大久保 教平(おおくぼ のりひら、宝永5年8月26日1708年10月9日)- 宝暦11年5月3日1761年6月5日))は、江戸時代旗本寄合大久保教寛の4男として生まれる。荻野山中藩主、大久保教端の弟。江七兵衛。

享保15年(1730年)11月27日、大久保教寛は、長男の教端に家督を譲ったが、この時に教平に3000石を分知した。領地は、駿河国駿東郡3ヶ村・富士郡2ヶ村、相模国愛甲郡妻田村・及川村(現在の厚木市)、半縄村(現在の愛川町)、高座郡当麻村・磯部村(現在の相模原市)、座間宿村(現在の座間市)、大住郡小稲葉村(現在の伊勢原市)。なお、妻田村は、荻野山中藩と相給であった。元文2年(1737年)正月、使番となる。延享3年(1746年)正月~7月28日、近江から北陸の各国(若狭~越後、佐渡)の各地を巡検使として回る。寛延元年(1748年駿府城定番となる。墓所は駒込高林寺。家督は、子の大久保教近(式部、遠江守)が継いだ。   教近の長男大久保教翅は、大久保教倫の養子となり、荻野山中藩を継ぎ、教近の次男江七兵衛教富がこの分家筋の大久保氏を継ぎ、鎌之丞教文、織部教徳、徳蔵(式部)教愛と続き、明治維新を迎える。