大智浩

1908-1974, デザイナー、アートディレクター

大智 浩(おおち ひろし、1908年明治41年)8月10日 - 1974年昭和49年)7月18日)は、日本グラフィックデザイナーである[1][2]岡山県出身[1][2]

経歴・人物 編集

東京美術大学(現在の東京芸術大学)卒業後[1][2]、当時第二次世界大戦下で情報及び宣伝要員として活動した[2]。戦後に独立し自身のデザイン事務所を設立し[2]、多くの企業のCIマークの制作に携わる[1][2]1954年(昭和29年)にはニューヨークで開催された個展で大智の作品が出品され[2]、デザイナー団体の日本代表に選出される等外でも有名となった[2]

その後は誠文堂新光社のデザイン雑誌『アイデア』のアートディレクターや東京教育大学金沢美術工芸大学[2]実践女子大学の教授[1][2]国際デザイン交流協会会長を務めるなど[1]、学生や海外のデザイナー対しての交流を深めた。

主な作品 編集

著書 編集

  • 『デザインの色彩計画』
  • 『ポスターのデザイン』

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 大智浩”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 大智 浩”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)株式会社DIGITALIO. 2023年2月3日閲覧。

外部リンク 編集