多田野本神社

福島県郡山市にある神社

多田野本神社(ただのもとじんじゃ)は御霊大明神の号を掲げ福島県郡山市逢瀬町多田野にある神社である。毎年大寒近くに行われる寒中の行事などで知られる[1][2]。また、地域に伝わる「多田野の鍬柄舞田植踊」は郡山市指定重要無形民俗文化財に指定されており[3]、境内には文化財の標識が建てられている。

多田野本神社
多田野本神社
所在地 福島県郡山市逢瀬町多田野字宮南66
位置 北緯37度23分48秒 東経140度16分18秒 / 北緯37.39667度 東経140.27167度 / 37.39667; 140.27167座標: 北緯37度23分48秒 東経140度16分18秒 / 北緯37.39667度 東経140.27167度 / 37.39667; 140.27167
主祭神 火之夜芸速男神鎌倉権五郎景正
社格 村社
例祭 6月、11月
地図
多田野本神社の位置(福島県内)
多田野本神社
多田野本神社
多田野本神社 (福島県)
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歴史 編集

詳しい創建年代は不明。物見ケ岳に火の神を祀ったのが始まりで、その後、山中から現在地に遷座したと伝えられる。

逢瀬町は河内源氏が本拠地とした河内国余野川周辺に地形が似ていることから、それにまつわる地名が各地に名づけられたとされ、逢瀬町には逢瀬川を挟んで河内(こうず)と多田野(多田野本神社)があるが、これは河内国と余野川を挟んでその西側にある摂津国の多田院や多田神社の位置関係にあたるとみる説がある[2]

1143年康治2年)、源義家の家臣鎌倉権五郎景政が東北征伐の際にこの地に住んでいた盗賊や大蛇をことごとく退治したことに感謝した村民が、景政やその一族を合わせて祀った。そのため「ごろうのみや様」とも呼ばれている[2]

その後は武運長久の神としても知られるようになり、太平洋戦争前までは、ここで祈願した村内の出征兵は誰ひとりとして死傷することなく全員無事に帰還したといわれている。

また、景政がこの地の災害を防ぐため、山中の霊石に神霊をうつして五穀豊穣を祈願したと伝わることから御霊櫃峠とのつながりも深く、明治時代頃からは毎年6月に関係者が峠付近の風神社、雨神社に参詣する伝統行事が行われている[4]

交通 編集

脚注 編集

  1. ^ “冷水で身清める 郡山で「寒中みそぎ」、無病息災願う”. 福島民友. (2018年1月16日). https://www.47news.jp/1245776.html 2018年8月5日閲覧。 
  2. ^ a b c 郡山市逢瀬町の観光情報(郡山市観光協会)
  3. ^ 郡山のオンリーワン > Vol.21 多田野の鍬柄舞田植踊り保存会”. 郡山市公式ウェブサイト. 郡山市. 2018年8月5日閲覧。
  4. ^ ザ・ウィークリー - ニュース 伝統をつなぐ : 2017年6月”. 週刊郡山ザ・ウィークリー. 株式会社 企画室 コア. 2018年8月5日閲覧。