大東流(だいとうりゅう)とは、半田彌太郎(1847-1912)が開いた柔術の流派である。

大東流柔術
だいとうりゅうじゅうじゅつ
発生国 日本の旗 日本
発祥地 大坂
発生年 明治時代
創始者 半田彌太郎
源流 関口新心流天神真楊流澁川流
主要技術 柔術
伝承地 大坂
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歴史 編集

半田彌太郎は、山名新九郎から天神真楊流、竹中勇から澁川流、関口氏胤から関口新心流を学んだ[1]

明治11年に大阪北区堂島裏町に盛武館を開いた。


内容 編集

初段投技[2]
腕被、衣被、髻捕、後捕、突掛、片胸捕、両胸捕、撞木、壁添、諸別、二人捕
居捕
御前捕、蹴落、引落、片手捕、両手捕、片胸捕、両胸捕、突拳、前捕、翼捕、挫返、後捕
立合捕
搦捕、片身捕、楓捕、片手捕、両手捕、片胸捕、両胸捕、返捕、拳捕、襟捕、行違、後捕
組打形初段
引落、膝車、足拂、腰車、拂投、踏違、後掛、横捨身、救投、送足、背負投、添投
組打形中段
共投、捨身、抱腰、前捨身、幻、片胸捕、立胸捕、小手挫、腕挫、外挫、内挫、釘抜

門人 編集

半田弥太郎は大阪で多くの門人を育てた。 半田の盛武館には不遷流の田辺又右衛門が出稽古に来ており、田辺の弟子の伏見辰三郎が半田の後を継いだ。 海外に柔術を伝えた上西貞一三宅タローは半田の門人であった。

  • 半田彌太郎
    • 伏見辰三郎(不遷流 田辺又右衛門の門人)
    • 雑賀寅応(半田彌太郎の甥)
    • 坂田団次
    • 山本清蔵
    • 上西貞一
    • 三宅多留次
    • 肝付宗次(大東流から講道館に移籍)
    • 森一松(真揚心流 伊藤米蔵の門人)
    • 池田為次郎(大阪警察本部嘱託師範)
    • 山田萬一郎(不遷流師範)
    • 松田栄太郎(真貫流柔術 松田魁輔の子)
    • 狩野時治郎


注釈 編集

脚注 編集

  1. ^ 日本現今人名辞典発行所 編『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年
  2. ^ 福岡雅巳「大東流・半田彌太郎の肖像」『月刊秘伝』2021年5月号、BABジャパン

参考文献 編集

  • 日本現今人名辞典発行所 編『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年
  • 綿谷雪・山田忠史 編 『増補大改訂 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部 1978
  • 福岡雅巳「大東流・半田彌太郎の肖像」『月刊秘伝』2021年5月号、BABジャパン

関連項目 編集