大塚光二

日本の野球選手
大塚孝二から転送)

大塚 光二(おおつか こうじ、本名:大塚 孝二〈読み同じ〉、1967年8月26日 - )は、兵庫県神戸市垂水区出身の元プロ野球選手外野手、右投左打)・コーチ。2015年の秋季リーグから2022年シーズンまで、東北福祉大学硬式野球部の監督を務めていた[1]野球解説者

大塚 光二(大塚 孝二)
北海道日本ハムファイターズコーチ時代
(2013年6月25日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県神戸市垂水区
生年月日 (1967-08-26) 1967年8月26日(56歳)
身長
体重
180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1989年 ドラフト3位
初出場 1990年6月19日
最終出場 2001年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

愛称は「ツカやん」「光ちゃん」「ビビ」「ビビビ」[2]。あるいは単に「ツカ」「ツカヤン」とも。また、金本知憲のように東北福祉大学の後輩は「社長」と呼ぶ例もある。

経歴 編集

育英高校に進学してから野球を始め、高校卒業後は東北福祉大学に進学し、同校の硬式野球部で同期の佐々木主浩らと共にプレーし、2年、3年の大学選手権で準優勝。最優秀選手2回、首位打者3回、最多本塁打・最多盗塁1回、ベストナイン5回。「東北福祉大学伝説のキャプテン」と呼ばれて各球団の後輩選手から慕われていた。ルームメイトは金本知憲だった。

1989年のプロ野球ドラフト会議西武ライオンズから3位指名を受け入団。

1990年から一軍出場を果たす。西武黄金期の貴重な控え選手として森祇晶東尾修の両監督に仕えた。特に日本シリーズには滅法強く、印象に残るプレーを見せている。1992年の日本シリーズでは、第6戦の9回表2死、1点ビハインドの場面で四球で出塁すると、続く秋山幸二の右越え安打で一塁から一気に本塁を突き、古田敦也のブロックをかいくぐって左手で本塁にタッチする好走塁で生還。1994年はシーズン出場は15試合だったが、日本シリーズは全試合2番ライトでスタメン出場し、打率.320を記録。

1998年の日本シリーズでは、第5戦から第6戦にかけて6打数連続安打のシリーズ新記録(当時)を樹立し、打率.643の活躍で敢闘選手賞を受賞した。日本シリーズ通算打率(50打席以上)では歴代1位(通算58打数23安打3打点、打率.397)を記録している。

2001年限りで引退後、文化放送およびCS放送J SPORTSで解説者・リポーターを務めた他、金村義明と共に、J SPORTSのプロ野球バラエティ番組である「ガンバレ日本プロ野球!?」の進行役も務めていた。
テレビ朝日とも契約していたが、BS朝日単独放送の出演が多い。テレビ朝日から派遣されて行う東日本放送クリネックススタジアム宮城での中継では、ローカルタレント本間秋彦と息の合ったトークを披露していた。

またそれ以外の活動としては、埼玉県所沢市に本拠地を置く社会人野球チーム「一球幸魂倶楽部」の監督を務めたほか、「コロナベースボールアカデミー湘南平塚校」校長として、子供たちへの野球指導にあたっていた。

2013年より日本ハム一軍外野守備走塁コーチを務めた[3]2014年7月1日より日本ハムファーム外野・守備走塁コーチに担当変更となった[4]。同年10月28日に任期満了につき退団[5]

2015年からは、母校・東北福祉大の特任講師へ就任するかたわら、大学でソフトボールを指導。家族とともに仙台に移住したため、地元の楽天koboスタジアム宮城で開催される東北楽天のホームゲーム中継を中心に、J SPORTS・仙台放送・文化放送で野球解説者としての活動を再開した[6]

その一方で、2015年1月30日には、日本学生野球連盟から学生野球資格の回復を認定[7]。同年7月27日付で、東北福祉大硬式野球部時代の1年先輩・山路哲生から、同部の監督を引き継いだ(山路は総監督に就任)[1]。チームは大塚の監督就任を機に、仙台六大学秋季リーグで2季振りに優勝[8]明治神宮野球大会・大学の部[9]にも「東北3連盟代表」として4年振りに出場したが、立命館大学との1回戦(11月12日)で、打線が桜井俊貴から毎回の18三振を奪われた末に完封負けを喫している[10]。2018年6月17日、第67回全日本大学野球選手権大会決勝で国際武道大学に6-2で勝利し優勝した[11]

2023年1月11日付で監督を退任。教え子には津森宥紀[12]中野拓夢[13]などがいる。後任には山路が8年ぶりに復帰する[14]

2023年から、J SPORTS(2015年度と同様の東北楽天のホームゲーム中継中心)・東北放送TBCテレビTBCラジオ)にて野球解説者としての活動を再開[15]

人物 編集

矢野燿大金本知憲とは同じ大学の同年代(大塚が1学年上、金本は1年浪人後に入学しているため大学では2学年下)であり、互いにプロアマの違いがありながらも監督経験者であることから、三人の監督経験を一括りにして語られることもある[16]

西武入団後は同学年で同じ関西出身の清原和博と仲が良かった。当時、清原と同学年で一軍の野手が少なかったことも背景にある。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1990 西武 24 15 15 6 4 0 0 0 4 0 0 1 0 0 0 0 0 5 0 .267 .267 .267 .533
1991 6 3 3 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2 1 .000 .000 .000 .000
1992 64 104 94 22 32 4 2 0 40 12 4 5 6 0 4 0 0 17 1 .340 .367 .426 .793
1993 78 129 116 9 24 3 1 0 29 8 2 1 9 2 1 0 1 21 1 .207 .217 .250 .467
1994 15 48 45 6 14 1 1 1 20 4 1 1 1 0 2 0 0 9 1 .311 .340 .444 .785
1995 50 87 79 5 19 2 1 0 23 1 2 0 1 0 7 1 0 15 2 .241 .302 .291 .593
1996 25 51 46 5 16 2 0 1 21 8 1 1 0 0 5 0 0 8 0 .348 .412 .457 .868
1997 74 137 115 15 25 6 2 2 41 17 1 1 5 3 9 1 5 32 1 .217 .295 .357 .652
1998 62 144 128 16 37 6 2 2 53 7 1 1 5 0 9 1 2 25 3 .289 .345 .414 .759
1999 50 86 78 4 16 3 0 0 19 10 1 1 2 1 5 0 0 19 3 .205 .250 .244 .494
2000 17 28 26 3 6 3 0 1 12 3 1 1 1 0 1 0 0 12 0 .231 .259 .462 .721
2001 1 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:12年 466 834 747 92 193 30 9 7 262 70 15 13 30 6 43 3 8 166 13 .258 .303 .351 .654

年度別守備成績 編集


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 60 66 0 1 0 .985
1993 72 65 1 1 0 .985
1994 15 27 0 1 0 .964
1995 23 25 0 1 0 .962
1996 6 3 0 0 0 1.000
1997 65 60 4 2 0 .970
1998 53 70 0 2 0 .972
1999 31 32 0 3 0 .914
2000 17 7 0 0 0 1.000
2001 1 2 0 0 0 1.000
通算 343 357 5 11 0 .971

表彰 編集

記録 編集

背番号 編集

  • 23 (1990年 - 2001年)
  • 78 (2013年 - 2014年)

登録名 編集

  • 大塚 孝二 (おおつか こうじ、1990年 - 1991年9月30日)
  • 大塚 光二 (おおつか こうじ、1991年10月1日 - 2001年)

関連情報 編集

出演番組 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 西武などで活躍、大塚光二氏が東北福祉大監督に就任(『スポーツニッポン』2015年7月28日付記事)
  2. ^ 「ビビビ」はゲゲゲの鬼太郎の登場人物「ビビビのねずみ男」に似ていることより。「ビビ」はその短縮形
  3. ^ 2013年1軍コーチングスタッフについて北海道日本ハムファイターズ(2012年11月23日)
  4. ^ [1]
  5. ^ ファームコーチ退団のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2014年10月28日). 2014年10月28日閲覧。
  6. ^ 大塚前コーチ退団後、初めて日本ハムナインと対面-東京スポーツ2015年5月2日閲覧
  7. ^ 元西武監督、甲子園アイドルも!学生野球資格回復を認定(『スポーツニッポン』2015年1月31日付記事)
  8. ^ 東北福祉大2季ぶりV 熊原打ち9回2点差逆転(『日刊スポーツ』2015年10月12日付記事)
  9. ^ 東北福祉大が4年ぶり神宮切符 10回浅沼決めた(『日刊スポーツ』2015年10月27日付記事)
  10. ^ 東北福祉大0封負け…元西武の大塚光二監督ガックリ(『日刊スポーツ』2015年11月13日付記事)
  11. ^ “ビビ”東北福祉大・大塚監督が日本一になるまで…「なめてる選手はベンチに入れない」
  12. ^ “2019/10/17 硬式野球部硬式野球部・津森投手がソフトバンク3位指名/プロ野球ドラフト”. 東北福祉大学. (2019年10月17日). https://www.tfu.ac.jp/club/baseball/s9n3gg000000pirt.html 2023年4月27日閲覧。 
  13. ^ “阪神中野拓夢の恩師、東北福祉大・大塚監督「言うことを聞かない子でした」”. 日刊スポーツ. (2021年6月16日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202106150000845.html 2023年4月27日閲覧。 
  14. ^ “東北福祉大の大塚光二監督が退任し、山路哲生氏が復帰/仙台六大学”. サンケイスポーツ. (2023年1月13日). https://www.sanspo.com/article/20230113-JL7N6NR2ORKONK5PI62VM4O4M4/ 2023年1月13日閲覧。 
  15. ^ 但しJ SPORTSでは本名の「大塚孝二」名義、東北放送では登録名の「大塚光二」で紹介されており表記ゆれが生じている。
  16. ^ “仙台と山形をつなぐ夢”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年6月8日). https://www.daily.co.jp/tigers/yoshida/2023/06/08/0016446604.shtml 2023年6月29日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集