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大井 行頼(おおい ゆきより)は、戦国時代武将信濃国岩尾城主。大井行真の子。通称・弾正忠、岩尾弾正とも。

 
大井行頼
時代 戦国時代
生誕 永正6年(1509年
死没 元亀3年7月7日1572年8月15日
別名 大井弾正忠
戒名 了臺院心光道鑑
墓所 武陵山桃源院
氏族 小笠原氏大井氏
父母 父:行真、母:平賀氏
兄弟 行頼、武石三郎信綱(大井大和守信広養子)、女子(耳取城主大井民部室)、兼行(川下五郎)
佐久郡望月城主望月駿河守某の娘
行範(早世)、女子(大井城主大井雅楽助室)、行吉
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信濃国守護代大井氏の庶流・岩尾大井氏の出身。天文5年(1536年武田信虎が信濃佐久郡海ノ口城平賀玄信を攻めた時、玄信を援け相共に防戦した。天文8年(1539年)父が没したため、家督を相続する。

天文12年(1543年武田信玄の侵攻にあい、真田幸隆の勧めに従って佐久郡の他の諸将と共に信玄に降る。その後、天文16年(1547年)佐久郡志賀城攻め、天文17年(1548年上田原の戦いなど、信玄の信濃攻略の先鋒として戦った。天文20年(1551年)武田氏に出仕し(『高白斎記』)、子の行吉を証人として提出している。

永禄4年(1561年川中島の戦いでは、行吉と共に戦った。元亀3年(1572年)7月7日、岩尾城で死去。享年64歳。

参考文献編集

  • 大井敏夫『岩尾家譜(現代語訳)』1996年
  • 田中豊茂「信濃中世武家伝」信濃毎日新聞社 2016年