多治速比売神社

式内社

多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)は、大阪府堺市南区にある神社延喜式神名帳に記載されている和泉国大鳥郡の式内社である。荒山宮(こうぜんのみや)とも呼ばれ、境内の周りは荒山公園として賑わう。

多治速比売神社
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所在地 大阪府堺市南区宮山台2丁3-1
位置 北緯34度30分7.4秒
東経135度29分52.4秒
座標: 北緯34度30分7.4秒 東経135度29分52.4秒
主祭神 多治速比売命
社格 式内社(小)
郷社
創建 伝・宣化天皇の時代(530年頃)
本殿の様式 三間社入母屋造
別名 荒山宮
例祭 10月5日に近い日曜日
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拝殿
本殿(重要文化財)

歴史編集

和泉国大鳥郡の延喜式内社二十四座のひとつで宣化天皇の時代(530年頃)の創建と伝えられている。明治初年までは総福寺と並存した神宮寺であったが、神仏分離の際神社のみとなった。後に郷社に列せられている。本殿は室町時代の建造物で国の重要文化財に指定されている。境内には13の末社「坂上神社(式内社)、鴨田神社(式内社)、大神社、住吉社、天照社、八幡社、春日社、熊野社、白山社、弁天社、稲荷社、福石社、水天宮」があり、合わせて荒山宮と呼ばれている。

1963年昭和38年)、泉北ニュータウンの造成計画に伴い、社有地の大部分が売却され、住宅や荒山公園が作られた。それにより、当社は境内の整備や拝殿・参集殿等の大改築が行われている。

祭神編集

境内編集

  • 本殿(重要文化財) - 室町時代天文8年(1539年)から天文12年(1543年)の間に再建。本殿は国の重要文化財に指定され、様式は三間社入母屋造で正面に千鳥破風があり大きな向拝があって、それに軒唐破風がついている。向拝柱上部中央の蟇股には龍・雲・浪、左右の蟇股には表面に牡丹・唐獅子、裏面に雲・宝珠、内法長押正面中央の蟇股には桐、右の蟇股には鯱、左の蟇股には山茶花・松・幣が、北と南の側面蟇股には鯉・松・滝・雲がそれぞれ彫られている。向拝の手挟は透彫で左右二個あり、向かって右は右面に芭蕉に蟷螂、左面に水に蓮、向かって左は右面に海藻と貝類、左面に水に花菖蒲が彫られている。向拝の木鼻は獣頭のような変わった珍しい形が付けてある。芭蕉に蟷螂の彫刻は全国でもここだけとされる。解体修理の際、天文8年(1539年)と10年(1541年)の墨書が発見され、文政2年(1819年)の棟札の写しには、天文12年(1543年)2月に再建されたと書かれていたことから天文8年から12年にわたって建てられたことが明らかとなった。
  • 鴨田神社 - 祭神:不詳[1]。本殿に向かって右手にある式内社。1908年明治41年)に泉北郡北上神村太平寺から合祀。
  • 阪上神社 - 祭神:不詳[2]。 本殿に向かって左手にある式内社。1910年(明治43年)に泉北郡久世村平井から合祀。
  • 天照社
  • 大神社
  • 住吉社
  • 拝殿
  • 白山社
  • 熊野社
  • 春日社
  • 弁天社(厳島神社) - 祭神:市杵嶋姫命1907年(明治40年)に泉北郡北上神村大庭寺から合祀。
  • 伊勢神宮遥拝所
  • 吉田民藏宮司の像
  • 金高稲荷社 - 祭神:稲荷魂命
  • 脇門
  • 福石社 - 祭神:福石大神
  • 旧大師堂
  • 八幡社 - 祭神:誉田別命1909年(明治42年)に泉北郡久世村伏尾から、更に1910年(明治43年)に泉北郡久世村和田から合祀。
  • 社務所
  • 儀式殿
  • 参集殿
  • 神館
  • 水天宮

文化財編集

重要文化財編集

  • 本殿

祭事編集

  • 歳旦祭
  • 古武道奉納
  • 福石社神事
  • とんど焼き
    • 1月第3日曜日 午前9時~午後4時まで
  • 節分祭
  • 厄除火焚神事
    • 2月3日 午後7時~
  • 稲荷祭
    • 3月最終の日曜日 午前10時
  • 夏越の大祓式
  • 弁天祭
    • 8月最終の日曜日 午後6時
  • 例大祭
    • 10月5日に近い日曜日 午前9時
    • 氏子によるだんじりや神輿だんじりの宮入等で賑わう
  • 七五三詣
  • 年越の大祓式
  • 月次祭
    • 毎月1日 午前6時

現地情報編集

脚注編集

  1. ^ 加茂別雷命住吉命事代主命武内宿禰命大田田根子大己貴命などとされるがいずれも根拠は不詳。
  2. ^ 坂上氏が祖先の阿知使主を祀ったとされるが社名からの推測であり根拠は不詳。

参考文献編集

  • 大阪府教育委員会 編『重要文化財多治速比売神社本殿修理報告書』1956年
  • 大阪府の歴史散歩編集委員会『新版 大阪府の歴史散歩 下』山川出版社、1990年、181頁
  • 『堺・泉州』第13号 堺泉州出版会、2002年、79-81頁
  • 『堺歴史読本』KADOKAWA、2015年、117頁

関連項目編集

  • 蔀関月 - 江戸時代中後期の大坂で活動した浮世絵師。平井の坂上神社から三十六歌仙扁額が明治43年(1910年)に移された。元は36面あったはずだが、現在は半分のみ残る。この内中務の裏面墨書に「畫者 法橋関月蔀氏」とあり、これ以前に法橋位を得ていたことがわかる。
  • 鈴木貫太郎 - 海軍中将鈴木貫太郎名で「敬神祟祖」と書かれた大きな扁額が残されている。稲荷社に玉垣石も奉納している。また二・二六事件で重症を負った時、多治速比売命が枕元にお立ちになり命を救われたとして、翌年一月にたか夫人と本復祝の参拝をしている。戦後、鈴木神社創建の話が出た際は多治速比売神社の境内が適していると相談があったという。

外部リンク編集