大圓寺 (恵那市)

美濃国遠山荘の地頭遠山氏の菩提寺

大圓寺(だいえんじ、大円寺)は、美濃国遠山荘の地頭遠山氏の菩提寺で、南北朝時代建武2年(1335年)から戦国時代の末期の元亀3年(1572年)まで美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市岩村町)に存在した臨済宗妙心寺派の大寺院。武田信玄家臣の秋山虎繁(信友)が岩村遠山氏岩村城を包囲して降伏させた後に、焼討し破壊したため滅亡した。現在は大円寺跡として恵那市指定史跡となっている。[1]

大圓寺
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所在地 美濃国恵那郡遠山荘 
(現・岐阜県恵那市岩村町富田大円寺)
山号 明覚山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
創建年 建武2年(1335年
開山 峰翁祖一
開基 遠山三郎
大圓寺 (恵那市)の位置(岐阜県内)
大圓寺 (恵那市)
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歴史編集

明覚山(みょうかくざん)大圓寺は、京都大徳寺栖真院の末寺として建武2年(1335年)に美濃国恵那郡遠山荘の地頭で岩村城主の遠山三郎が、峰翁祖一を迎え、遠山一族の総力を結集して建立した。建立当時は大応派であった。峰翁祖一は尾張国妙興寺の一世であり、美濃国では大禅寺吉祥寺など数ヶ寺を開創している。

二世は玉林宗璨延文3年(1358年)に大圓寺に嗣住。三世は月菴宗光永和4年(1378年)と続き、四世は宝林清円、五世は進叟性勝応永17年(1417年)室町幕府の四代将軍足利義持が発令した大圓寺住職の辞令が尾張妙興寺塔頭である耕雲院に現存している。このことは大圓寺は林下ではなく室町幕府の保護を受けていた官寺となっていたことを示している。

隆盛を誇った大圓寺であったが、何者かの攻撃によって一時衰微した。(当時、恵那郡中部を占領していた信濃松尾城主の小笠原貞忠からの攻撃か)。それを再興したのが遠山景前である。天文3年(1534年)小笠原貞忠が信濃府中家の小笠原長棟に松尾城を攻められ甲斐へ逐電し恵那郡中部から撤退すると、遠山景前は甲斐恵林寺を再興した名僧明叔慶浚を招き大圓寺は再び勢いを取り戻した。明叔は天文10年(1541年)まで止住した。ちなみに明叔は飛騨国の南部を治めた戦国大名三木直頼の義兄である。

明叔が可児郡御嵩町愚渓寺に去った後の天文12、13年(1543年-1544年)頃希菴玄密禅師が住職となった。希菴は快川紹喜と共に臨済二大徳と言われた高僧で、京都妙心寺で管長職を5度務めた他、恵林寺の住職にもなっている。永禄7年(1564年)の信玄の母・大井の方の13回忌法要は信玄の願いにより希菴により営まれた。

妙心寺に戻った希菴に、遠山氏より大圓寺住職の依頼が再び来た。希菴はこれを受け入れ再び住職となった。信玄は大圓寺に居る希菴に対し、恵林寺へ戻るように再三使者を送り要請したが希菴は応ぜず、「老來一枕黒聒餘、使者敲門頻起予、但恨風流賢守識、閑名幾度上除書」と詩を書いて返答とした。その答辞を見て信玄は激怒し秋山虎繁に命じて希菴の殺害と大圓寺を始めとする遠山領内の全ての寺院の焼討ちを命じた。

元亀3年(1572年)秋山虎繁が率いる甲斐信濃の武田勢が、遠山氏の本拠地である岩村城を攻撃し、岩村城の戦いが行われた。開城から約2週間後の11月26日、大圓寺に対しても武田勢が攻撃するとの噂を聞いて身の危険を感じた希菴は、共の者と寺から逃亡した。これを知った虎繁は刺客3人を送り、彼らは飯羽間村で希菴一行に追付いて、飯羽間川にかかる橋の上で全員を殺害した。ところが半月もたたない内に三人は気が狂ったり、狂った馬から落ちて命を落とした。それに留まらずその5ヵ月後、信玄が死亡している。殺害された希菴らは村人達によって付近に葬られ希菴塚と呼ばれ現存している。

東濃三大名刹(大圓寺・永保寺愚渓寺)の一つと言われ、約15ヘクタールもの広大な敷地と常時100名を越す修行僧が居た大圓寺の建物群は、武田勢に焼かれて、仏像や庭園、遠山氏累代の墓や過去帳をはじめとする書物や絵画などの貴重な文化財、もろとも全て焼失し、歴史の幕を下ろした。 同時期に大圓寺のみならず遠山領内の寺院は悉く武田勢により焼き払われて滅亡した。

歴代住持編集

塔頭編集

  • 東光院
  • 綱宗院
  • 大聖院
  • 栽松庵
  • 倚松軒

出土品編集

  • 大圓寺跡は大藪になっているが、敷地に石垣が所々に残っており、井戸址、敷地址、道路址や発掘された五輪塔が残されている。跡地からは鎌倉・室町時代の古瀬戸系の椿手の骨壺、無釉の印花陶器、天目釉の茶碗や徳利、常滑系甕、瓦器、須恵皿、山茶碗、おろし皿、古井戸柵、木箸、からの渡来銭(周通元宝天禧通宝煕寧通宝天聖元宝)が出土している。

関連事項編集

  • 峰翁祖一は、伊予国湯築城(現在の愛媛県松山市)の豪族河野氏に招かれて河野郷の大通寺に滞在している。やがて峰翁祖一の法嗣である大虫宋岑が伊予河野郷に来たため峰翁祖一は、大圓寺へ帰っている。峰翁祖一が大圓寺で亡くなった後に月菴宗光は、峰翁祖一の法嗣である大虫宋岑を尋ねて伊予河野郷の大通寺を訪れている。

遠山氏関連寺院編集

所在地編集

岐阜県恵那市岩村町富田大円寺 座標: 北緯35度22分11.80秒 東経137度27分43.60秒 / 北緯35.3699444度 東経137.4621111度 / 35.3699444; 137.4621111

脚注編集

  1. ^ 大円寺跡”. 恵那市. 2013年5月15日閲覧。

参考文献編集

  • 『岩村町史』
  • 岩村町教育委員会
  • 花薗大学国際禅学研究所 論叢 第6号

関連リンク編集