大中臣豊雄
大中臣 豊雄(おおなかとみ の とよお、生年不詳 - 貞観12年(870年))は、平安時代前期の貴族。阿波守・大中臣宿奈麻呂の曾孫、正六位上・大中臣木村の子。官位は従五位上・神祇大副。
経歴 編集
清和朝初頭の貞観元年(859年)諸社に対して神宝幣帛を奉った際、豊雄は氣比神宮・気多大社の両者に派遣され(この時の官位は正六位上・神祇大祐)、翌貞観2年(860年)例幣使として伊勢大神宮に派遣された[1]。その後神祇少副に昇格するが、貞観3年(861年)神祇伯・中臣逸志らとともに、冒蔭の姧[2]を絶つために大中臣・中臣両氏の絶戸・無身戸を戸籍から除くことを請い、許されて計137烟が除棄された。
貞観5年(863年)従五位下に叙爵し、貞観6年(864年)神祇大副に昇任される。貞観9年(867年)伊勢神宮の祭主となり、貞観11年(869年)従五位上に至る。この間、神官として以下の神事に携わっている。
官歴 編集
『日本三代実録』による。
系譜 編集
「中臣氏系図」(『群書類従』巻62所収)による。
- 父:大中臣木村
- 母:不詳
- 生母不詳の子女
- 男子:大中臣有世
- 男子:大中臣道世
- 男子:大中臣弘蔭