大宝城(だいほうじょう)は、現在の茨城県筑西市下妻市大宝に所在した、平安時代末期から南北朝時代にかけての平城。1934年(昭和9年)5月1日、「大宝城跡」として国史跡に指定された[1]茨城百景にも選定されている[2]

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大宝城
茨城県
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 下妻長政
築城年 1232年(寛喜4年/貞永元年)
主な城主 下妻氏、小山氏
廃城年 不明
遺構 曲輪土塁空堀
指定文化財 国の史跡
位置 北緯36度12分12.0秒 東経139度58分21秒 / 北緯36.203333度 東経139.97250度 / 36.203333; 139.97250
地図
大宝城の位置(茨城県内)
大宝城
大宝城
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概要編集

1232年(寛喜4年/貞永元年)に下妻長政が築いた城である。1341年(南朝:興国2年/北朝:暦応4年)に、春日顕国興良親王を奉じて大宝城に入城した。

平安時代末期には下妻氏が居城し、鎌倉時代初期には小山氏が居城したといわれる。南北朝時代には、下野の小山氏一族の下妻氏が在城していたという。

近隣にあった関城とともに南朝方の拠点であったが、北朝方の標的となり、いわゆる「関城・大宝城の戦い」という攻防戦が発生したことで知られる。

なお、大宝城がいつ廃城に至ったかについてはよくわかっていない。現在、城跡には土塁空堀などが残存し、また「大宝八幡宮」が所在する。

文化庁は、この城跡について、次のように解説している[3]

東西北ノ三面断崖元大寶沼タリシ水面ニ臨メル要害ノ地ニアリ世々下妻氏ノ居城タリ興國二年十一月春日中將顯時興良親王ヲ奉シ小田城ヨリコヽニ移リ関城ト相呼應シテ賊軍ニ對抗シ城陷ルニ及ヒ城主下妻政泰節ニ死シ以後廢城ナレリ 南ヲ大手トシ北ヲ本丸トス南方ニ土壘猶ホ存シ壕ハ今埋メラレテ縣道トナレリ北方又殘壘壕阯ヲ存ス舊ノ本丸阯トスル地点ニ縣社八幡宮ノ祠宇アリ ソノ宮寺阯土壘及井戸阯等ヲ存シ舊規ノ見ルヘキモノアリ 大寶沼ハ大寶関兩城城壕ニ擬セラレタルモノニシテ防禦上重要ノ使命ヲ有セシモノナリ 明治大正ノ間ニ亘リ排水耕地整理シ今水田タルモ尚舊形ヲ存ス

脚注編集

  1. ^ 大宝城跡 - 茨城県教育委委員会
  2. ^ 「茨城百景」茨城県公式HP
  3. ^ 国指定文化財等データベース - 文化庁