動販売機を設置する。ダンとアンヌが張り込みをしていた喫茶店は現在のケンタッキーフライドチキンの辺り。
  • 飛び出せ!青春 - 向ヶ丘遊園駅北口が生徒たちの最寄駅として多々登場。
  • 仮面ライダーV3 - 少年ライダー隊本部がある(劇中の郵便物に記載がある)。
  • スタジオ・ボロ物語 - 藤子・F・不二雄の自伝漫画。当時藤子不二雄コンビが在住していた生田周辺が登場。
  • 高校教師(1974年版) - 向ヶ丘遊園駅南口にあった「喫茶・林道」が生徒の実家の設定で、登戸駅から向ヶ丘遊園駅周辺が度々登場。
  • ツルモク独身寮 - 窪之内英策の漫画。劇中、小田急線喜多見駅から向ヶ丘遊園駅にかけての風景が登場する。
  • ワタナベ - 窪之内英策の漫画。劇中、向ヶ丘遊園駅周辺の街並み、風景が登場する。
  • ショコラ - 窪之内英策の漫画。漫画に舞台となったケーキ屋の建物のモデルとなったのは登戸の喫茶店「五線紙」(建替前)。
  • 家なき子 - 主人公相沢すずの父、相沢悟志が住んでいたアパートの住所が登戸であった。
  • NHKにようこそ! - 主人公・佐藤達広が暮らす場所として登場。原作者・滝本竜彦が下宿していた場所が小田急線生田駅付近だったことに起因する。(後述)
  • 超人計画 - 原作者・滝本竜彦が生田に下宿した数年間を私小説とした。この体験が彼の作風に繋がる。
  • たまはな - 安原いちるの漫画。稲田堤界隈が舞台。
※川崎市多摩区三田にある東京都水道局長沢浄水場は近未来的な形状であるため「ウルトラマン」や「仮面ライダー」などの特撮ヒーロー番組のロケ地として数多く使われた。
※向ヶ丘遊園も数々の番組のロケ地として使用されていた。
※日本テレビ系列土曜21:00〜21:54の「土曜グランド劇場→Surprise Saturday」の数多くの作品で多摩区各地でロケが行われている。
※整った町並みが多く、映画「口裂け女」など、多数の映画のロケ地として登場している。

著名な出身者 編集

ゆかりの人物 編集

二人ともトキワ荘を退去後、多摩区内に住み創作活動を行っていた。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 長尾村、上作延村、平村、菅生村、下作延村の一部が合併して成立、長尾以外は現在は高津区である
  2. ^ 宿河原村、堰村、登戸村、中野島村、菅村の5ヶ村が合併して成立
  3. ^ この時、編入された村は現在は麻生区
  4. ^ 現在は麻生区
  5. ^ 公式プロフィールでは藤沢市出身となっているが、多摩区の生まれである。
  6. ^ 県議時代の選挙区は麻生区であったが、多摩区生田の生まれである。

関連項目 編集

外部リンク 編集

  1. ^ 多摩区概要-川崎市”. 2023年10月26日閲覧。
  2. ^ a b かわさき宙(そら)と緑の科学館(川崎市青少年科学館)サイエンスプリン”. かわさき宙(そら)と緑の科学館(川崎市青少年科学館)サイエンスプリン. 2023年10月26日閲覧。
  3. ^ 川崎市多摩区:多摩区の概要”. www.city.kawasaki.jp. 2023年10月26日閲覧。
  4. ^ あばれ多摩川発見紀行”. www.ktr.mlit.go.jp. 2023年10月26日閲覧。
  5. ^ 川崎市立図書館のあゆみ”. 2023年10月26日閲覧。
  6. ^ 向ヶ丘遊園モノレール線”. www.hakanaki-jokei.com. 2023年10月26日閲覧。
  7. ^ k-press (2006年6月17日). “川崎市多摩区の登戸駅が一新:南北自由通路とペデストリアンデッキも開通”. k-press. 2023年10月26日閲覧。
  8. ^ 『藤子・F・不二雄ミュージアム』総来館者数450万人を達成 開館から4230日目”. ORICON NEWS. 2023年10月26日閲覧。
  9. ^ 神奈川県川崎市多摩区|女性スタッフの便利屋・何でも屋「クライアントパートナーズ」”. 女性スタッフの便利屋 | 株式会社クライアントパートナーズ. 2023年10月26日閲覧。