大宮神社(おおみやじんじゃ)は、大阪市旭区大宮にある神社。旧社格村社源義経による創建である。

大宮神社

拝殿
所在地

大阪府大阪市旭区大宮3丁目1-37

地図
位置 北緯34度43分31.9秒 東経135度32分42.4秒 / 北緯34.725528度 東経135.545111度 / 34.725528; 135.545111 (大宮神社 (大阪市旭区))座標: 北緯34度43分31.9秒 東経135度32分42.4秒 / 北緯34.725528度 東経135.545111度 / 34.725528; 135.545111 (大宮神社 (大阪市旭区))
主祭神 応神天皇神功皇后姫大神など
社格村社
創建 寿永元年(1185年
本殿の様式 三間社流造
例祭 7月・10月
主な神事 大宮えびす祭、夏まつり、秋まつり
地図
大宮神社の位置(大阪府内)
大宮神社
大宮神社
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歴史 編集

伝承によれば、寿永元年(1185年)2月に平家追討の最中であった源義経がこの地で宿を取ったところ、宇佐八幡神の霊夢を見、目覚めるとの木にがかかっていた。それを手にした義経は軍神であり源氏氏神でもある八幡神の力を得たとばかりにその鏡を奉じて平家を打ち滅ぼした。このことを後鳥羽天皇に奏上すると神社の建立を許され、この地に大宮八幡宮を建立したとする。摂津誌には「南島神社」と記されている。

天正11年(1583年)に羽柴秀吉によって大坂城が築かれると大坂城の鬼門守護神とされ、秀吉の保護を受けて境内の整備が行われた。毎年1月、5月、9月には幣帛を献じられ大いに栄えた。

江戸時代にも引き続いて大坂城の鬼門守護神とされ、大坂城代の交代時には当社への参拝が行われた。他にも毎年1月には初穂料、5月、9月には大幣を献じられたが、社殿などは年を追って衰微していった。しかし、天明年間(1781年 - 1789年)、寛政年間(1789年 - 1801年)に祠官廣渕善直が社殿・境内の復旧に努めて中興し、従五位下に叙せられている。

明治時代になると村社に列せられている。

明治時代の末期に近辺にあった十五神社(十五社大神が祀られていた)や森小路神社などの7社を合祀したため、非常に数多くの神々が祀られることとなった。そのために1912年(明治45年)4月には大宮八幡宮の名称を大宮神社と改め、鳥居に掛かっていた「大宮八幡宮」の額が下ろされた。現在ではその額は神輿庫に保管されている。

2020年令和2年)5月、修復中の摂社・高良社より等身大の豊臣秀吉(豊国大明神)坐像が発見された。社伝では大坂夏の陣の際に大坂城より運ばれたものであるとされていたが、制作は17世紀中頃のようである。束帯姿で像高は81.9センチメートルあるが、頭上の冠は無くなっている。近現代に作られた秀吉像を除けば最大である。文政6年(1823年)には、当時秀吉の人気が高まっていたこともあって当社で秀吉像の御開帳が行われている。この後、高良社に移されたようである。

祭神 編集

境内 編集

摂末社 編集

祭事 編集

  • 大宮えびす祭・1月、夏まつり・7月、秋まつり・10月等

文化財 編集

大阪市指定有形民俗文化財 編集

  • 伝豊国大明神坐像 - 2021年(令和3年)3月28日指定。近代の大阪では秀吉が篤く信仰されていたが、その信仰を物語る史料は希少であり、重要な彫像である。

大阪市指定有形民俗文化財 編集

  • 大宮神社神像群一括 6軀 - 2023年(令和5年)5月16日指定。
    • 男神坐像 - 束帯姿で元文2年(1737年)の奉納銘があるが、制作年代は中世にさかのぼる。大阪市域でも古様な神像の作例である。
    • 稲荷神立像及び二狐 - 老相の稲荷神である。
    • 童子形神立像 - 仁徳天皇像として祀られていた可能性がある。
    • 鎮宅霊符像 - 北斗社の神体であった可能性がある。

交通アクセス 編集

参考文献 編集

  • 角川日本地名大辞典 27 大阪府 角川書店
  • 大宮神社由緒書

外部リンク 編集