大崎雄太朗
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大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 - )は、茨城県つくば市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。愛称は「チャキ」。
![]() 2016年4月23日、西武プリンスドームにて | |
基本情報 | |
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国籍 |
![]() |
出身地 | 茨城県つくば市 |
生年月日 | 1984年10月18日(35歳) |
身長 体重 |
169 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト6巡目 |
初出場 | 2007年9月24日 |
最終出場 | 2016年4月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴編集
プロ入り前編集
8歳から地元つくば市の茎崎ファイターズで野球を始める。以前から始めていた柔道を10歳まで両立していた。中学からは竜ヶ崎リトルシニアに所属。同学年に神戸拓光がいる。中学3年時、陸上走り幅跳びで茨城県総体2位に入る。
常総学院高等学校では1年春から1番二塁手のレギュラーを獲得(2年夏より外野手転向)。同学年には、後に青山学院大学でもともにプレーする横川史学(楽天→巨人)、1学年下に坂克彦(近鉄→楽天→阪神)がいる。2年生時の春の選抜甲子園大会の優勝、2年夏ベスト32、3年夏ベスト16と3度の甲子園を経験。2年夏の選手権大会茨城県予選準決勝では9回1アウトから同点ホームラン、3年夏の選手権大会の茨城県予選決勝では、水戸商の長峰昌司(中日→オリックス)から決勝3ランを放つ。
高校通算22本塁打、甲子園通算11試合出場、33打数10安打、打率.303。
青山学院大学では1年春からレギュラーを獲得。2年からは1番打者に定着した。3年春季リーグ戦から3年春・秋4年春と、円谷英俊、高市俊、横川史学などとともにリーグ3連覇を達成する。最終学年時に通算100安打(史上13人目)を達成。3年時に全日本大学選手権で優勝、そして4試合17打数11安打の大会タイとなる安打数で(6割4分7厘)首位打者を獲得、3年秋リーグ戦でベストナインを獲得した。
リーグ戦通算94試合出場、355打数100安打、打率.282、10本塁打、40打点。全国大会通算11試合で46打数20安打、打率.438、3本塁打。2005年日米大学野球日本代表、全日本大学選手権優勝2006年全日本大学選手権準優勝。
プロ入り後編集
2006年11月21日に行われた大学生・社会人ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから6巡目で指名された。同年のドラフトでは大﨑のほか、横川史学(楽天、巨人)、円谷英俊(巨人)高市俊(ヤクルト)が指名を受ける。青山学院大学硬式野球部から同時に4名指名されたのは10年ぶり2回目。後に2008年に楠城祐介(楽天→ヤクルト)が指名され青学大同級生5人がプロ野球選手となった。
2007年、二軍で主力選手として起用され、打率.274、3本塁打、5盗塁の成績だった。シーズン終盤に一軍に初昇格し、5試合で1番・右翼手のスタメン出場を経験した。
2008年、二軍でイースタン・リーグ4位の打率.311、5本塁打、13盗塁を記録した(9月度月間MVP、二軍の優秀選手を受賞)。
2009年、開幕前のWBC日本代表との強化試合で岩隈久志からホームランを放ち、その後も韓国戦4安打、台湾戦3安打、中国戦2安打と4試合10安打を記録。開幕一軍入りは逃したが、5月上旬に一軍に昇格すると5月31日の読売ジャイアンツ戦で10回裏マーク・クルーンからサヨナラ安打を放ち、プロ初打点が初サヨナラ打となった。6月10日の阪神タイガース戦では9回裏にジェフ・ウィリアムスから代打でサヨナラ押し出し四球を選び、プロ2打点目もサヨナラとなった。この年は75試合に出場し打率.275を記録。同年に行われたU-26 NPB選抜 対 大学日本代表にNPB選抜の一員として出場した。
2010年4月20日、9年間交際していた一般人の女性と結婚することが発表された。4月28日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(西武ドーム)、5回裏に唐川侑己から右越ソロプロ初本塁打を記録。6月4日対ヤクルト戦を最後に抹消され、その後は一軍の出場機会はなかった。二軍ではシーズンを通して3割をキープ。二塁を主に守った。
2011年7月に長男が誕生。8月19日に一軍に昇格すると初先発で3安打を記録。主に代打としてシーズン終了まで一軍に定着。代打成績10打数4安打.400を記録。クライマックスシリーズでは右足小指と薬指を10月17日に死球で骨折しながらも強行出場し、5試合11打数3安打2打点の成績を残した。
2012年、自身初の開幕一軍入りを果たし、6月からレギュラーに定着し、自己最多の107試合に出場した。6月の月間打率は.375だった。クライマックスシリーズでは3試合全てに先発出場し、全てでヒットを放つ。3試合9打数3安打2打点。
2013年、自身二度目の開幕一軍入りを果たしたが、4月2日に出場1打席で二軍へ抹消される。4月27日に再び一軍へ昇格すると同29日対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で満塁から代打で出場し高堀和也から2点タイムリーヒットを放ち、この試合のヒーローになった。5月11日の対福岡ソフトバンクホークス戦で8回裏に代打でヒットを放つと、9回表に公式戦自身初の二塁を守った。翌12日には自身初の4番ライトで出場し、4打数2安打2打点を記録した。交流戦では、出場23試合51打数17安打を放ち規定打席には届かなかったが、打率.333を記録。8月17日の楽天戦では、9回2死1.2塁から代打で出場し左腕金刃からライト前へサヨナラヒットを放った。サヨナラ安打は自身三度目(サヨナラ四球含む)。9月10日に一軍登録を抹消され、シーズン中に再昇格はできなかった。主に代打や右腕のスタメンとして84試合の出場し打率.250を記録した。
2014年、3年連続で開幕一軍入りを果たす。4月17日の千葉ロッテマリーンズ戦で南昌輝から自身初の代打ソロ本塁打を放つ。3、4月は14安打打率318を記録。5月3日の対ロッテ戦では自身初の一塁手として先発出場。5月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦では自身初の三塁手として出場。5月20日、交流戦過去9年間150打席以上の現役選手の中で通算打率.352は12球団1位を記録[1]。7月27日に一軍の出場登録を抹消された。2014年は代打が主な仕事で前半戦のみの出場だったが、出場51試合で打率.248、代打での成績は32試合29打数9安打4打点.321を記録した。
2015年、春季キャンプから二軍スタートし、オープン戦にも一軍に呼ばれる事なく二軍で開幕を迎える。5月7日に一軍へ出場登録され5月12日の対日本ハム戦で初スタメンを迎えると、一打席目に右翼スタンドへ決勝点となる本塁打を放つ。6月11日対広島戦で代打で右前安打を放ったのを最後に出場登録から外れた。8月7日に一軍へ再昇格。9月2日対ソフトバンク戦では8回裏1対2のビハインドで迎えた2死一・二塁で代打で出場し五十嵐から右前同点適時打を放つ。9月4日対ロッテ戦1対1延長10回表2死2塁で代打出場し益田から左中間へ決勝適時二塁打を放つ。9月6日対ロッテ戦も益田から追加点となる代打での適時打を放った。この年は打率.219、代打では47試合中31試合に出場。26打数8安打5打点、打率.308を記録。二年連続で30試合以上の代打出場で3割を記録した。自身最高の得点圏打率.318を記録している。
2016年、2年続けて春季キャンプからオープン戦共に一軍に帯同することなく二軍で開幕を迎える。4月22日に出場登録されるが、4試合6打席5打数無安打を記録し一週間で二軍に降格。以降は一軍への昇格はなかった。二軍での成績は50試合の代打出場で3年連続代打打率3割を記録している。80試合出場、打率.286 1本塁打 11打点を記録。
2017年、3年続けて春季キャンプを二軍で迎える。二軍オープン戦は打率.450を残し、2014年以来の一軍オープン戦に2試合スタメン出場を果たしたが、7打席無安打に終わった。10月6日、球団事務所にて戦力外通告を受け現役を引退した。
現役引退後編集
2017年12月から、YCP solidiance(多国籍コングロマリット・プライベート・エクイティファンド)に勤務している[2]。
2019年11月1日、一般社団法人・日本プロ野球選手会はプロ退団選手を対象としたキャリアサポートのための研修会を東京にて初開催した。当会にプロ野球OB講師として現公認会計士の奥村武博氏と現立正大学准教授の西谷尚徳氏と共に出席した。
選手としての特徴・人物編集
小柄ながらミートポイントまでボールを呼び込み、鋭いスイングで角度のある打球を生み出すスラッガー[3]。
常総学院高校と青山学院大学には、スポーツ推薦(いずれも事実上の自己推薦)で入学[2]。学生時代には、高校1年時の春季大会から大学4年時の秋季リーグ戦まで、全ての公式戦に出場していた。もっとも、大学4年時の秋には、あえて就職先を決めずにドラフト会議での指名を待った。大﨑は現役を引退した後に、「西武に指名されていなかったら大学を卒業してから路頭に迷っていたかもしれないが、当時は『大学から社会人野球に進んでNPBからの指名を待ったところで、指名される可能性はない』と思っていたので、自分で退路を断った」と述懐している[2]。
次男・大二朗は常総学院時代は第85回全国高等学校野球選手権大会優勝時のメンバー(捕手)で、東京ガスで2012年までプレーしており、三男・健吾も第94回全国高等学校野球選手権大会に常総学院の1番打者として出場したことで、3兄弟揃って甲子園スタメン出場を果たした。
現役引退を表明した直後には、知人や西武球団の関係者から仕事を紹介されたが、「履歴書を仕上げるところから自分で仕事を選びたい」との理由で固辞。『会社四季報』を通じた業界研究をきっかけに、志望業種をM&A[4]関連企業やコンサルティング企業に絞り込んだうえで、およそ30社に履歴書を送った末にYCP Japanへ入社した。大﨑によれば、自分の意思と行動によって進学先(高校や大学)を決めてきたことや、企業経営者を取り上げることの多いテレビドキュメンタリー(『プロフェッショナル 仕事の流儀』や『日経スペシャル カンブリア宮殿』)を現役時代の2007年頃から10年間にわたって録画で視聴していたことが役に立っているという。YCP Japanへの入社後には、「『元プロ野球選手』という肩書だけでは(野球以外の業種での仕事や一般企業への就職活動で)通用しないが、『次の仕事を見付けるまでがプロ野球選手』だと思う」と述べている[2]。
詳細情報編集
年度別打撃成績編集
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 西武 | 7 | 25 | 21 | 2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | .190 | .261 | .238 | .499 |
2008 | 5 | 9 | 9 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .111 | .111 | .222 | .333 | |
2009 | 75 | 188 | 160 | 18 | 44 | 13 | 1 | 0 | 59 | 14 | 2 | 0 | 13 | 0 | 11 | 1 | 4 | 30 | 1 | .275 | .337 | .369 | .706 | |
2010 | 28 | 67 | 62 | 7 | 15 | 6 | 0 | 1 | 24 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 2 | 12 | 0 | .242 | .288 | .387 | .675 | |
2011 | 36 | 86 | 72 | 7 | 22 | 4 | 0 | 0 | 26 | 5 | 3 | 0 | 6 | 0 | 7 | 0 | 1 | 8 | 2 | .306 | .375 | .361 | .736 | |
2012 | 107 | 298 | 260 | 22 | 70 | 15 | 1 | 1 | 90 | 22 | 1 | 0 | 10 | 4 | 17 | 1 | 7 | 27 | 4 | .269 | .326 | .346 | .673 | |
2013 | 84 | 208 | 184 | 14 | 46 | 6 | 0 | 1 | 55 | 13 | 0 | 0 | 5 | 3 | 11 | 0 | 5 | 29 | 5 | .250 | .305 | .299 | .604 | |
2014 | 51 | 113 | 101 | 6 | 25 | 3 | 0 | 1 | 31 | 10 | 1 | 1 | 5 | 1 | 5 | 0 | 1 | 14 | 3 | .248 | .287 | .307 | .594 | |
2015 | 47 | 85 | 73 | 2 | 16 | 3 | 0 | 1 | 22 | 9 | 0 | 0 | 2 | 3 | 5 | 1 | 2 | 16 | 0 | .219 | .277 | .301 | .578 | |
2016 | 4 | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .166 | .000 | .000 | |
NPB:10年 | 444 | 1085 | 947 | 78 | 243 | 52 | 2 | 5 | 314 | 77 | 7 | 1 | 44 | 11 | 60 | 3 | 23 | 141 | 15 | .257 | .313 | .332 | .645 |
年度別守備成績編集
年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 外野 | ||||||||||||||||||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
2007 | - | - | - | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2008 | - | - | - | 4 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2009 | - | - | - | 57 | 83 | 0 | 1 | 0 | .988 | |||||||||||||||
2010 | - | - | - | 20 | 31 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2011 | - | - | - | 18 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2012 | - | - | - | 80 | 133 | 2 | 2 | 1 | .985 | |||||||||||||||
2013 | - | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | .667 | - | 47 | 62 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
2014 | 4 | 25 | 1 | 0 | 4 | 1.000 | - | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 9 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2015 | - | - | - | 17 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2016 | - | - | - | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
通算 | 4 | 25 | 1 | 0 | 4 | 1.000 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | .667 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 259 | 373 | 2 | 3 | 1 | .992 |
記録編集
- 初出場:2007年9月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(フルキャストスタジアム宮城)、8回表に細川亨の代打で出場
- 初打席:同上、8回表に岩隈久志の前に空振り三振
- 初先発出場:2007年9月27日、対北海道日本ハムファイターズ23回戦(西武ドーム)、1番・右翼手で先発出場
- 初安打:同上、1回表にライアン・グリンから三塁内野安打
- 初打点:2009年5月31日、対読売ジャイアンツ2回戦(西武ドーム)、10回裏にマーク・クルーンから中前サヨナラ適時打
- 初盗塁:2009年7月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(クリネックススタジアム宮城)、2回表に二盗(投手:永井怜、捕手:中谷仁)
- 初本塁打:2010年4月28日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(西武ドーム)、5回裏に唐川侑己から右越ソロ
背番号編集
- 0 (2007年 - 2012年)
- 9 (2013年 - 2017年)
登場曲編集
- 阿部真央 「I wanna see you」 (2009年)
- N‐Trance Feat. Ex-It「STAYIN' ALIVE (Night Fever Mix)」 (2009年)
- Superfly 「Dancing On The Fire」 (2010年)
- FUNKY MONKEY BABYS 「ヒーロー」 (2011年 - 2015年)
- サザンオールスターズ「アロエ」(2015年シーズン途中‐)
代表歴編集
脚注編集
- ^ “<プロ野球>交流戦10周年 最強はホークス、最弱は?”. livedoor News. (2014年5月20日) 2014年5月27日閲覧。
- ^ a b c d 『週刊ベースボール』2017年12月25日号「セカンドキャリアの球人力」pp.92 - 94
- ^ 『プロ野球カラー名鑑2007』ベースボールマガジン社、2007年、44頁。ISBN 978-4-583-61449-6。
- ^ “M&A”. 2017年11月23日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
- 個人年度別成績 大崎雄太朗 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 大崎雄太朗 (chaki.9) - Instagram