多治比 家主(たじひ の やかぬし)は、奈良時代貴族大納言多治比池守の子。官位従四位下鋳銭長官

 
多治比 家主
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 天平宝字4年3月2日760年3月23日
官位 従四位下鋳銭長官
主君 元正天皇聖武天皇孝謙天皇
氏族 多治比氏
父母 父:多治比池守[1]
長野[2]
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経歴 編集

元正朝末の養老7年(723年出羽守を務めていた際、蝦夷征討に功績があった蝦夷52人に対して褒賞を行うように言上し、勅命により蝦夷に対して功績に応じ褒美の授与や叙位が行われた[3]

聖武朝天平9年(737年従五位下因幡守に叙任され、天平12年(740年)従五位上に昇叙され、天平13年(741年鋳銭長官に転じる。孝謙朝にて、天平勝宝3年(751年正五位下、天平勝宝6年(754年)従四位下と昇進している。なお、天平宝字元年(757年)には橘奈良麻呂の乱が発生し、兄弟の犢養・礼麻呂・鷹主が処罰されているが、乱における家主の動静は不明。

天平宝字4年(760年)3月2日卒去。最終官位散位従四位下。

官歴 編集

注釈のないものは『続日本紀』による。

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ 『尊卑分脈』
  2. ^ 『続日本紀』延暦8年12月22日条
  3. ^ 『続日本紀』養老7年9月17日条
  4. ^ 『正倉院文書』2-61

参考文献 編集