大島 文彦(おおしま ふみひこ、1886年明治19年〉11月10日[1][2] - 没年不明[2])は、大正から昭和時代前期の政治家宮崎県延岡市長。

大島 文彦

経歴 編集

大分県大分郡竹中村(現・大分市竹中)出身[1]1909年(明治42年)10月、裁判所書記試験及第[1]1911年(明治44年)3月、大分県属となる[1]

1920年(大正9年)7月に宮崎県属に転じ、1923年(大正12年)3月に同県宮崎郡長、1924年(大正13年)8月に同県児湯郡長を経て、1926年(大正15年)7月、地方事務官に任官する[1]。同年10月より大分市助役を3期務め、1937年(昭和12年)4月、延岡市助役に転じ、同年9月に同市市長に就任した[1]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 帝国自治協会 著『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458365 
  • 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304