大津あきら

日本の作詞家(1950−1997)
大津彰から転送)

大津 あきら(おおつ あきら、1950年2月4日 - 1997年4月10日)は、日本の作詞家。本名は大津彰(読み方は同じ)。大津が1997年に死別するまでの妻は女優の根岸季衣。息子はドラマーの大津一真。

大津あきら
出生名 大津 彰
別名 早梨絵・走水ゆう
生誕 1950年2月4日
出身地 日本の旗 日本山口県長門市仙崎
死没 (1997-04-10) 1997年4月10日(47歳没)
学歴 慶應義塾大学法学部
ジャンル J-POP
職業 作詞家
活動期間 1970年1997年

来歴 編集

山口県長門市仙崎出身。山口県立水産高等学校を卒業後、慶應義塾大学法学部に入学。1年先輩のつかこうへいと出会い、つかこうへい劇団で数々の舞台劇中歌の作詞作曲を手がけた。

大学卒業後もつかこうへい劇団の劇伴を中心とした音楽活動を継続し、劇団に所属する根岸季衣と結婚。根岸との間に息子が2人いる。1982年中村雅俊に提供した「心の色」が第15回日本作詩大賞大衆賞を受賞し[1]、これをきっかけにして作詞家の活動を始める。以後も、髙橋真梨子矢沢永吉中森明菜をはじめとする数多くの音楽家に歌詞を提供した[2]特撮番組アニメ番組主題歌で作詞も多く手がけた。早梨絵、走水ゆうのペンネームも持つ。

1997年4月10日に直腸ガンのため47歳で死去した。現在は実家のあった長門市に眠る。死去の3ヶ月前から放送された『マッハGoGoGo』(第2作)主題歌の作詞が最後の仕事だった。

2019年4月10日、25回忌に合わせて、生まれ故郷である長門市のJR仙崎駅の駅舎内にギャラリーがオープンした[2]

主な作品 編集

シングル 編集

  • タキシードでグルーヴィン

アルバム 編集

  • 傷つくことだけ上手になって
  • デリカシー
  • jam-ジャム第10回コンサートjam ・峠ライブ(1975年、ベルウッド・レコード、OFM-2)- 「とても長い橋を僕は」のみ収録

舞台音楽 編集

作詞 編集

作詞(歌謡曲) 編集

あ行 編集
か行 編集
さ行 編集
た行 編集
な行 編集
は行 編集
ま行 編集
  • 松田優作 - ブラザーズ・ソング/マリーズ・ララバイ
  • 松原みき - サファリ アイズ SAFARI EYES
  • 水越恵子 - ワインナイト
  • 水沢瑶子 - ワインカラーのせつなさ
  • 水谷豊 - 気分屋ルーシー YOKOHAMAシャレード 硝子のリバーサイド
  • 三好鉄生 - サンライズ・サンセット
  • MOON - 闇を渡れ〜ACROSS THE DARKNESS〜
や行・わ行 編集
  • 矢尾一樹 - アルバム『YAO』(全10曲すべて)
  • 矢沢永吉 - 心花よ / Under The Moon / Risky Love / the NAME IS... / "カサノバ"と囁いて / ゆきずり / 奴に… / 切り札を探せ / LONELY WARRIOR / 優しさの跡 / BITCH(message from E) / 共犯者 / ニューグランドホテル / ラスト・シーン
  • 安永亜衣 - if / モノクロームのヒロイン / 風の楽園 / 千億のやさしさ / ガラスのラヴァーズ・コンチェルト / 神話のPALM TREE
  • 山本譲二 - 外は雨が…
  • りりィ - 風のバレリーナ
  • レインボー・シスターズ - 悲しきウエザーガール
  • 渡辺徹 - 愛の中へ / 約束

作詞(特撮・アニメソング) 編集

作詞(その他) 編集

脚注 編集

関連項目 編集

  • 鈴木キサブロー - for you…、輝きながら…、ビバ・ジャイアンツ!などで共同で活動。