大学病院停留場

日本の長崎県長崎市にある長崎電気軌道の路面電車停留場

大学病院停留場(だいがくびょういんていりゅうじょう、大学病院電停)は、長崎県長崎市浜口町にある、長崎電気軌道路面電車停留場である。駅番号は211号系統2号系統3号系統が停車する。

大学病院停留場
停留場全景
だいがくびょういん
University Hospital
20 原爆資料館 (0.2 km)
(0.4 km) 浦上駅前 22
所在地 長崎県長崎市浜口町2番5号先
北緯32度46分8.56秒 東経129度51分51.06秒 / 北緯32.7690444度 東経129.8641833度 / 32.7690444; 129.8641833 (大学病院停留場)
駅番号 21
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(1号系統・□2号系統3号系統
キロ程 2.7km(住吉起点)
赤迫から3.0 km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
2,800人/日
-2015年-
開業年月日 1947年昭和22年)5月16日*
備考 * 前身となる停留場は1915年開業
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停留場名が示す通り、長崎大学病院の最寄りとなる停留場である[1]

歴史 編集

当停留場の開業は第二次世界大戦後の1947年昭和22年)のことであるが、戦前にも長崎大学病院(旧県立長崎病院)前に停留場が設置されていた。ここではこの停留場についても扱う[2]

長崎電気軌道の路線は1915年大正4年)11月に営業を開始[3]、このとき当地には病院下停留場(びょういんしたていりゅうじょう)が開業した[4][5]。当時の路線は浦上駅前から専用軌道となり、東寄りに迂回して病院下(現在の長崎大学歯学部正門より長崎北郵便局方面へ50メートルの地点。北緯32度46分7.6秒 東経129度51分58.2秒)へと至っていた[4][6]。停留場名は県立長崎病院の下にあったことに由来する[6]。開業当時の路線は病院下までで、それより先に路線が伸びたのは1920年(大正9年)のことであった[6][7]

1923年(大正12年)ころには病院前停留場(びょういんまえていりゅうじょう)へ改称[5]、その後再び病院下、さらに再び病院前へと改称を繰り返した[8][9]1945年昭和20年)8月9日には原爆投下を経験[10]。長崎電軌の路線は全線不通となり[10]、当地で路線が復旧したのは2年後の1947年(昭和22年)[7]。このとき浦上駅前から浜口町までの区間は都市計画に基づき軌道が一直線に敷かれることになり、戦前の東寄りへ迂回していたルートは廃止された[4][11]

当停留場はこの新線開通に合わせて新線上に開業した停留場である[12]。当時の停留場名は岩川町停留場(いわかわまちていりゅうじょう)だった[5]1954年(昭和29年)には停留場を浜口町寄りに移設、このとき大学病院前停留場(だいがくびょういんまえていりゅうじょう)に改称した[12]。「前」を外して大学病院停留場に改称したのは2018年平成30年)のことである[13]

年表 編集

構造 編集

停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが設けられる[16][17]。ホームは2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに設けられる(相対式ホーム[16][17]。線路の東側にあるのが長崎駅前方面行き、西側にあるのが赤迫方面行きのホーム[17]。かつてはホームに横断歩道橋が接続していたが、交通渋滞の緩和のため1999年に撤去[1][18]、合わせてホームの延長やかさ上げなど停留場も改修された[19]

停留場の原爆資料館寄りには上下線の渡り線がある[17]。平常のダイヤでは利用されないが、貸切車両や臨時便の方向転換に利用される。

戦前の病院前停留場は道路を挟んで上下のホームが設けられていた[6]。ホームの幅は3.13メートルあり、上屋[12]やベンチを備えたほか、操車員の詰所も置かれていた。

利用状況 編集

長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。病院への通院者、見舞客の利用も多い[1]

  • 1998年 - 3,044人[1]
  • 2015年 - 2,800人[20]

周辺 編集

長崎大学病院のほか、長崎大学医学部・歯学部が近い[1]。停留場の前には長崎北郵便局もある[12]

隣の停留場 編集

長崎電気軌道
本線(1号系統・2号系統・3号系統)
原爆資料館停留場(20) - 大学病院停留場(21) - 浦上駅前停留場(22)

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 田栗 & 宮川 2000, p. 51.
  2. ^ 100年史, p. 127 では両停留場を合わせて一つの停留場として扱っている。
  3. ^ 田栗 2005, p. 144.
  4. ^ a b c d e f g h 100年史, p. 129.
  5. ^ a b c d e f g h i 今尾 2009, p. 57.
  6. ^ a b c d 田栗 & 宮川 2000, pp. 87–88.
  7. ^ a b c d e f 田栗 2005, p. 157.
  8. ^ 100年史, p. 127.
  9. ^ 今尾 2009, p. 57 では1944年以降さらに大学病院前へ改称したとする。
  10. ^ a b 田栗 & 宮川 2000, p. 96.
  11. ^ a b 田栗 & 宮川 2000, p. 98.
  12. ^ a b c d 田栗 2005, p. 46.
  13. ^ a b 電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年4月4日閲覧。
  14. ^ 100年史, p. 198.
  15. ^ 浅野孝仁 (2018年7月31日). “長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから”. 毎日新聞(地方版・長崎) (毎日新聞西部本社): p. 23 
  16. ^ a b 100年史, p. 130.
  17. ^ a b c d 川島 2013, p. 47.
  18. ^ 100年史, p. 109.
  19. ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 53.
  20. ^ 100年史, p. 124.

参考文献 編集

  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2 
  • 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6 
  • 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2 
  • 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4 
  • 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。 

関連項目 編集