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地理編集

北は大佐倉干拓、北東は酒々井町印旛沼新田、東は酒々井町酒々井、南東は酒々井町本佐倉、南は将門町、南西は千成、西は飯田、北西は飯田干拓に隣接している。

飛地があり、将門町酒々井町本佐倉酒々井町上本佐倉に隣接している。

小字編集

小字は以下の通り[4]

  • 花輪台(はなわだい)
  • 作の下(さくのした)
  • 大桜(おおざくら)
  • 大御堂(おおみどう)
  • 松山(まつやま)
  • 松山台(まつやまだい)
  • 梨の木(なしのき)
  • 剣谷(つるぎだに)
  • 駒込(こまごめ)
  • 池田(いけだ)
  • 根崎(ねさき)
  • 池下(いけした)
  • 長辺田(ながべた)
  • 鳥井戸(とりいど)
  • 入子(いりご)
  • 浜宿(はまじゅく)
  • 松合(まつあい)
  • 宮下(みやした)
  • 東松合(ひがしまつあい)
  • 嶋下(しました)
  • 将門新畑(まさかどしんはた)

歴史編集

江戸期は大佐倉村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。村高は『元禄郷帳』528石余、『天保郷帳』『旧高旧領取調帳』ともに537石余。なお『旧高旧領』では八幡神社除地・勝胤寺領がそれぞれ20石ずつ見え、ともに天正19年に賜った朱印地である。村の反別は田36余・畑21町余。安政4年『領分村高帳』によれば、高120石余が諸役御免となっており、小物成として夫役1貫105文余・茶園栗代永250文・山銭鐚921文・草銭鐚526文が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。浜宿河岸があり、佐倉城主所替の節御用荷物積場となった。また、同河岸は印旛沼岸交通の要衝で、幕末には水戸天狗党の侵入を防ぐ見張番が置かれた。将門御林は文久年間に一部が武家屋敷地となった。神社は口之宮神社・八幡神社など、寺院は真言宗宝珠院・曹洞宗勝胤寺(印旛郡誌)。なお、佐倉藩主堀田正亮は宝暦2年の惣五郎百回忌にあたり、惣五郎に法名をおくるとともに口之宮神社に合祀し、同社別当宝珠院に対し年々米15俵を下付したという。明治6年千葉県に所属。明治22年内郷村の大字となる[5][6]

沿革編集

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
大佐倉 211世帯 532人

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7][8]

番地 小学校 中学校
1~1907 佐倉市立佐倉東小学校 佐倉市立佐倉中学校
1908~1931 佐倉市立佐倉東中学校

交通編集

鉄道編集

施設編集

  • 大佐倉会館
  • 宝珠寺
  • 住善寺
  • 勝胤寺
  • 観音堂
  • 浅間神社
  • 金比羅神社
  • 麻賀多神社
  • 八幡神社
  • 将門口ノ宮神社

脚注編集

  1. ^ a b 町丁別人口目次”. 佐倉市 (2017年11月1日). 2017年11月22日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月22日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月22日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1397頁
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 177頁
  6. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 178頁
  7. ^ 佐倉市内小学校通学区域”. 佐倉市 (2015年3月24日). 2017年11月22日閲覧。
  8. ^ 佐倉市内中学校通学区域”. 佐倉市 (2015年3月24日). 2017年11月22日閲覧。