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大崎(おおさき、生没年不詳)は、江戸幕府第11代将軍徳川家斉付きの大奥御年寄

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生涯編集

大崎というのは大奥での通称であり、出自なども謎多き女性で、徳川家斉の乳母であるという説もある[1]

天明7年(1787年)、10代将軍・徳川家治死後、田沼意次から松平定信老中が移り変わったことに大きく影響されていると云われている[2]

定信とは親しく、「表は松平定信・奥は大崎」と莫大な権力を誇る。しかし、定信老中就任後、初めて会った際に「老中のあなたと御年寄の私でこの徳川家を守りましょう」といった為に対立。そのために大奥を辞退した。その後どうなったかはわかっていない。

上記のような経緯から、家斉時代の大奥を代表する御年寄として取り上げられることが多いが、天明7年(1787年)の「分限帳」の記録では、大崎は序列7位の御年寄であり、その後も高岳 、滝川、野村には及ばず一度も筆頭にはなっていない[3]

登場作品編集

脚注編集

  1. ^ 山下昌也『江戸の悪党』
  2. ^ 具知會「大奥の老女の性格 : 政治的な活動を中心として」(比較日本学教育研究センター研究年報、2011年)
  3. ^ 竹内誠『徳川「大奥」事典』(2015年、東京堂出版)P86‐P89

参考文献編集