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大牟田4人殺害事件

2004年9月に日本の福岡県大牟田市で発生した連続殺人事件

大牟田4人殺害事件(おおむた4にんさつがいじけん)は、2004年平成16年)9月16日9月18日両日、福岡県大牟田市暴力団組長一家4人が、知人だった闇金融業者一家3人とその被害者一家の友人1人の計4人を相次いで殺害し、市内を流れる二級河川諏訪川にそれぞれ遺体を遺棄した強盗殺人殺人死体遺棄事件[新聞 18]

大牟田4人殺害事件
場所

日本の旗 日本福岡県大牟田市[新聞 1][新聞 2]

大牟田市小浜町、被害者A宅[新聞 3](被害者C殺害現場)[新聞 4]
大牟田市西新町、大牟田港岸壁(被害者A殺害現場)[新聞 5]
大牟田市新開町、大牟田港岸壁(被害者B・D殺害現場)[新聞 6]
大牟田市馬場町・沖田町の間を流れる二級河川諏訪川に架かる橋「馬沖橋」付近(遺体遺棄現場、座標位置)[注釈 1][注釈 2]
座標
日付

2004年平成16年)9月16日9月18日

2004年9月16日午後11時45分頃(C殺害)[新聞 3][新聞 7]
2004年9月18日午前0時30分頃(A殺害)[新聞 3][新聞 7]
2004年9月18日午前2時15分頃(B・D殺害)[新聞 3][新聞 7] (UTC+9)
概要 暴力団組長一家4人が、以前から不満を持っていた知人の闇金融業者一家3人を金銭目的で相次いで殺害した[雑誌 1]
その際、一家と行動を共にしていた知人の1人も巻き添えで殺害し、遺体をいずれも大牟田市内を流れる二級河川諏訪川に遺棄した[雑誌 1]
攻撃手段 首を絞めて絞殺(被害者A・C)、自動式拳銃で射殺(被害者B・D)、アイスピックで刺殺(被害者D)
攻撃側人数 4人
武器
ロープ(被害者C)[新聞 7]
自転車用ワイヤー錠(被害者A)[新聞 7]
25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー」(被害者B・D)[新聞 8]、アイスピック(被害者D)[新聞 4]
死亡者

合計4人(闇金融業者一家3人+被害者の友人1人)[書籍 1][雑誌 1]

女性A(事件当時58歳、大牟田市小浜町在住、B・C兄弟の母親)[新聞 9]
少年B(事件当時18歳、Aの長男、九州情報大学1年生)[新聞 10]
少年C(事件当時15歳、Aの次男、福岡県立大牟田北高等学校1年生)[新聞 9]
少年D(事件当時17歳、福岡県立大牟田南高等学校定時制3年生、Cの友人)[書籍 1]
損害 現金約400万円・貴金属[書籍 2]
犯人

暴力団組長一家計4人(事件当時は大牟田市桜町に在住)[新聞 1][新聞 2]

父親K1(犯行当時60歳、暴力団「北村組」組長)[新聞 11][書籍 1]
母親K2(犯行当時45歳、K1の妻)[新聞 1][書籍 1]
長男K3(犯行当時23歳、K2と前夫との子供でK1の養子、北村組見習い、元力士「旭竜神」、傷害致死で懲役3年6月の前科あり)[新聞 10][書籍 2]
次男K4(犯行当時20歳、K1・K2夫妻の実子、北村組見習い、元力士「三池山」)[新聞 12][新聞 13][書籍 2]
容疑 強盗殺人罪殺人罪死体遺棄罪・銃砲刀剣類所持等取締法違反罪(いずれも4人全員)
単純逃走罪(長男K3)
動機 生活費・暴力団上部団体への上納金などの金銭目的、自分たちを見下していたAへの恨み
対処 加害者一家4人を逮捕起訴
謝罪 K2・K4両被告人が第一審公判中に謝罪
刑事訴訟 加害者一家4人全員が死刑(いずれも未執行
影響 犯行に関与した一家4人がいずれも死刑判決を受け[新聞 14][新聞 15]、その後いずれも確定したのは[新聞 16][新聞 17]、前代未聞の事態だった[雑誌 2]
2017年11月、本事件を題材にした単行本『我が一家全員死刑』(2010年刊行)を原作に、映画『全員死刑』(監督小林勇貴)が制作・公開された。
管轄 福岡県大牟田警察署福岡地方検察庁久留米支部
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刑事裁判被告人として起訴された、暴力団組長夫妻と2人の息子からなる加害者家族4人全員に対し、死刑判決が言い渡され[新聞 14][新聞 15]、その後いずれも確定した[新聞 16][新聞 17]、特異な事例である[新聞 19]

また、被害者側・加害者側ともに家族単位(被害者側は友人を1名含む)で4人ずついた。

目次

死刑囚一家編集

K1一家は大牟田市桜町に在住しており[新聞 1][新聞 2]、事件以前、被害者A一家と互いに家族ぐるみの付き合いをしていた[新聞 12]

一家は事件当時、被害者Aから数百万円の借金があったほか、月末になると九州電力の電気料金集金人が何度も督促に来ていた[新聞 20]

周囲は、度々暴力沙汰を起こす息子K3・K4を野放しにする親に対し怒りを感じてはいたが、「あの家はヤクザだから」、「喧嘩を仕掛けたのが息子でも、親が相手の家に怒鳴り込んでくる。子供の喧嘩に親が出る家だ」と、抗議するのを諦めていたという[新聞 21]

男K1(一家の父親、広島拘置所収容中の死刑囚)編集

死刑囚一家の主だった男K1は事件当時60歳[新聞 1][新聞 2][書籍 1]、指定暴力団道仁会暴力団北村組」組長だった[新聞 22][書籍 1]

死刑囚K1は死刑確定直後の2011年末に福岡拘置所から広島拘置所に移送され[書籍 3]2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 4]、同所に収容されている[書籍 5]

妻K2には男女の子供5人(男3人、女2人)がいたが[書籍 6]、K1はK2の3人目の夫で[雑誌 3]、K1の実子はK4とその年子の弟の計2人だけだった[雑誌 3]

15歳年下の妻K2が身長170cm、体重100kg近い大女で気性の荒い性格だったのに対し、夫K1は身長160cmと小柄で態度も小さく、『週刊新潮』2004年10月7日号では「ノミの夫婦」と形容された[雑誌 3]

高校を卒業後福岡市に出て和菓子職人の仕事をしていたK1は、24歳か25歳のころに地元・大牟田市に戻りタクシー運転手に就職したが、真面目に勤務したのはわずか7,8年程度だった[雑誌 3]。タクシー会社を辞めてからは暴力団幹部お抱えの運転手となり、やがて自分も覚醒剤を乱用するようになり、本物のヤクザになったという[雑誌 3]

K1は「暴力団幹部としては温和な性格」と言われる一方、「若い衆には人一倍厳しい」とされており、北村組には人が居付かない状況だったという[書籍 7]。事件当時子分の組員は5人程度しかおらず、組の実権はほとんど妻K2が握っていた[雑誌 3]

事件発生年の2004年5月、K1は車上狙いで逮捕され、上部団体から「組長なのに恥さらしだ。破門にする」という話が出たが、一部の親分が「年も年だから勘弁してやってくれ」と仲介したことにより見送られた[雑誌 3]

女K2(K1の妻、福岡拘置所収容中の死刑囚)編集

1959年昭和34年)4月26日生まれ[書籍 3]。K1の妻、K3・K4兄弟の実母、本事件当時45歳[新聞 1][新聞 2][書籍 1]

2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 4]、K2は次男K4とともに、福岡拘置所に死刑囚として収容されている[書籍 5]

大牟田市内にあった三井三池炭鉱(1997年閉山)やその関連施設に労働者を送り込む「人夫出し」を生業としていた建設会社の四女として生まれたK2は、身長170cm・体重100kg近い大柄で、背中に観音菩薩刺青を入れていた[雑誌 3]

K2は北村組の事務所前を走った暴走族の少女を殴りつけるなど、近隣住民の間では「暴力的な姐さん」として知られており[書籍 8]、気に入らないことがあるとすぐ激怒したり、「死んでやる」と叫びながら運転中の車をガードレールにぶつけるなど、見境のない人間として恐れられていた上、自殺未遂の癖もあったことから「覚醒剤中毒ではないか」「あの家なら人を殺したって不思議じゃない」という噂も飛び交っていた[雑誌 3]

K2は事件当時5児の母親で、19歳で17歳年上の暴力団組員と最初の結婚をし長女(K3より3歳・K4より6歳年上の姉)を出産したが、1年足らずで離婚した[雑誌 3]。その後、22歳の時に16歳年上の男性と結婚し長男K3・次女(K3の年子の妹)を出産したが、この結婚生活も2年で破綻した[雑誌 3]

この2度の結婚・離婚を経て、事件当時の夫K1と結婚し次男K4・三男(K4の年子の弟、後述のように2015年1月8日に自殺)を出産した[雑誌 3]

長男K3が帰郷後に地元の暴走族のリーダーになると、K2は息子の手下の少年らを建設現場に送り込んで派遣料を稼いだ[新聞 21]。三井三池炭鉱の閉山後も近畿地方方面などの工事現場に作業員を送り込む家業を続けていたが、捜査関係者は『週刊新潮』(新潮社)の取材に対し「北村組は夫K1が組長となっていたが、K1は女房(K2)と違って気が小さい人間で、実際にはK2が組を仕切っていた。作業員を人夫出しに出しても日給1万5000円のうち3000円ぐらいはピンハネしているんじゃないか」と語った[雑誌 3]

事件2年前の2002年(平成14年)、大牟田市内にスナックバーを開店したが経営が成り立たず、数カ月で閉店していた[新聞 20]

犯行時、既に息子たちの手で実行されていた被害者Cの殺害をK1が仄めかしそうになった時に、「Cには何もしないよ! 見つけても普通にしておく」と反対していたという。[書籍 9]

男K3(K1・K2夫妻の長男、大阪拘置所収容中の死刑囚)編集

K1・K2夫妻の長男、本事件当時23歳[書籍 2]1980年(昭和55年)12月20日、福岡県大牟田市生まれ[雑誌 4]

K2と前夫との子供で、実父と母の間にはさらに年子の妹(次女)がおり[雑誌 3]、父K1とは養子縁組関係[新聞 23]。弟K4とは異父兄弟関係である[新聞 24]

死刑囚K3は死刑確定直後の2011年末に福岡拘置所から大阪拘置所に移送され[書籍 3]2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 4]、同所に収容されている[書籍 5]

K3は犯行時、抜け目なく直接犯行に関わることを避けつつ自分は無関係であるかのように装っていたため、弟K4の怒りを買うことが多かったという[書籍 10]

「旭竜神」の四股名で角界挑戦、挫折編集

K3は小学校卒業時、卒業文集に「好きな言葉は白星。好きな有名人は旭道山。将来の夢は相撲取り」と書いていた[新聞 21]。中学校時代は大柄な体格で、知人曰く「喧嘩が強いことを吹聴して回っていた」というK3は中学校卒業前、友人たちに「相撲部屋からスカウトされたから相撲取りになる」と自慢していた上、卒業式には和服姿で出席し、髷を結うために髪を伸ばしていた[新聞 25]

1996年3月[雑誌 4][新聞 21]、K3は中学校を卒業後[新聞 21]日本相撲協会大相撲新弟子検査に合格し[雑誌 4]、憧れていた旭道山がいた[新聞 21]大島部屋に入門した[新聞 24][新聞 21]

入門時、四股名は当時の姓と同じ「石橋」(いしばし)で、身長180cm、体重115kgだった[雑誌 4]。その後、1996年5月には「旭竜神」(きょくりゅうじん)に改名し[雑誌 5]、同年の5月場所(夏場所)にて東序ノ口26枚目「旭竜神」として、初土俵を踏んだ[雑誌 6]

母K2はこの時、大牟田市に隣接する熊本県荒尾市内のホテルで約60人を招き、壮行パーティーを開いた[新聞 21]。この時、K3は緊張気味に「関取を目指します」とあいさつすると、「出世したら、化粧まわしをしてやる」と励まされた[新聞 21]。母K2は、この時「父親がヤクザだから、しつけが不十分だった。これからは、部屋の親方や、女将さんが厳しくしつけてくれる」と満足げな様子だったという[新聞 21]

しかし「旭竜神」が土俵を踏んだのは[新聞 21]、デビュー場所となったものの2勝5敗の成績に終わった[雑誌 6]この夏場所限りだった[新聞 21]。その後、同年7月場所(名古屋場所)を全休し夜逃げ同然に部屋を出た[新聞 21]。大島部屋の女将曰く「残された衣類を洗って自宅に送ったのに、お礼もなかった。掃除もちゃんこ鍋の用意も、何もできなかった」という[新聞 21]

帰郷後K3自身は周囲に「兄弟子たちからいじめを受け、耐えられなくなったのでやめた」と語っていたが、K3の現役当時の親方は事件当時、『毎日新聞』の取材に対し「(K3の引退は)稽古場のカーテンに放火したのが原因だ。この時は、天井に火が燃え移る前に兄弟子たちが気付いて消し止めた。K3は『稽古場が燃えれば、稽古をしなくて済むと思った』と言っていた」と証言した[新聞 21]

引退後、地元に帰郷したK3は母K2が経営していた建設会社を手伝う一方[新聞 20]暴走族のリーダーになり、弟ともども暴力沙汰を度々起こし[新聞 21]、地元の若者たちから恐れられていた[新聞 20]

傷害致死前科編集

2000年6月上旬、母K2が当時経営しK3が働いていた大牟田市内の建設会社に住み込みで勤めていた当時18歳少年Xが、無断で出勤しなくなった[新聞 26]。その後6月20日になって、Xは住み込みの寮から逃げ出した[新聞 27]

これに腹を立てた当時19歳少年・建設作業員だったK3は[新聞 26]Xに制裁を加えようとした[新聞 27]。その上でK3は、Xが2000年6月20日に寮からいなくなった後、城島町内の女友達数人に連絡していたことを把握した[新聞 27]。そのため、その女友達に対し「後述の現場付近でXと会う」と約束させた[新聞 27]

K3は不良仲間の少年計6人(いずれも当時16歳・17歳、うち2人は当時高校2年生)とともに[新聞 28]、2000年6月25日午前2時30分頃[新聞 27]福岡県三潴郡城島町江上本(現・久留米市城島町江上本)の福岡県道702号柳川城島線・大溝端橋に[新聞 26]、Xを誘い出した[新聞 27]。犯行に加わった少年グループはK3を含め全員が被害者Xと遊び仲間で、このうち2人はXと同じ中学校の卒業生だった[新聞 27]

身の危険を感じたXが逃げたため[新聞 29]、K3ら7人は約300mに渡りXを追跡し[新聞 27]、Xを捕まえると顔などを木刀で殴るなど暴行を加えた後[新聞 27]、農業用クリーク(水路)に転落させた[新聞 26]。水路に転落したXに対しK3たち7人は木刀を差し出して助けようとしたが助けられず[新聞 26]、Xはそのまま水死した[新聞 27]

2000年6月28日午前5時40分頃、深さ約3m・幅約20mのクリークの水門付近にて、エビ漁に向かう途中の住民がXの水死体を発見した[新聞 30][新聞 31]。検視の結果、遺体は死後3日から4日経過しており、死因は水死と判明した一方で目立った外傷はなく[新聞 30][新聞 31]、胃の内容物にも不審点は確認されなかった上[新聞 31]、財布・携帯電話を身に着けたままだった[新聞 30]

現場はXの自宅から約20km離れていたが[新聞 30][新聞 32]、付近にはXの車・バイクはなく現場に向かった動機は不明瞭だった[新聞 30]。Xは家族に行き先を告げずに自宅を出ていた一方で[新聞 27]、自殺するような動機は見当たらなかったことから[新聞 30][新聞 27][新聞 32]福岡県警察は「現場に向かった経緯クリークへの転落原因に不自然な点がある」として捜査を進めた[新聞 30][新聞 27]。その結果、遺体発見の数日前には現場付近に複数人の男性がいたことや、そのうちの1人は死亡したX自身だったことがそれぞれ判明した[新聞 30][新聞 31]

このことから福岡県警察は、「Xは複数の男性と一緒か、グループから呼び出されて現場に行った後、現場で複数の男性と何らかのトラブルになりクリークに転落した」という線で、2000年10月1日以降、関係者から事情聴取を開始した[新聞 30]

2000年10月30日、福岡県警察少年課・城島警察署(現・久留米警察署城島警部交番)は、大牟田市内の不良少年グループがXに集団リンチを加えた上でクリークに転落させ水死させたとして、グループに所属していた当時19歳の少年K3と、高校2年生の少年2人・建設作業員など少年計6人(K3以外の共犯5人はいずれも当時16歳・17歳[新聞 28])を傷害致死容疑で逮捕した[新聞 27][新聞 32]。その上で大牟田市内在住の残る16歳少年1人に対しても、同容疑で逮捕状を取り、行方を追った[新聞 27]

取り調べに対し、K3ら被疑者少年6人はいずれも容疑を認めた上で「水路に背を向けていたXに木刀で殴り掛かったところ、Xが身をよじって避けようとして水路に落ちた。約1時間半にわたってXを探したが暗くて発見できなかった」と供述した[新聞 27]

これに加え、主犯格と目されたK3は同日までの取り調べに対し、「Xは母親(K2)が経営していた建設会社に6月16日から住み込みで働いていたが、20日に無断で出て行った。自分たちはその後、Xの知人らに電話をして行方を捜していた」、「自分の運転する車に他の少年6人を乗せて現場付近に向かった」などと供述したほか、事件後に共犯の少年たちには「言うなよ」「黙っておけ」などと犯行を口止めしていたことも判明した[新聞 33]

2000年10月31日、傷害致死容疑で逮捕状を取られていた大牟田市内の16歳少年が福岡県城島警察署に出頭し、同容疑で逮捕された[新聞 34]。これにより、逮捕者は主犯格のK3をはじめ少年計7人となった[新聞 34]

福岡地方検察庁久留米支部は、2000年11月20日、K3ら被疑者少年7人を傷害致死容疑で福岡家庭裁判所久留米支部に送致した[新聞 35][新聞 29]。福岡家裁久留米支部は同日、2週間の観護措置を決定し、被疑者少年7人を福岡市内の福岡少年鑑別所に収容した[新聞 35][新聞 29]

福岡家裁久留米支部(大原英雄裁判官)は2000年12月13日までに少年審判を行い、非行事実を認定した上で[新聞 36]、傷害致死容疑で送致された被疑者少年7人のうち主犯格のK3を「刑事処分相当」として福岡地検久留米支部に逆送致処分することを決定した[新聞 28][新聞 36]。一方、16歳・17歳の共犯被疑者少年計6人に対しては[新聞 28]、「非行の動機・様態・各被疑者少年の役割などを考慮」した上で[新聞 36]、中等少年院送致処分の決定をした[新聞 28][新聞 36]

逆送致処分を受けた福岡地検久留米支部は2000年12月22日、逆送致からこの日までに20歳になった被疑者の男K3を、傷害致死罪で福岡地方裁判所久留米支部に起訴した[新聞 37]

被告人K3に対する初公判は2001年(平成13年)2月13日、福岡地裁久留米支部(大原英雄裁判長)で開かれ、被告人K3は起訴事実を全面的に認めた[新聞 38]

2001年6月26日に判決公判が開かれ、福岡地裁久留米支部(大原英雄裁判長)は被告人K3に懲役3年6月(求刑・懲役5年)の実刑判決を言い渡した[新聞 39][新聞 40]。福岡地裁久留米支部は判決理由で、犯罪事実・量刑理由を「無抵抗で逃げ惑う被害者Xを追いかけ、その前途ある命を奪った容赦ない悪質な犯行だ。犯行後も共犯の少年らと口裏合わせをしており、情状は良くない」「前途ある命を奪った悪質な犯行だ。主犯であるにもかかわらず、被害者遺族に対し慰謝の措置もしていない」と述べた[新聞 39][新聞 40]

この判決が確定したため、K3は2004年春まで刑務所に服役していた[新聞 25][新聞 25][新聞 21]。出所の際、父K1は近隣住民に対し「息子が戻ってきて家の人間が増えた」と話していた[新聞 25]

K3は出所後の2004年6月頃からは実家を離れ、大牟田市内のアパートで生活していた一方で組事務所にも出入りしていた[新聞 20]。また事件直前は腰痛のため、弟K4とともに大牟田市内の病院に通院していたが、看護師らには「自分は組員だ。いずれ刺青を入れる」などと話していた[新聞 25]

男K4(K1・K2夫妻の次男、福岡拘置所収容中の死刑囚)編集

K1・K2夫妻の次男[書籍 2]、事件当時20歳[書籍 2]

1984年(昭和59年)6月9日[書籍 6][書籍 3]、福岡県大牟田市内でK1・K2夫妻の長男、K2の第4子として生まれた[書籍 6]

K1・K2夫妻が再婚後[新聞 13]、最初に生まれた実子で[新聞 13][新聞 41]、兄K3とは異父兄弟関係である[新聞 24]。両親との間にはさらに三男(年子の弟)がいた[雑誌 3]

2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 4]、K4は母K2とともに、福岡拘置所に死刑囚として収容されている[書籍 5]。なお2013年(平成25年)、支援者女性と獄中結婚し姓が「K」(イニシャル)から「I」に変わっている[書籍 5]

すべての被害者に対する殺害行為の実行役で、自身でも「甘えた我がまま性」「完全な悪」[書籍 11]と形容するほどの残忍・粗暴さを持つ反面、「カタギを標的にした犯行」としてK1ら親兄弟が上部団体から事実上絶縁される中、犯行の詳細を書いた手記を発表しK1らの拘置所内における生活費を分け与えるという「家族思い」といえる一面もあったという[書籍 12]

K4の生い立ち編集

K4は大牟田市立米生中学校在学時以来、「何かをやらかしそうな手を付けられないレベルの不良。ろくに字も読めず、学力は小学校1,2年生レベル」として悪名を轟かせており、授業妨害・居眠り・テストの棄権などを日常茶飯事に行い教師らに反抗することも多かった[雑誌 1]。中学時代は1歳年下の弟も在学していたことから体育祭には両親K1・K2が組の若衆4,5人とともに「一番いい場所」に陣取っていたが、K4は普段から体育の授業にも出ていなかったため、体育祭にも出ていなかった[雑誌 1]

被害者Bが高校1年生の頃に一時不登校になった際、約1カ月間にわたりK2宅に預けられたことがあったが、知人は『読売新聞』の取材に「BはK4と年齢が近かったので、この時期に親しくなったのだろう」と証言した[新聞 12][新聞 13]。しかし被害者Bの友人は『週刊文春』(文藝春秋社)の取材に対し「BとK4は「親しい間柄」とはとても言えず、実際はBが不良グループの下っ端としてK3・K4兄弟の使い走りにされていただけで、BはK3・K4からいじめを受けて泣くこともあった」と証言した[雑誌 1]

後述のように一時は大相撲に挑戦したが、1年半で引退して17歳で地元・大牟田市に戻った[新聞 13]

大牟田に帰郷してからは17歳で実家に帰り母K2の建設会社で建設作業員として働いたが、首・腰を痛めたことや、17歳になったためにオートバイの運転免許を取得しようと仕事を辞めた[書籍 13]

その後、被害者Bらとともに暴走族「族・神鬼狼」を結成し、ともに愚連隊のように過ごしていた[書籍 13]。近隣住民からは「暴力団とのつながりが深く暴走族・不良少年グループのリーダー格」と映っていたK4は[新聞 12][新聞 13]、仲間たちを率いて暴走行為・窃盗・薬物乱用・輪姦などの犯罪行為を繰り返しており、被害者B・Dと親しいグループにいた少女が事件の約1年前K3・K4兄弟周辺のグループに輪姦された事件がきっかけで、B・C・D各被害者の近しいグループとは対立関係になっていた[雑誌 3][注釈 3]

しかし、「いつまでたっても地に足がつかない」状態だったために本人曰く「気持ちを切り替えようと」、父K1の北村組に入ることにし、組の準構成員となった[書籍 13]。しかしその後も「わがままな性格・遊び癖が抜けずに中途半端な状態」だったため、堪忍袋の緒が切れた父K1から他組織の幹部(K1の兄弟分の暴力団組長)に部屋住みとして預けられた[書籍 15]

部屋住みになってから約1年後には母体の北村組に戻り、2002年(平成14年)頃には18歳の若さで北村組及び上部組織の本部当直、総長宅の本家当直を務めるようになった[書籍 15]。その当時は、愚連隊時代に始めていた女子中高生の売春チームとともに、組織内では「ご法度」とされていた覚醒剤など違法薬物全般の密売買を取り扱うシノギを父K1には内緒でしており[注釈 4]、それ以外にも表向きのシノギとして賭博・中古車販売・違法売買などをしてはいたが、「ご法度」とされていた薬物売買の方が儲かったという[書籍 15]

しかしこの頃、「初めて心から惚れて愛した女性」ができたことから一時は暴力団から足を洗い、その女性と真面目で一般的な暮らしをしようとしていたが、関係者のところから福岡県警の家宅捜索で覚醒剤・大麻が見つかったため、「ジギリ出頭」として身代わりになることになった[書籍 16]

その直前には「出頭前に一暴れしてやろう」と不良仲間らとともに一夜のうちに大牟田市近辺の交番など49軒を襲撃し、自転車の通行人をひき逃げするなどの犯罪行為を繰り返した[書籍 17]。結果、18歳から19歳になる直前、即ち2003年(平成15年)春ごろに相次いで逮捕され、大牟田警察署柳川警察署留置場への勾留、少年鑑別所への2度の服役を経て、事件4カ月前の2004年5月6日に出所するまでの約1年半にわたり大分少年院(大分県豊後大野市)に服役していた[書籍 17]。この逮捕後に交際相手の女性と別れて以来、少年鑑別所では窓ガラスを叩き割ったり職員をガラスの破片で切りつけるなど、手の付けられないほどの暴力行為が目立ったため常に独居房で単独処遇されていた[書籍 17]

少年院を出所後、年下の若い女性と交際するようになったK4は先に刑務所を出所した兄K3の家で共に暮らしていることが多く、事件前まで「シノギ3:遊び7」の生活を送っていた[書籍 18]

K4の人柄について関係者からの評価編集

近所の男性店員は『読売新聞』の取材に対し、K4の人柄について「とにかく態度が横柄で、買い物に来ても何かと注文を付けるから関わり合いになりたくなかった」と証言した[新聞 12]

その一方で、K4を幼少期から知っていた近隣住民の男性は『読売新聞』の取材に対し「K4は相撲を辞めてからすぐに暴力団の世界に入ったらしい。暴力団の組事務所では電話番をしていると聞いた」と証言した一方で「母K2が逮捕された後、自分に『おじちゃん、迷惑かけてごめんな』と頭を下げてきた」とも語った[新聞 12]

また、福岡拘置所に収監されていた被告人K4の手記を書籍『我が一家全員死刑』として出版した作家・鈴木智彦とK4と接見した当初、「被害者に対する謝罪はないのか?」と鈴木が問いただすと、K4は「(被害者たちを)可哀想とは思いますが、申し訳ないとは思ってないです。殺されたのも運命、私が死刑になるのも運命。それに私はヤクザです。親分の命令は絶対なんです」と語り、反省・謝罪の念を示さなかった[書籍 19]

しかし鈴木は同書文中で「犯行に対する悔恨のない内容だった手記から、初めて面会した当初は『K4は極悪非道な殺人鬼』という印象を抱いていたが実際にK4と接見を重ねるにつれて印象が変わり、『殺人犯であるという事実を忘れそうになった』『案外まともな人間であることがわかった』」と綴った[書籍 20]。その上で鈴木は同書で「K4は殺人に快楽を覚える感性を告白してはいるがそれを完全には肯定できておらず、自らを『鬼畜』と居直る割には自らの行為に疑問を持っている。どれだけ粋がっても『素直な子供の部分』を隠しきれていないことから手記は『狂人の妄想』とは思えなかった」と述べた[書籍 21]。その上で鈴木は、K4の人間性について「『家族が生きるためなら他人の生命さえ奪っても構わない』とする社会性のなさ以外、我々と変わらぬ人間らしい感情はふんだんに持っている」と評した[書籍 19]

「父が暴力団幹部、自宅が組事務所という環境で育った『組員2世』」「生活が暴力団といつもつながっていた」というK4の生い立ちについて、『毎日新聞』記者・岸達也は「『違う環境で生まれ育っていたらこんな事件は起こさなかったかもしれない』という思いが、ふと頭をかすめた」と振り返った[新聞 42]

「三池山」の四股名で角界挑戦、挫折編集

三池山  
基礎情報
四股名 三池山
生年月日 (1984-06-09) 1984年6月9日(34歳)
身長 168cm(現役時)
体重 134kg(現役時)
所属部屋 松ヶ根部屋
成績
現在の番付 廃業
最高位 西序二段108枚目
生涯戦歴 21勝35敗7休(10場所)
データ
初土俵 2000年5月場所
引退 2001年11月場所
備考
出典 [1]

K4は、2000年3月[新聞 21]大牟田市立米生中学校を卒業後[雑誌 1]、2000年4月25日の大相撲新弟子検査に合格した[雑誌 7]

松ヶ根部屋に入門して大相撲に挑戦したK4は[新聞 24][新聞 21]、入門時は身長173cm・体重142kgだった[雑誌 7][雑誌 8][新聞 43]

K4は2000年5月[新聞 43][新聞 24][新聞 21]、引退した兄K3同様、当時名乗っていた旧姓だった「石橋」(いしばし)の四股名で、2000年夏場所にて、東序ノ口41段目で、初土俵を踏んだ[雑誌 8][新聞 24]

その後2000年9月にK4は四股名を地元の地名に由来した「三池山」(みいけざん)に改名し[雑誌 9]、西序ノ口1枚目で臨んだ同年秋場所以降「三池山」として土俵を踏んだ[雑誌 10]

この時、松ヶ根部屋の親方は元大関若嶋津[雑誌 1]、女将はその妻である元歌手・高田みづえだった[雑誌 1][新聞 21]。K4から「兄K3が早々に廃業した」と聞かされた高田が「お兄さんのようにならないでね」と励ますと、K4は「やめません」と答えており[新聞 21]、母校・米生中学校の校長室には親方夫妻や部屋の力士たちとともにK4が写った写真が飾ってあった[雑誌 1]。高田は事件直後、『週刊文春』(文藝春秋社)の取材に対し「K4の家庭環境・引退後の近況については知らなかった。『もともと粗暴な性格で相撲を辞めてからさらに粗暴になった』と言われればショックだが、そのような捉え方もあるのかもしれない」と答えた[雑誌 1]

「三池山」ことK4は、2001年(平成13年)3月20日、平成13年春場所10日目の序ノ口の取組において同場所で初優勝した安治川部屋の序ノ口・安馬(後の第70代横綱日馬富士)と対戦し、上手出し投げで敗れた[雑誌 11]

K4は力士「三池山」として、2001年5月場所で序二段108枚目を記録したが[新聞 21]、それ以上は芽が出ず[新聞 43]、部屋関係者から「筋が良くない」と判断された[新聞 24]

また、伯母の死・前述の兄の傷害致死事件が重なったことや本人曰く「甘えが後押しした」ことから[書籍 13]、2001年11月、九州場所を最後に[新聞 21]、力士を廃業した[新聞 24]。女将は事件当時『毎日新聞』の取材に対し「上下関係・けいこの厳しさに耐えられずに辞めたのだろう。引き留めなかった」と語った[新聞 21]

相撲界を引退後、K4自身は知人に対し「腰を痛めたから引退した」[新聞 21]、「親方の指導が鬱陶しい」と不満を漏らすだけで[雑誌 1]、母K2もこの時から相撲の話をしなくなった[新聞 21]

事件の経緯編集

事件前の動向編集

母親K2は1994年(平成6年)頃[新聞 7]闇金融業を営んでいた被害者女性A(事件当時58歳)[雑誌 1]と知り合い、家族ぐるみで付き合うようになった[新聞 7]

しかし事件前、組長の夫K1に収入がなく、生活費に加え暴力団関係者への借金返済・上納金のため多額の現金を必要としていた[新聞 7]。当時建設会社を経営していたが、その会社も自転車操業状態で[新聞 7]収入はほとんどなく[新聞 4]、2004年9月当時、K1・K2夫婦の[新聞 7]、Aからの借金は[新聞 4]、約6600万円以上になっていた[新聞 7]。夫K1は小遣い銭欲しさに窃盗未遂を起こしたこともあった[新聞 4]

K2はAの借金の取り立ても手伝っていたが、当初こそ強い立場にあったもののAから30万円を借金して以降、Aから見下される立場となった[新聞 7]

2004年6月下旬、K2はA宅の改装工事を請け負った[新聞 4]。しかしAは、「貸金やその利息と相殺するから」と言って、工事代金をK2に支払おうとしなかった[新聞 4]

K3・K4兄弟は被害者Aを「クレオパトラのように厚化粧」という意味から陰で「パトラ」と蔑称で呼んでいた[書籍 22]

殺害計画編集

母K2は、Aの「資本金1億円の金融会社を設立する」という話を夫K1・長男K3に伝えた[新聞 4]

Aの態度に憤懣を募らせていたK2は、2004年7月頃には「いつかうち殺さなでけん」などと口癖のように言っていた[新聞 7]。またこれに加え、それを聞いた夫K1や長男K3もAに対し敵意を強めるようになっていった[新聞 7]。新居の購入費用を求めていたK3は2004年8月頃、工事代金が支払われていないことを知ると、「Aはカタギのくせに、俺たちヤクザをバカにしている。殺してでも金を奪おう」と考えた[新聞 4]

そのためK3はAを車で付け狙ったほか、K1も2004年9月8日、Aを殺害しようとしてK2に止められた[新聞 4]

2004年9月9日、K2が夫K1に対し家の借金の実情を打ち明けると、K1は「Aを殺して金を奪おう」と提案した[新聞 7][新聞 4]

K2も生活難・借金苦から脱することに加えAへの憤懣を解消するのを目的に、夫の意見に賛成しA殺害計画を練り始めた[新聞 7]

K1・K2夫婦は「Aに嘘の土地購入話を持ちかけ現金2600万円を用意させた上で殺し、遺体は諏訪川に捨てる」など、具体的な計画を2人で練った[新聞 4]

またK2は長男K3に対し、「Aを殺して金を奪い、折半しよう」と持ち掛け、犯行に加えた[新聞 7]。これを聞いたK3は「自分が殺すので、奪った金の6割が欲しい」と申し出たが、K2は「自分が殺す」と譲らなかった[新聞 4]

2004年9月15日、K2はAが土地購入代金として2680万円を用意したことを確認した[新聞 4]。そのためK1は翌16日、Aの殺害を決行することを指示し、K3も了承した[新聞 4]

K2は2004年9月16日夕、被害者Aを車で誘い出し大牟田市内の公園駐車場まで連れ出した[新聞 4]。K2は車内で話をしながらカッターナイフでAを殺害する機会をうかがったが、躊躇したため[新聞 4]、殺害を実行できなかった[新聞 7]。その一方で同日午後10時頃、車で近くまで来た長男K3に対し「金は家にある」と伝えた[新聞 7]

業を煮やしたK1は駐車場に向かい、持ってきたアイスピックを示した上で「俺が殺してやる」と言った[新聞 4]。これに対しK2は「自分で殺す」と言い殺害予定場所の山に向かったが、そこでも殺害を躊躇した[新聞 4]

その際、離れて駐車していたK3が包丁を示し「俺が刺し殺す」と申し出た[新聞 4]。これに対しK2は再び「自分で殺す」と言ったが踏ん切りがつかなかった[新聞 4]

2004年9月16日朝、母K2と別れたK3は自宅アパートに帰り、自宅にいたK4に「仕事をしているから子分(K4の力士時代の先輩)の見舞いをして待て」と言い、K4およびK4のガールフレンドを病院まで乗用車で送り届け、16日の大半をK4らは病院で過ごした[書籍 23]

2004年9月16日深夜、K3・K4兄弟、被害者次男Cを殺害・諏訪川に遺棄(強盗殺人罪)編集

9月16日夜。K3は乗用車で弟K4を病院まで迎えに行った[新聞 4]

K3はAを殺害しようとしている父K1・母K2を出し抜き[新聞 4]、K4とともに、A宅で留守番をしていた次男C(事件当時15歳)を殺し[新聞 4]、Aの現金を手に入れることを考えた[新聞 7]

そのため実行力のあるK4に対し500万円の分け前を提示するなどして「Aの家に2000万円ある。Aの次男Cが1人で家にいるからCを殺して奪おう」と持ち掛けた[新聞 7][新聞 4]

K4は兄K3の提案に賛同し殺害の謀議が成立した[新聞 7]。その上でK3・K4兄弟はともに[新聞 7]大牟田市小浜町のA宅に向かい、家人殺害の実行を決意した[新聞 7]。なおこの際K3はK4に「やらないと一番下の弟(K4の1歳年下の実弟、一家の三男)に(殺害行為を)やらせる。お前の女(K4のガールフレンド)も口封じに殺す」と脅迫した[書籍 24]

2004年9月16日午後10時40分頃[新聞 4]、K4はA宅に入ると、2階室内にいた被害者Cを見つけ、Cの首にタオルをかけ首を絞めた[新聞 7]。しかしこの時点ではCは死亡せず、失神しただけだった[新聞 4][新聞 7]

K3・K4兄弟はこの時点では殺害に失敗していたことに気づかぬまま、A宅の室内から指輪など約398万円相当が入った金庫1個を見つけA宅から盗み出し[新聞 7]、乗用車に積んだ[新聞 4]。これに加えK4は失神したCを乗用車のトランクに押し込んだ[新聞 4]

その後K3が乗用車を運転し大牟田市内を走行していたが[新聞 4]、この時点でまだ生きていたCが途中で息を吹き返し車内で暴れ出した[新聞 7]。K4はこの時「通報しないよう脅して帰せばいい」と、Cの殺害を躊躇するような発言をしたが、これに対しK3は「Cは絶対に通報する、殺せ」とはねのけた[書籍 25]

そのためK3・K4兄弟は2004年9月16日午後11時45分頃、諏訪川に架かる「馬沖橋」で[新聞 7]乗用車を停車した[新聞 4]。橋の上でトランクを開けCの首にロープをかけ、2人がかりで再びCの首を絞めた[新聞 7]

そしてコンクリートブロック3個をCの体に結び付けた上でCを諏訪川に投げ込み、窒息死もしくは溺死させて殺害した[新聞 4][新聞 7]

2004年9月18日未明、K1ら一家4人で被害者女性Aを殺害(強盗殺人罪)編集

その一方、母K2は夫K1から「自宅アパートにAを連れて行き監視しておけ」と指示され[新聞 4]、Aを自車に乗せた上で組事務所のある自宅アパートに連行したが[新聞 7]、殺害に踏み切れずにいた[新聞 4]

K2が2004年9月17日午前10時頃、長男K3に電話で相談したところK3は「殺しきれないなら俺が殺してやる」と言った[新聞 4]

2004年9月17日午後1時頃、Aの長男B(事件当時18歳)からBの友人らに対し「弟Cがいない」と連絡があった[新聞 9]。そのためBの友人らは、後にBとともに殺害された少年D(事件当時17歳)を含めた6人でCの行方を捜索したが、発見できなかったため翌9月18日午前2時頃解散した[新聞 9]

K2は殺害方法の思案がつかず、午後2時頃再びK3に対し[新聞 4]「もうどうしようもない。お母さんを助けて」と[新聞 4]電話で助けを求めた[新聞 7]

これを受け、K3はK4にAの殺害を実行させようと考え、乗用車内で「おふくろがAを殺せと言っている」などと協力を求めた[新聞 4]。その上で飲食物に睡眠導入剤を混ぜ、眠らせた上で殺害することを決めた[新聞 4]

同日午後3時頃、K3は母K2に電話で「殺すなら眠らせた方がいい。食べ物か飲み物に睡眠薬を入れてきてやろうか」と伝えた[新聞 4]。K2はAから好物を聞いた上で「お茶と弁当を届けてほしい」と頼んだ[新聞 4]

K3は睡眠導入剤12錠をすりつぶしタルタルソースに混ぜた上で弁当のおかずにかけ、元通り包装した上で[新聞 4]弁当をアパートに持って行き[新聞 7]、K2に手渡した[新聞 4]。K2の勧めでその弁当を食べたAは間もなく寝入ったため[新聞 4]、K2は夫K1を呼び、K3・K4も加えて4人で殺害・遺棄方法などを相談した[新聞 4][新聞 7]

この時、Aの長男BにAとK2が一緒に行動していたことを知られていたため[新聞 4]、夫K1は「Aの長男Bも口封じのために殺し、Aの軽乗用車に2人の遺体を乗せ諏訪川に沈めよう」と主張し、4人の殺害共謀が成立した[新聞 7]

K1・K2・K3・K4の一家4人は2004年9月18日午前0時頃[新聞 4]、意識が朦朧としていたAを車に乗せ大牟田市内の岸壁に連行した[新聞 7]。30分後の午前0時30分頃[新聞 4]、大牟田港岸壁に駐車したワゴン車内で[新聞 4]次男K4がAの首をワイヤー錠で絞めた[新聞 4][新聞 7]

この時兄K3は弟K4に対したばこを手渡したり、ワゴン車の窓に「人殺し」と指で書き冷やかしたりしていた[新聞 4]。K4はたばこを吸い笑いながらAが窒息死するまでの間、その首を絞め続けて殺害した[新聞 4]

K2は助手席で次男K4がAの首を絞め始めるのを見た後いったん外に出たが、Aが死亡したことを確認したK1が「もういい、死んだ」と言った[新聞 4]。それを聞いたK2は「Aが息を吹き返すのではないか」と心配したため、K4に対し「Aの首を絞め続けて」と指示した[新聞 4]

Aを殺害後、ワゴン車内ではAの遺体が見えないようビニールシートを被せたが、K4はAの遺体の上に座ったり寝そべったりしていた[新聞 4]

2004年9月18日未明、K1ら一家4人で被害者長男B・友人Dを殺害(殺人罪)編集

4人はいったん解散した後、自宅で再度合流し、2004年9月18日午前1時35分頃ワゴン車で移動していた[新聞 4]

4人はこの時「Bも殺し軽乗用車にA・B両名の遺体を乗せ、車ごと諏訪川に沈めよう」と話し合った上で計画通りにA宅から現金などを捜し出すことにした[新聞 4]

A宅付近でK2以外の3人が降車し軍手をはめて歩いていたところ[新聞 4]、Aの長男Bがちょうど軽乗用車で家に戻っていた[新聞 4][新聞 7]。これに加えBが運転していた軽乗用車の助手席にはBの友人だった少年Dが乗車していた[新聞 4][新聞 7]

B・D両名はB・C兄弟の母Aの車にともに同乗しCの行方を捜していた[新聞 44]。しかし仲間と解散してから約2時間後の9月18日午前4時頃には[新聞 9]B・Dとも行方不明になり友人たちとの連絡が途絶えた[新聞 44]。これに前後して母Aも知人らとの連絡が途絶え行方不明になった[新聞 44]

K4が「2人いるぞ」と兄K3に尋ねると[新聞 7]、自分たちの顔を見られたため[新聞 4]K3は「殺そう」と述べた[新聞 7]。K1は「2人いるから(殺すには)拳銃の方がいいだろう」と言い[新聞 4][新聞 7]、25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー」を取り出し[新聞 8]次男K4に渡した[新聞 4][新聞 7]

K3・K4兄弟はBに対し「Cを一緒に探すふりをして」B・D両名を殺害することを計画した[新聞 4]。2人は午前2時頃[新聞 4]、B・D両名に嘘をついた上で[新聞 7]軽乗用車に乗り込み、2人を後部座席に移動させた[新聞 4]

K1は自分のワゴン車に戻り、K2に対し「B・Dの2人を殺す」と話したところK2も了承した[新聞 4]。その上でK1はK3に対し携帯電話で「うろうろしないで早く発射しろ」と指示した[新聞 4]

K1・K2夫妻は犯行当日の9月17日頃の深夜、ひどく落ち込んだ様子で玄関に座り込んでいるのを知人女性に目撃されていた[新聞 45]

2004年9月18日午前2時15分頃[新聞 4]、大牟田川河口の岸壁まで走ったところで[新聞 7]助手席に座っていたK4は[新聞 4]拳銃を取り出した[新聞 7]

K4はA宅の現金保管場所を聞き出すため「先にDをBの目の前で撃とう」と思い[新聞 4]大牟田市新開町の大牟田港岸壁で[新聞 6]「これはモデルガンだ。音が出るだけで弾は出ない」などと言いつつDの頭部に1発発砲した[新聞 7]

そしてDが撃たれる姿を目の当たりにしたBに対しK4は「CもAも俺が殺した。お前の家に2000万円あるだろう。金はどこにある」と問うたがBは「知らない」と答えた[新聞 4]。そのためK4は[新聞 4]「すまないがお前も殺すことになっている」と言いBの左耳のこめかみに1発拳銃を発砲した[新聞 7]

その間、K1・K2夫妻は長男K3から携帯電話で「頭を撃ったがまだ2人とも生きている」と報告を受けたため、K1が「胸を撃て」「3発ずつ、6発全部撃て」と指示し、K2を通じてK4に伝えさせた[新聞 4]

K4は更にBの胸に向けて計2発ずつ拳銃を発射し、Bを射殺した[新聞 4][新聞 7]

しかしDはまだこの時点でも息があり、K4が待ち合わせ場所に向かう際、呻き声を上げた[新聞 4]。合流後、K1はK4に対し「アイスピックでとどめを刺せ」と指示したため[新聞 4]、K4がアイスピックを使いDの左胸を突き刺し[新聞 4]刺殺した[新聞 7]

A・B・Dの遺体を軽乗用車に積み、諏訪川に遺棄(死体遺棄罪)編集

2004年9月18日午前2時40分から50分頃、K3・K4兄弟がAの遺体をワゴン車から軽乗用車の後部トランクに移動させた上で、4人はいったん帰宅した[新聞 4]

4人のうちK4はAの軽乗用車の前後ナンバープレートを取り外し、証拠隠滅のため[新聞 7]諏訪川に投げ捨てた[新聞 4]

そしてCの遺体遺棄現場である馬沖橋付近の堤防に移動し[新聞 7]、K1が運転席を車外から操作して[新聞 4]A・B・Dの計3人の遺体を乗せた軽乗用車を川に向かって走らせ、水没させることで遺体を遺棄した[新聞 7]

この時K3は対岸の道路に乗用車を駐車することで他の車が道路に入ってこないようにした[新聞 4]

A宅での強盗・犯行後の証拠隠滅編集

帰宅した4人は計画通り大牟田市小浜町内のA宅から現金を奪うことにした[新聞 4]

夜明け前にA宅に向かっていた途中、新聞配達員がバイクで走り回っていたため、K1が「K3の車は目立つから大牟田駅の駐車場に駐車させて、俺の車で回る」とK4を通じてK3に伝え、K3の車を大牟田駅前の近パーキングに駐車させた[書籍 26]

A宅付近に駐車した車内にK2を残し、K1・K3・K4の3人は走ってA宅に向かった[書籍 26]。その途中で3人は新聞配達員と遭遇したが、先頭を歩いていたK4は逃げ隠れようとはせず、早朝散歩を装って「おはようございます」とあいさつを交わし、K1・K3両名も同じく挨拶をしてやり過ごした[書籍 26]

K4がAの携帯電話から取り外した家の鍵を使って開錠し3人はA宅に土足のままで上がり込んだ[書籍 26]。3人は家じゅうで金目のものを探し回り[新聞 4]、K3・K4兄弟が不動産の権利書・借用書・指輪などの宝石鑑定書を発見したが[書籍 27]、現金は発見できなかったため、K1が「ヘタに書類を持ち出すと足がつく」と指示し[書籍 27]、書類を持ち出すことは断念した[新聞 4]。その途中、A宅で買われていた座敷犬が大声で吠えていたため、K3・K4両名が蹴り飛ばし、最後はとどめを刺す形でK1が頭を踏み潰して殺害した[書籍 27]

K3・K4はCを殺害した際、A宅の金庫から奪った指輪質屋に質入れしたが、その鑑定書から事件が発覚することを恐れたためK4が鑑定書・指輪を盗み出し付近の電柱下に隠した[新聞 4]

K2は午前4時30分頃ワゴン車内でAの手提げバッグ内から現金26万円を抜き取り、うち10万円をK3に与えた[新聞 4]。K3はその10万円のうち半分の5万円をK4に与えた[新聞 4]。その後K3・K4は、隠した鑑定書などを持ち出した[新聞 4]

奪った金についてK3は家賃の支払いに、K1・K2は電話料金支払い・建設作業員の出張費・暴力団の上納費などに費やした[新聞 4]

9月18日夜、K3・K4兄弟は「Cの遺体はブロックを結び付けただけなので浮かび上がってくるのではないか」と心配した[新聞 4]

兄弟が両親にCの殺害を打ち明けると両親も一連の犯行発覚を恐れた[新聞 4]

K4が諏訪川に潜り遺体を探したが見つけることはできなかった[新聞 4]。K4はいったん自宅に戻った後、午後になって再び諏訪川を探し被害者Cの遺体を発見したが、既に遺体の腐敗が激しかったため触れることを躊躇した[書籍 28]

一方でK3はA宅から奪った指輪4個を質入れして現金21000円を得た[新聞 4]

事件後の動向編集

事件後、被害者Aの母親(B・C兄弟の祖母)は行方不明になった娘Aと2人の孫(B・C)を案じ、K2の下を訪ねた。

この際Aの母親を前にしてK4は落ち着かない様子だったが、K2は「お茶は熱いのがいい?それとも冷たいのがいい?」「Cがいないねえ」などと話し落ち着いた様子だった[新聞 46]

2004年9月19日編集

2004年9月19日、Dの母親・Bのガールフレンドが大牟田署に「B・Dがいなくなった」と家出人捜索願を出したが[新聞 44]、大牟田署は「事件性はない」と相手にしなかった[雑誌 3]

この日は父K1が次男K4と酷似した男と一緒に、遺体発見現場付近で諏訪川を見つめつつ、ゆっくり歩く姿が近隣住民に目撃されていた[雑誌 3][新聞 45]

2004年9月20日編集

2004年9月20日午前、行方不明となったD宅に男の声で「(Dの)命はない」と脅迫めいた電話がかかった[新聞 44]。しかしこれは「K1一家が事件に絡んでいる」と確信していた被害者Bの友人たちが、なかなか重い腰を上げない警察を動かそうと苦肉の策として仕掛けた自作自演の電話だった[雑誌 3]

2004年10月までの捜査編集

2004年9月21日編集

少年Cの遺体発見編集

2004年9月21日午前10時頃、大牟田市沖田町にある馬沖橋の下流10mを流れる諏訪川に男性の遺体が浮いているのを通行人が発見し、福岡県大牟田警察署に110番通報した[新聞 1][新聞 2]

遺体は上半身裸で腐敗が進んでおり首・両足の計3か所に、ロープでブロックが括り付けてあった[新聞 1]。遺体は死後、時間が経過して腐敗が進行し内部にガスが溜まったことで水分に浮上したと思われる[新聞 47]

遺体発見現場は大牟田駅から南約2kmで、隣接する熊本県荒尾市との県境に近い田園地帯で[新聞 1][新聞 2]周辺には民家も多く、付近には大牟田市立駛馬北小学校(現・大牟田市立駛馬小学校)などもあった[新聞 1]

父親K1の動向編集

同日夜、父K1は大牟田市内の飲食店で飲酒していたが、その際「やれることはやった」などと独り言を繰り返すなど、不可解な言動が目立っていた[新聞 45]

2004年9月22日編集

K2をC事件の死体遺棄容疑で逮捕編集

2004年9月22日午前1時前[新聞 48]、福岡県警捜査一課・大牟田署はCの遺体を馬沖橋から諏訪川に遺棄したとして、女K2を死体遺棄容疑で逮捕した[新聞 1]

その後K2は福岡県警の取り調べに対し「4人を殺害した」と供述した[新聞 9]。その内容については既に遺体が発見されたC以外について「A・B・Dの3人を、Aの車ごと川に捨てた」と供述した[新聞 49]

その供述を裏付けるかのようにCの母親でK2の知人だった58歳女性A、Aの長男・Cの兄である大学1年生の少年B、Bの友人である17歳少年Dの計3人がそれぞれ行方不明になっていることが新たに判明した[新聞 9]

福岡県警の捜査に対し「金の貸し借りを巡りK2・Aの両者間にトラブルがあった」との情報が提供されたことから、福岡県警は[新聞 9]80人態勢で[新聞 44]行方不明となった3人の発見に全力を挙げた[新聞 9]。それとともに金銭トラブルの真偽について確認を急いだ[新聞 9]

その上で福岡県警は、Cの遺体発見現場である馬沖橋を通行止めにした上で、午後9時過ぎまで現場周辺の捜索を行った[新聞 50]

K1が拳銃自殺未遂編集

9月22日午前9時過ぎ、K2の夫K1が大牟田署2階の刑事課を訪れ「妻が逮捕された理由を聞きたい」と申し出た[新聞 50]。この時点ではK1に対し出頭要請はしていなかったため、身体検査などは行わなかった[新聞 50]

その後、大牟田署捜査員が1人で応対し、取調室で約1時間にわたりK1に対し机を挟んで事情を話した[新聞 50]

その後、午前10時16分頃[新聞 1]K1は突然拳銃を取り出した[新聞 50]。捜査員が制止する暇もないままK1は銃口を自身のこめかみに当て、1発発砲し自殺を図った[新聞 50]

K1は命に別状はなかったものの、病院に搬送され治療を受けた[新聞 44]

大牟田署の副署長(当時)・縄田和生は、「こんなところ(署内)で(拳銃を)発砲されるとは想定していなかった。腹立たしいが(この時点ではK1を)被疑者として呼び出していたわけではなかったため、人権上、身体検査などはできない」と説明した[新聞 50]。その上で「再発防止に関し、今後、知恵を絞っていかなければならない」と話した[新聞 50]

2004年9月23日編集

大牟田署に捜査本部設置、K2を福岡地検久留米支部に送検編集

Cの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K2は2004年9月23日までの取り調べに対し「A・B・Cの一家3人を含め4人を殺害した。そのうちCを除く3人は車ごと川に沈めた」と供述した[新聞 44]

同日付で福岡県警は連続殺人・死体遺棄事件として大牟田署に捜査本部を設置した[新聞 44]

後述のようにA・B・Dの3人の遺体を乗せた車は運転席が空いていたことから、運転免許証を持っていたK2が別の場所で3人を殺害した後、遺体を乗せた車を現場近くまで運転し川に沈めた疑いが強まった[新聞 51]。その一方で福岡県警は「女性であるK2単独では4人の殺害・遺体遺棄など一連の犯行を遂行するのは困難だ」として、大牟田署内で拳銃自殺を図ったK2の夫K1についても、犯行に関与した疑いがあるとして調べを進めた[新聞 51]

また福岡県警は2004年9月23日付で、被疑者K2を死体遺棄容疑で福岡地方検察庁久留米支部に送致した[新聞 44]

諏訪川底に沈んだ車から3遺体発見編集

2004年9月23日夜、福岡県警は諏訪川の川底で大規模な捜索を行った[新聞 49]。諏訪川のうち捜索した箇所は最深4mで、通常でも視界50cmほどと透明度は低く泥質の川底だったため捜索は難航した。これに加え同日は雨天で更に見通しが悪くなっていたため、捜索はさらなる困難を極めた[新聞 49]

そのような状況で、Cの遺体が発見された馬沖橋付近から約350m下流の[新聞 52][新聞 49]、川が大きく蛇行しヘドロが堆積した諏訪川の川底(水深約3.5m、川幅約30mの中央部分)を[新聞 49]大型クレーン車・投光器などを使用し捜索した[新聞 49]

その結果、県警機動隊所属のダイバーが潜水作業をしていたところ[新聞 51]午後6時すぎになって、女性Aが所有していた赤茶色の軽乗用車が沈められているのを発見した[新聞 49]。午後9時頃、車を大型クレーン車で引き揚げたところ[新聞 49][新聞 51]、車内から男女3人の遺体が発見された[新聞 44]

3人の遺体はいずれも衣服を着たままで、ロープなどで縛られた痕跡はなかった[新聞 44]。遺体は助手席、後部座席にあったが、一方で運転席は空いていた[新聞 51]

発見時、車のナンバープレートは発覚を遅らせる工作目的か前後とも取り外されていた[新聞 51]

次男K4をC事件の死体遺棄容疑で逮捕編集

2004年9月23日[新聞 13]、福岡県警捜査本部はK1・K2夫妻の次男K4を大牟田市内で発見し、任意同行を求めた[新聞 48]

同日深夜[新聞 48]、福岡県警はK2の共犯として「9月18日早朝、K2と共謀し、Cの遺体を馬沖橋から諏訪川に投げ込み遺棄した」として、次男K4を死体遺棄容疑で逮捕した[新聞 53][新聞 12][新聞 13]

K4については逮捕の第一報となった『読売新聞』2004年9月25日西部夕刊1面では「大牟田市在住の20歳男、被害者のうちの1人と友人関係」と匿名で報道されており、K2との血縁関係については言及されていなかった[新聞 53]

その後『読売新聞』2004年9月26日東京朝刊第一社会面39面・西部朝刊第一社会面39面では実名報道に切り替えられた上で「K4の息子」であることが明示されたが[新聞 12][新聞 13]、西部朝刊ではK4はK2の「次男」であるところを、「K4はK2の長男」と報道された[新聞 12]

2004年9月24日編集

遺体の身元をA・B・Dの3名と確認編集

福岡県警捜査本部は2004年9月24日、車に沈められた軽乗用車内で発見された3人の遺体をいずれも司法解剖し、死因・身元の特定を進めた[新聞 51]

その結果遺体の身元は行方不明だった女性A、Aの長男B、Bの友人少年Dと、それぞれ断定した[新聞 54][新聞 55]

また司法解剖の結果、3人の遺体は死後1週間程度経過していることが判明したが、死因・外傷などはこの時点では明らかにされなかった[新聞 54][新聞 55]

この時点までの取り調べに対し、K2は「大それたことをしてしまった」など反省の言葉を述べ、手を合わせて泣くこともあった[新聞 54]

金銭トラブルの存在編集

また被疑者K2は取り調べに対し「被害者Aから借金していた」と供述した[新聞 54][新聞 55]。これに加えAの友人たちから「Aは、K2に数百万円を貸していた。『なかなか返してもらえない』とこぼしてもいた」という情報提供があった[新聞 54][新聞 55]

しかし金銭トラブルのみが動機だとした場合、AだけならまだしもB・C兄弟や無関係なDまで殺害することはかなり不自然だった[新聞 54][新聞 55]。そのため福岡県警は他に殺害につながるようなトラブルがなかったか、慎重に捜査を進めた[新聞 54][新聞 55]

遺体発見現場付近を現場検証編集

A・B・Dの被害者3人の遺体がそれぞれ軽乗用車の助手席・後部座席にあった一方で運転席が空いていたことから、福岡県警は「3人は別の場所で殺害された後、K2が遺棄現場付近まで自ら車を運転し土手から車ごと川に転落させた」とみて同日、遺棄現場の諏訪川で遺留品の捜索を行った[新聞 54]

これに加え現場検証を行い車の侵入経路を確認した[新聞 54]。その結果、付近の土手から諏訪川の川岸にかけて車が通ったような痕跡が確認された[新聞 54]

2004年9月25日編集

B・D両名の遺体に銃撃痕を確認編集

福岡県警捜査本部が遺体を司法解剖した結果、B・D両名の遺体には[新聞 56][新聞 57]それぞれ3発ずつ[新聞 13]拳銃で銃撃された痕があったことが2004年9月25日になって判明した[新聞 56][新聞 57]

その一方でAの遺体には目立った外傷はなかった[新聞 13]

前述のように女性であるK2だけでは4人の殺害・遺体遺棄は困難とみられることから、福岡県警は複数人による犯行である線を強めた[新聞 56][新聞 57]

またK1が事情聴取中、取調室で拳銃自殺を図ったことから、K1が銃の入手経路など事情を知っているとみて、回復を待ち事件への関与の有無などを聴取する方針を固めた[新聞 56]

次男K4の逮捕を発表編集

福岡県警は2004年9月25日付で、Cの死体遺棄容疑で逮捕されたK2の共犯として、K2の次男K4を同じく死体遺棄容疑で逮捕したことを発表した[新聞 53][新聞 12][新聞 13][新聞 41]

これに加え被害者B・DとK4との間に交友関係を巡りトラブルがあったとする情報が福岡県警捜査本部に提供されたため、福岡県警は慎重に関連を調べた[新聞 13]

被害者A一家の通夜、被害者Dの告別式編集

遺体で発見された被害者A・B・Cの親子3人の通夜が、Aの母親(B・Cの母方祖母)が喪主を務め、同日、大牟田市内の斎場で営まれた[新聞 12]。翌26日、親子3人の告別式が営まれた[新聞 12]

同日、被害者Dの告別式も同市内の斎場で営まれた[新聞 12]

2004年9月26日編集

被害者A宅から金庫の紛失が判明編集

2004年9月26日、福岡県警捜査本部が親族の立ち会いの下、被害者A宅の状況を確認した結果、A宅の室内から小型金庫がなくなっていたことが判明した[新聞 22][新聞 58]

これに加え、Aは周囲の知人に対し利息を付けて金を貸しており、失われた小型金庫は現金・証書の保管などに使用されていた[新聞 22][新聞 58]

また被疑者K2はAから数百万円の借金をしていた[新聞 22][新聞 58]。その上でその金を原資に、夫K1が貸金業を経営していた[新聞 22][新聞 58]

K2はその元手としてAから多額の借金をしていたことが、同日までに判明した[新聞 22][新聞 58]。K2は借金の取り立てなどでAに協力することがあったが、借金の返済などを巡りAとトラブルになっていた[新聞 22][新聞 58]

このことから福岡県警は金銭トラブルが有力な犯行動機とみて、金庫の紛失を含めK2・K4両被疑者を引き続き追及した[新聞 22][新聞 58]

K4の乗用車を押収編集

同日、福岡県警は被疑者K4が普段から使用していた乗用車を押収した[新聞 22]

この乗用車は6人乗りワゴンタイプで、K4に加えK4宅に出入りしていた建設作業員らが使用していた[新聞 48]

K4は母K2の逮捕前後、この乗用車を大牟田市内の自動車修理工場に自ら乗り付けて持ち込み「廃車にしてほしい」と依頼した[新聞 48][新聞 59]。しかし修理工場側によれば年式こそ古かったものの目立った傷はなく廃車にする必要性は感じられなかったという[新聞 48]

福岡県警は事件発覚後K4の乗用車がなくなっていたことを重視した[新聞 48]。その後、聞き込みなどの結果、修理工場に持ち込まれたことを確認し26日朝に押収した[新聞 48]

2004年9月27日編集

K4に似た男の目撃情報編集

2004年9月27日までの福岡県警の捜査の結果、Cが殺害された翌日の2004年9月19日午後、体格・容姿が被疑者K4に酷似した男が、K4の父親で大牟田署で拳銃自殺を図ったK1とともに遺体遺棄現場の諏訪川周辺を歩いていた姿が、近隣住民に目撃されていたことが判明した[新聞 47]

K1の知人の証言によればK4に似た男とK1は、馬沖橋から川面を見つめながらゆっくり歩いていた[新聞 47]。これに加え2人が土手を下り川辺に近づいていたという目撃情報も寄せられた[新聞 47]

このことから福岡県警は犯行後、遺体が浮上していないか確認するため、現場に戻った可能性があると見た[新聞 47]。その上でこの男がK4だった可能性があるとして引き続きK2・K4両被疑者を追及した[新聞 47]

2004年9月28日

被害者の銃撃を認める編集

2004年9月28日、福岡県警の捜査の結果、それまで4人の殺害自体は認めつつも具体的な手口は供述しなかった被疑者K2が、共犯関係の追及を受けていた中で「息子K4が被害者を銃撃した」ことを認める供述をした[新聞 60][新聞 8]

司法解剖の結果B・D両名の遺体は、胸などをそれぞれ拳銃で3発ずつ撃たれていた[新聞 60]。摘出した銃弾を調べた結果25口径の拳銃から発射されたものと判明した[新聞 60]。福岡県警はB・D両名がそれぞれ3発ずつ計6発撃たれたことに注目し「2人がほぼ同時に同じ拳銃で撃たれた可能性が高い」と推測した[新聞 8]

また父K1が大牟田署内で自殺を図った際も同じ25口径の拳銃が使用されていたことから、その拳銃が犯行に使用されたとみて発砲の経緯・犯行の動機などを引き続き追及した[新聞 60][新聞 8]

その拳銃はベルギーFNハースタル社製の25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー」で、弾倉に銃弾6発が装填できるものだった[新聞 8]

福岡県警などによれば「ブローニング・ベビー」は暴力団関係者の間で30万円から40万円の捜査で取引されていたが、あまり出回っていなかった[新聞 8]

K4が被害者Aの貸金取り立てを代行していたことが判明編集

これに加え逮捕された次男K4は、被害者Aが周囲の知人らに貸していた金について取り立てを代行して行っていたことが福岡県警の捜査で判明した[新聞 61]

被害者Aは事件の10年以上前から知人に利子を付けて金を貸していた[新聞 61]。利子は通常より高い利率で[新聞 20]、借金額が膨らんで借り手に返済の見通しが立たなくなったり返済期限が守られなかったりした場合は、K4ら若者グループが借り手の家に出向き返済を要求するなどしていた[新聞 61]。回収に成功した場合、AはK2らに対し一定の手数料を支払っていた[新聞 20][新聞 62]

近隣住民である女性は『読売新聞』の取材に対し「知人がAさんとのトラブルを解決しようと飲食店に呼び出したところ、K2や、K4ら若者グループが来て大声で怒鳴られた。結びつきの強さに驚いた」と語った[新聞 61]

またAはK2について「姉御肌で気前のいい人。仕事上も付き合いがある」と周囲に話していた[新聞 61]。このことから、K2がK4に対しAへの協力を指示したとみられた[新聞 61]

動機の究明編集

一方福岡県警は「被疑者K2と被害者Aとの間の金銭トラブルが事件の発端となった」とする動機を強めたが、一家を殺害するほどの動機になるのか疑問視する声もあった[新聞 18]

被害者Aの一家が全員死亡していたため、福岡県警は関係者の供述・証拠を手掛かりに捜査を進めることとなった[新聞 18]

K2は逮捕された当初「4人を拳銃で撃った」と説明したが、司法解剖の結果A・C両被害者の遺体には銃撃痕は見られなかった[新聞 18]。また殺害の順番・場所の説明も二転三転するものだったため、福岡県警は「K2が何か重大なことを隠している」との見方で追及を続けた[新聞 18]

またK4は容疑を否認していたため、両被疑者を含めた被疑者一家の交友関係を幅広く捜査し事実解明を進めた[新聞 18]

またB・C兄弟らとK4の間には「女友達を巡ったトラブルがあった」という情報が寄せられていた[新聞 18]。そのためこれがエスカレートし両家全体を巻き込んだ事件に発展したとの見方も含め捜査を進めた[新聞 18]

2004年9月29日編集

被疑者K4が「全部俺がやった」と容疑を認める供述編集

被疑者K4は一連の事件への関与を否定していたが、2004年9月29日までに「全部俺がやったことだ」などと4人の殺害に関与したことを認める供述をした[新聞 63][新聞 64]

被疑者K2も、それまでの「自分が4人を殺害した」という供述から一転「息子K4が銃で撃った」と供述した[新聞 63][新聞 64]

このことから福岡県警は殺害・遺体運搬など、役割分担や動機の解明を急いだ[新聞 63][新聞 64]

一方K4は投げやりな態度で取り調べに応じていた上、母K2との供述が一致しないことも多かったため、福岡県警は供述の真偽について慎重に裏付け捜査を進めた[新聞 63][新聞 64]

被害者Aのものとみられる貴金属が被疑者K2宅などで発見される編集

福岡県警が同日までに被疑者K2・K4らの自宅(大牟田市桜町)などを捜索した際、指輪など数点の貴金属が発見された[新聞 65]。 そのうち一部の形状・種類などは被害者Aが生前、身に着けていたものと酷似していた[新聞 65]

またK2宅には現金・借用証書を収めた小型金庫もあったが、事件後A宅の状況を福岡県警が確認した際、金庫がなくなっていたことも判明していた[新聞 65]

このことから福岡県警は貴金属を入手した経緯についてK2から事情を聴いた[新聞 65]

2004年10月2日編集

長男K3をC事件の死体遺棄容疑で逮捕編集

福岡県警は2004年10月2日、弟K4と共謀し被害者Aの次男Cの遺体を橋の上から投げ込んだ共犯者として、K4の兄で母K2と元夫との間の子どもである長男K3を、死体遺棄容疑の被疑者として逮捕した[新聞 10][新聞 66]

同年6月頃から大牟田市内のアパートで生活していたK3は事件後「弟K4の弁護士が見つからない」と漏らし弁護士を探していた[新聞 20]。また逮捕の約1週間前、被害者の告別式に参列するためか喪服姿で外出する姿が目撃されていた[新聞 20]

母K2の回収金着服編集

同日までの取り調べの結果、K3・K4兄弟の母K2は事件直前、被害者Aの依頼で取り立てた貸金の回収金を着服しAとトラブルになっていたことが判明した[新聞 20][新聞 62]

Aの依頼の下、借金の取り立てを行っていたK1一家は、回収に成功した場合一定額の手数料を受け取っていた[新聞 20][新聞 62]。しかしK2らは手数料に満足せず、複数の借り手から回収した数万円から十数万円の金を着服していた[新聞 20][新聞 62]

これを知ったAは同年9月上旬K2らに抗議したが、K2らと口論になっていた[新聞 20][新聞 62]

2004年10月3日編集

Aら3人の遺体遺棄に父親K1の関与が判明編集

2004年10月3日、福岡県警の捜査の結果、車ごと川に沈められたA・B・Dの3人の遺体遺棄について、大牟田署で拳銃自殺を図り市内の病院に入院していた父親K1が関与していたことが判明した[新聞 67][新聞 68]。一連の事件でK1の関与が判明したのは初めてだった[新聞 67][新聞 68]

これにより、一連の事件は既に逮捕された妻K2と息子のK3・K4兄弟に加え、K1を含めた一家4人による犯行だったことが判明した[新聞 67][新聞 68]

そのため福岡県警はK1の回復を待ち、死体遺棄容疑で逮捕する方針を固めた[新聞 67][新聞 68]

また2つの遺棄事件(C事件、A・B・D事件)はそれぞれ遺棄現場・犯行日がほぼ同一だったことから、福岡県警はこの時点ではK1・K3に対し未立件だったC事件についても、2人が関与したとみて事情聴取した[新聞 67][新聞 68]

アパートの一室を実況見分編集

福岡県警は同日、殺害など一連の犯行に使われた可能性があるとして[新聞 67][新聞 68]K3・K4両被疑者が出入りしていた[新聞 69]大牟田市本町4丁目の[新聞 70]JR大牟田駅付近の住宅密集地に所在し、被害者A宅から約600m離れた木造アパートを実況見分した[新聞 69]

アパートは2階建てで1階は車庫になっており居室が2階に4部屋ある構造だった[新聞 67][新聞 69]。特にK3・K4両被疑者の関係者の居室と見られた2階の一室が重点的に検証された[新聞 69][新聞 70]

周辺住民によれば、この部屋には2002年(平成14年)頃から暴力団関係者とみられる男が入居していた[新聞 70]

また若い男らが頻繁にアパートに出入りしており[新聞 70]、深夜にバイクを吹かしたり大声で携帯電話を使って通話することがあった[新聞 67]。。周辺では携帯電話で「金を返せ」と怒鳴る声がしていたという[新聞 70]

車庫には普段、高級車が数台駐車してあった[新聞 67]

2004年10月4日編集

被疑者K2が「息子たちを巻き込んだ」と供述編集

2004年10月4日、福岡県警の捜査の結果Cの死体遺棄容疑で逮捕されていた被疑者K2は「Aとトラブルになっていた。自分のせいで息子たちを巻き込み迷惑をかけた」と供述したことが判明した[新聞 71]

福岡県警は前述したようにK2がAとの間に金銭トラブルを抱えていたことを把握しており、これが両家を巻き込んだ事件に発展したとの見方を強めていた[新聞 71]

しかし供述した「トラブル」の具体的な内容・被害者4人の殺害状況について、K2はこの時点でもあいまいな供述を繰り返していた[新聞 71]

そのため福岡県警はC事件の共犯として逮捕された次男K4、A・B・Dの死体遺棄事件で逮捕されていた長男K3をそれぞれ庇っている可能性が強いとみて引き続き追及した[新聞 71]

被疑者K4、拘置先の福岡県警筑紫野署で自殺未遂編集

2004年10月4日午前0時すぎ、被疑者K4が拘置されていた福岡県警筑紫野警察署にて、留置場の看守席で監視していた署員がうめき声を聞いた[新聞 72][新聞 73]。確認したところ、拘置中の被疑者K4が丸めたトイレットペーパーを喉に詰めた状態で布団の上でぐったりしていた[新聞 72][新聞 73]

これを発見した署員は、速やかにK4の喉からトイレットペーパーを取り出した上で救急車を呼び、付近の病院に搬送させた[新聞 72][新聞 73]。発見が早かったためK4の生命に別条はなく、K4自身も診察を拒否した上、医師も「診察の必要はない」と判断した[新聞 72][新聞 73]

この自殺未遂事件は、約1か月後の2004年11月26日になって、『読売新聞』夕刊などで報道された[新聞 72][新聞 73]

2004年10月7日編集

A事件の死体遺棄容疑でK1を逮捕編集

2004年10月7日、福岡県警はA・B・Dの3人の遺体を車ごと川に沈めたとして、一家の主である暴力団幹部K1を死体遺棄容疑の被疑者として逮捕した[新聞 11][新聞 74]

それまでK1は前述のように大牟田署内で拳銃自殺を図り頭部に重傷を負っており、大牟田市内の病院で治療中だった[新聞 11]。しかしこの日、医師が「逮捕後の拘置に耐えきれる」と判断したため捜査本部が逮捕に踏み切った[新聞 11]

この拳銃自殺を図った際に使用した銃もB・D両名の遺体から検出された銃弾もそれぞれ25口径拳銃(及びその弾)だったため、捜査本部は「K1が自殺未遂に使用した銃がB・D両名の殺害に使用された」とみて裏付け捜査を進めた[新聞 11]

取り調べに対し被疑者K1は「全部俺がやった」と供述した[新聞 11]。しかしそれまでの調べに対し、次男K4も「全部俺がやったことだ」、妻K2も「自分のせいで子供を巻き込んだ。息子が銃で撃った」などとそれぞれ矛盾する供述をしていたため、福岡県警は慎重に裏付け捜査を進めた[新聞 11]

署内で拳銃自殺を図った動機について、福岡県警はK1が深く事件に関与しており、自殺を図ることで捜査を攪乱する意図があったとみてさらに追及した[新聞 11]

福岡県警は一連の事件はK1一家4人全員が関与したものと断定した上で、Aらを殺害した人物、殺害の動機・方法などの特定を進めた[新聞 11]

A事件の死体遺棄容疑でK2・K4両被疑者を再逮捕編集

福岡県警は同日、C事件の死体遺棄容疑で逮捕されていた母K2・次男K4をそれぞれA・B・Dの3人に対する死体遺棄容疑で再逮捕した[新聞 11][新聞 74]

2004年10月8日、被疑者K2の新たな供述編集

2004年10月8日までの取り調べで、A一家ら4人の死体遺棄容疑で逮捕されていた被疑者K2が、Aの次男Cを殺害し遺体の遺棄にも関与した容疑について「まったく知らない。Cが殺されたことはあとで知った」と供述していることが判明した[新聞 75]

一方A・B・Dの計3人の遺体を遺棄した容疑は認めた[新聞 75]。そのため福岡県警の捜査本部は、夫K1や息子K3・K4兄弟との役割分担を追及するとともに裏付け捜査を進めた[新聞 75]

2004年10月13日編集

被疑者K3が死体遺棄容疑を認める供述編集

2004年10月13日までの取り調べの結果、A・B・Dの3人の遺体を遺棄した死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K3が、それまでの全面否認から一転して容疑を認める供述を始めた[新聞 76]。これにより一家4人全員が容疑を認めたこととなった[新聞 76]

一方K1・K4両被疑者は「全て自分がやった」と供述していたが、それぞれ矛盾することから福岡県警捜査本部は供述の裏付けを急いだ[新聞 76]

一方捜査本部が、B・D両名に向けて発砲された拳銃とK1が大牟田署で自殺を図った拳銃について銃弾の線条痕を鑑定した結果、線条痕が一致したため同一の拳銃によるものであったことが判明した[新聞 76]

被疑者K2「殺人止めようとした」と供述編集

同日までの取り調べの結果、被疑者K2は「夫K1や息子がAら3人を殺すのを止めようとしたがどうしようもなかった」と供述した[新聞 77]

一連の事件で被疑者が殺害の実行役に関して具体的な供述をしたのはこれが初めてだった[新聞 77]。。福岡県警捜査本部はこの新供述について「息子」とはK3・K4のどちらを指すのかの特定や殺害方法などの追及を進めた[新聞 77]

2004年10月12日、被疑者K2を処分保留編集

2004年10月12日、福岡地方検察庁久留米支部はCの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K2について「本日で勾留期限が切れるが犯行の状況を含め事件の解明に至っていない」として処分保留とした[新聞 78]

2004年10月14日、被疑者K3を処分保留編集

2004年10月14日、福岡地検久留米支部はCの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K3について、母K2と同様の理由で処分保留とした[新聞 78]

Cの死体遺棄容疑における勾留期限は切れたが、K2・K3両名はAら3人の死体遺棄容疑で再逮捕されていたため引き続き拘置された[新聞 78]

2004年10月15日、被疑者K2が新たな供述編集

2004年10月15日、Aら3人の死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K2が「9月17日か18日、出入りしていた大牟田市本町のアパートで夫K1、息子K3・K4とともに被害者Aと会った。Aと口論になり、K1ら3人がAを殺そうとしたため自分が止めた。その後全員で市内の港に移動した後(息子らが)Aを殺害した」と供述した[新聞 79]

その一方で、自ら殺害行為に加担したことは否定した上で、ともに遺体で発見されたB・D両名については「いつ、どこで殺されたかは知らない」と供述した[新聞 79]

捜査本部はK2とAの間にあった金銭トラブルが犯行の主な動機と見た上で、夫K1や息子K3・K4の3被疑者がAを殺害したとみて殺害方法・場所の特定を急いだ[新聞 79]

2004年10月18日・10月19日、被疑者立ち会いの下で現場検証編集

福岡県警捜査本部は2004年10月14日、被疑者K3立ち合いの下、大牟田港岸壁などで現場検証を行った[新聞 80]

翌10月19日には被疑者K3を立ち会わせ、同様の場所で現場検証を行った[新聞 80]

2004年10月22日編集

福岡地検久留米支部、K2・K3・K4の3被疑者を死体遺棄罪で福岡地裁久留米支部に起訴編集

2004年10月22日、福岡地検久留米支部はA・B・Dの3人に対する死体遺棄罪で拘置期限が切れるK2・K3・K4の3被疑者を、福岡地方裁判所久留米支部起訴した[新聞 81]

被疑者K1は拳銃自殺を図って入院し逮捕が遅れたため、2004年10月28日が拘置期限となっていたためこの日は起訴されなかった[新聞 81]

被疑者4人とも取り調べに対し、この3人に対する死体遺棄罪について大筋で認めた[新聞 81]

A・B・Dの3人について殺害方法・場所が判明編集

同日、福岡県警捜査本部による捜査の結果、諏訪川に沈められた車から遺体で見つかったA・B・Dの被害者3人について大まかな殺害方法・場所が判明した[新聞 81][新聞 82]

そのうちAは、前述のように9月17日、大牟田市本町のアパートでK1一家4人と口論になりK1らが殺害しようとした[新聞 81][新聞 82]。妻K2が諫めたことでその場はおさまったが、ワゴン車にAを載せ全員で大牟田市西新町の大牟田港岸壁に移動した[新聞 81][新聞 82]。その際、次男K4がひも状のもので首を絞めて絞殺した可能性が高いことが判明した[新聞 81][新聞 82]

一方でB・D両名は9月16日か17日頃、Bの母Aの軽乗用車で行方不明になっていたBの弟Cを捜索していたところ、K4らに呼び止められた[新聞 81][新聞 82]。K4らはその後、Aの殺害現場から約1km離れた大牟田港付近の埋め立て地まで連れて行き、軽乗用車内にて拳銃で射殺した疑いが強いことが判明した[新聞 81][新聞 82]

その後4人はAの遺体を軽乗用車の荷台に乗せ、9月18日午前3時半ごろ大牟田市沖田町の諏訪川に車ごと沈めた[新聞 81][新聞 82]

このように殺害方法・場所の特定が進んだことから福岡県警捜査本部は、Aら3人の死体遺棄容疑で逮捕されたK1ら一家4人を、翌週中にも殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[新聞 81]

2004年10月26日編集

Aに対する強盗殺人容疑で一家4人を再逮捕編集

2004年10月26日、福岡県警捜査本部は「K1ら一家4人が金銭トラブルの末、金目当てで被害者Aを睡眠薬を飲ませた上で殺害し現金などが入ったバッグを奪った」と断定し、被疑者一家4人をいずれも強盗殺人容疑で再逮捕した[新聞 5][新聞 83]

捜査本部は被疑者4人が、Bら残る3人についても殺害に関与したとみて引き続き役割分担を追及した[新聞 5]

K1を死体遺棄容疑で追起訴編集

福岡地検久留米支部は同日、入院で逮捕が遅れていた被疑者K1を死体遺棄罪で追起訴した[新聞 5]

2004年10月29日、被告人K2の新たな供述編集

2004年10月29日までに死体遺棄罪で起訴された被告人K2は「被害者Aを殺害後、夫K1が息子に『Aの子どもを拉致してこい』と指示した」と供述した[新聞 84]

福岡県警捜査本部は夫K1が事件の発覚を恐れ、息子K3・K4両被告人に対しB・D両名の拉致・殺害を指示したとみてさらに追及した[新聞 84]

またAら3人より先に殺害されたAの次男Cについても、殺害の経緯・役割分担について一家4人を引き続き追及した[新聞 84]

2004年11月から捜査終了まで編集

2004年11月11日、Aの殺害現場付近を捜索編集

2004年11月11日、福岡県警捜査本部はAの殺害現場となった大牟田港付近の大牟田川を捜索した[新聞 85]。その結果、川底から殺害の凶器に用いられたとみられる自転車のワイヤー錠のようなものが発見され、押収された[新聞 85]

捜査本部は、強盗殺人容疑で逮捕された被疑者K4が港付近の岸壁に駐車した車内でAを絞殺した後、凶器のワイヤー錠を海に投げ捨てたとみて引き続き追及した[新聞 85]

2004年11月13日、被告人K3が福岡地検久留米支部から脱走編集

2004年11月13日午前9時30分頃[新聞 86]、被疑者・被告人K3は拘置されていた福岡県久留米警察署から福岡地検久留米支部(久留米市篠山町)に移送された[新聞 86][新聞 87][新聞 88]。この時、護送車を運転していたのは大牟田署刑事課巡査長(当時27歳)で、大牟田署警備課巡査部長(当時49歳)大牟田署警備課巡査長(同25歳)がそれぞれK3に付き添っていたが、3人はいずれも留置管理担当者ではなかった[新聞 86]

その後K3は同所で検察官による取り調べを受けていた[新聞 86][新聞 87][新聞 88]。元力士で大柄なK3の逮捕後は、機動隊員2人を大牟田署に派遣し護送などの応援に当たらせていた[新聞 89]

K3は福岡県警から「特別要注意者」に指定され留置場では機動隊員も監視に加わることになっていたが、護送業務は通常体制だった[新聞 86]。またK3は機動隊員の同行を嫌がり反抗することが多かったため、護送を担当した3人はこの日、同行を断っていた[新聞 89]

午後5時過ぎ、K3と大牟田署員3人の計4人は夕食を摂るため被疑者の待機・休憩に使われる検察庁舎3階の「同行室」に移動した[新聞 86]。この時、同行室の鍵を開けたのは地検支部の事務官だった[新聞 86]。事務官から鍵を手渡されなかったことなどから3人は「扉は施錠しないでおくものだ」と思い込み、誰も鍵を取りにいかなかった[新聞 86]。地検支部は当時建て替え中で仮庁舎に移転していたが[新聞 87][新聞 88]、旧庁舎の同行室の扉は施錠できない構造だった[新聞 86]

K3は両手から手錠を外され[新聞 86][新聞 87]正面奥に座り、その左隣に巡査部長、扉の左右に巡査長2人がそれぞれ椅子に座った[新聞 86]。この時、巡査長の1人が室外に右足を出した状態だったがK3の腰縄は誰も持っておらず、床に放置していた[新聞 86]

午後5時40分頃、K3は大牟田署員3人の付き添いの下[新聞 87][新聞 88]、同行室にて夕食の弁当を食べていた[新聞 86]。弁当を食べ始めた当初は署員1人が室外にいたが、K3から「一緒に食べよう」と誘われ全員が室内に入ってしまった[新聞 89]

弁当を食べ始めてから約10分後、署員より早く弁当を食べ終えたK3は室内をうろつき始め「部屋が暑い。エアコンを調整したい」と言った[新聞 86]。そしてまだ食事中の巡査長2人の間をすり抜け、いったんオートロックの扉の外に出た[新聞 86]。エアコンのリモコンは隣の事務室にあったため[新聞 86]、大牟田署員1人がK3に付き添い隣室に向かった[新聞 87][新聞 88]

エアコンのリモコンを取り扉近くに戻ったところ[新聞 86]、K3が「(操作は)1人でできる」と言ったため、警察官が先に隣室を出て同行室に戻った[新聞 87]

K3は脚を出していた巡査長に対し「眼鏡を貸してくれ」と言った[新聞 86]。巡査長が眼鏡を差し出すと、K3は眼鏡をかけるふりをして同行室内に投げ入れ、巡査長が足をひっこめた瞬間[新聞 86]、同行室のオートロックの鉄格子扉を閉め[新聞 87][新聞 86]3人を閉じ込めた[新聞 87][新聞 88]

福岡県警の被留置者管理規定によれば、食事をする間を含め[新聞 87]同行室に被留置者を入れた際は警察官は自動的に施錠される同行室の扉を閉め[新聞 90]、隣の小部屋で待機し[新聞 87]外から監視を続けることとなっていた[新聞 90]

しかし警察官は鍵を持たず3人とも同行室に入った上、扉を完全に閉めていなかった[新聞 87]。その上、同行室から退出することなくK3と一緒に食事を摂るという「内規違反に油断が重なる」事態が逃走につながった[新聞 90]

警察官は室内から解錠する鍵を持っていなかったためドア越しに説得したが[新聞 87][新聞 88]、K3は腰縄を外しながら「担当者さん、悪い」[新聞 86]「俺は(強盗殺人などを)やっていない。死刑になるかもしれないから逃げる」[新聞 86][新聞 87][新聞 88]「3日経ったら戻ってくる」と言い残し[新聞 86]、階段を降り[新聞 86]履いていたスリッパを1階に残したまま裸足で検察庁舎から逃走した[新聞 87]。これを受け、警察官は携帯電話で110番通報しK3が逃走したことを知らせた[新聞 87][新聞 88]

K3は脱走から約15分後[新聞 91][新聞 92]の午後5時55分[新聞 93]、地検支部から南へ約800mの[新聞 91][新聞 92]久留米市本町の福岡県道23号久留米柳川線[新聞 93]待機中のタクシーに客を装って乗り込んだ[新聞 91][新聞 92]。そしてタクシー運転手に対し「3日ほど暴力団に監禁されていて脱走してきた。金は知人に持ってこさせるから柳川市方面に行ってくれ」と指示した[新聞 91][新聞 92]

このタクシー運転手は裸足だったK3の「ヤクザから逃げてきた」という言葉を信じ込み、「組から逃げてきたな」と思っただけで特に不振には思わなかったという[新聞 93]。運転手は普段車中でラジオを流していたが、後述のようにK3に自分の携帯電話を貸し通話させていたため音量を小さくしていた[新聞 93]。そのため運転していたタクシーが後述のように警察官に取り囲まれるまで、客だと思って乗車させたK3の正体にまったく気づかなかったという[新聞 93]

また、タクシー運転手によればこの時のK3は「タクシー料金のみならず、途中に立ち寄ったコンビニエンスストアで運転手が購入したペットボトルのお茶代なども含めきちんと料金を払おうとしており、普通の客より丁寧な口ぶりだった」という[新聞 93]

柳川市の沖端川河口付近に到着後、K3は運転手に対し「熊本県玉名郡南関町経由で大牟田市に向かってくれ」と指示した上で「(大牟田市内の)幹線道路は見張りがいるから行けない。裏道を知らないか」と尋ねた[新聞 91][新聞 92]

その後K3は運転手の携帯電話を借り、知人と数十回にわたり「金を貸してくれ」「もうすぐ着く」などと連絡を取り、タクシー料金として現金を届けるように要請していた[新聞 91][新聞 92]

逃走から約3時間後の午後8時50分ごろ、地検支部から南に約35km離れた[新聞 87]熊本県荒尾市上井手の駐車場に到着した際、タクシー料金が20400円に達していた[新聞 91]。そのような中、K3はタクシーからいったん下車し、車外で電話をかけた[新聞 91]

しかしK3が車内に戻ったところ数人の捜査員がタクシーを取り囲んだ[新聞 91]。K3は当初後部座席でドアを開けさせまいと抵抗したが、観念した様子で車外に出て警察に取り押さえられた[新聞 91]

福岡県警が通話記録などを調べた結果、携帯電話でK3とやり取りしていた相手は、父K1の配下の暴力団組員だった[新聞 93]

地域住民らの反応編集

K3の義父K1が、大牟田署内で拳銃自殺を図った衝撃が冷めやらぬうちに、凶悪犯罪の被告人が、週末の夜の街に逃亡したこの事件は、福岡県警の相次ぐ不手際を露呈する形となった[新聞 94]

またこの3時間にわたる逃走劇は、現場の大牟田市・地検支部がある久留米市を中心に、地域住民に大きな不安・衝撃を与えた[新聞 94]

「大牟田市内で現場検証に立ち会うK3の姿を見た」という近隣住民は「現場検証で見たときは、K3は大男だったのに付き添う捜査員の数が少なかった。逃げ出してもおかしくないと思ったが現実になってしまった」と語った[新聞 94]

また確保現場となった荒尾市上井手の近隣住民は「熊本県重要文化財眼鏡橋付近の駐車場近くでパトカーなど数台の車両が止まり、タクシーを4,5人で取り囲んでいたのを目撃した。後でテレビのニュースを見て、そこでK3の身柄が確保されたことを知った。逃走のニュースが流れた直後『ここに逃げてくるかも』と家族と冗談を言い合っていたが、まさか本当になるとは」と驚いていた[新聞 94]

地検支部付近の私立保育園(園児120人)の園長は「警察官がそばにいたのに、なぜ逃走できたのか」と疑問の声を口にした[新聞 94]

福岡県警・警察庁の対応編集

午後5時44分「K3逃走」の第一報を受けた久留米署は緊急配備を敷くとともに全署員を招集し、K3の顔写真を捜査員に携帯させ捜索に当たらせた[新聞 90]

また知らせを受けた福岡県警は殿村明大・刑事部長をはじめ、刑事部員全員が緊急招集された[新聞 90]。本事件の捜査を担当していた捜査一課は情報収集・捜査員の割り振り・近隣県警との連絡に追われ、時折「検問を強化せよ」という声も飛び交った[新聞 90]

事件の舞台でありK3の逃走を許した巡査部長1人・巡査長2人が所属していた大牟田署は、身柄確保から3時間後の2004年11月14日午前0時前、中村隆一署長が記者会見した[新聞 90]。中村は、安堵の表情を見せつつも「凶悪事件の被疑者が逃げたことは大変申し訳ない。再発防止に努めたい」と陳謝した[新聞 90]

事件を受け、福岡県警は翌2004年11月14日、全警察署長に対し被疑者・被告人の逃走防止を徹底するよう文書で通達した[新聞 90]

またK3の逃走時に付き添っていた大牟田署員3人に対し処分を検討した[新聞 90]

福岡県警留置管理課は2004年11月17日、福岡市にある福岡県警察本部にて各所の留置担当者(警察署の留置管理課長ら)を集め緊急会議を開き、留置手順の徹底を指導した[新聞 95]

警察庁は事件後、都道府県警察警察本部に対し「同行室の運用実態の把握」「同行室での管理要領の制定」「被疑者に応じた護送態勢と人員の選定」などを指示した[新聞 86]

2004年12月13日、福岡県議会一般質問で、県議会議員・清田信治(県政クラブ)が、この逃走事件について「今回の失態とも言われている容疑者脱走という事件に対して、警察本部長はどのように受けとめてあるのか」、「周辺に警戒を呼びかける広報をしなかった警察に対して住民からは強い批判の声が上がっている。今回の事件で久留米市民へなぜ外に出ないような待機勧告、逮捕後の広報並びに待機解除などの情報提供をしなかったのか、その根拠となる理由は」、「逃走防止の基本や事件発生時には住民への避難、待機などの勧告、解除などの広報マニュアルがあるのかないのか」と、廣畑史朗・福岡県警本部長に質問した[その他 1][新聞 96]

これに対し廣畑は「地域住民を初め県民の皆様に多大の不安を与え、警察に対する信頼を大きく損なったものであり、まことに遺憾であります。今後このような事案を二度と引き起こすことがないよう再発防止に努めていく所存であります」と陳謝した[その他 2][新聞 96]。その上で久留米市民に直接の広報をしなかった理由について「逃走直後の早い段階から被疑者は久留米から大牟田方向へタクシーで逃走中であるとの確度の高い情報を入手し、逃走現場付近での潜伏等の可能性が極めて低いと判断したことなどから」と回答した[その他 2][新聞 96]。また「事件が発生した場合の現場広報や防犯情報の提供につきましては一般的なマニュアルはありますが、本事案のような場合は個々の事案の犯行対応や模倣性連続性などを勘案して、情報提供の要否を判断しているところであります」「今後とも犯罪の発生実態を的確に判断し、住民の皆様が防犯行動をとれるようわかりやすい広報に努めてまいりたいと考えております」と、それぞれ回答した[その他 2]

2005年1月27日、福岡県警はK3の逃走事件を受け、関係者を以下のように処分した[新聞 89]。その一方で護送を担当した3人が「K3が嫌がる」などの理由で本来必要だった機動隊員の同行を断っていたことも新たに判明した[新聞 89]

  • 護送を担当した大牟田署員3人を - いずれも減給(10分の1、期間:1か月から3か月)[新聞 89]
  • 被告人K3を留置していた久留米署留置管理課長 - 懲戒処分戒告[新聞 89]
  • 大牟田署・久留米署の両署長、副署長ら計8人 - 本部長訓戒などの内部処分[新聞 89]

2004年11月16日編集

福岡県警、被告人4人を被害者B・D両名に対する殺人容疑で再逮捕編集

2004年11月16日、福岡県警捜査本部は被害者B・D両名を大牟田港岸壁に停車した軽乗用車後部座席で拳銃で射殺したとして、いずれも死体遺棄罪で起訴された被告人4人を、殺人容疑で再逮捕した[新聞 6][新聞 97]

被疑者・被告人K2は残るCの殺害について「息子K4から『人を殺してしまった』と打ち明けられ初めて知った。4人の中で最初に殺害された」と供述した[新聞 6]

捜査本部は一連の犯行の動機をAの財産目当てであると目星をつけていたが「Aの財産目当ての犯行だとして、なぜCが最初に殺害されたのか」などの疑問点を抱えていた[新聞 6]

そのため「次男Cの殺害が発端となり、かねてからトラブルとなっていたAを金を奪う目的で殺害した。その口封じのため長男Bの殺害に発展したところ、Bと同行していたDも巻き添えになった」とみて全容解明を急いだ[新聞 6]

福岡地検久留米支部、被告人4人を被害者Aに対する強盗殺人罪で追起訴編集

福岡地検久留米支部は同日K1・K2・K3・K4の被告人4人を、被害者Aに対する強盗殺人罪で福岡地裁久留米支部に追起訴した[新聞 6]

2004年11月25日、次男Cの殺害動機解明編集

2004年11月25日までの福岡県警捜査本部の捜査の結果、一連の事件の発端は被告人K3・K4兄弟が金を奪う目的でA宅に侵入したことである可能性が高いことが判明した[新聞 98]

その経緯は「父K1・母K2がA宅の多額の現金を狙っていたことを知ったK3・K4は、両親を出し抜こうとA宅に侵入したが、この時、当時1人で留守番をしていたAの次男Cに気付かれたためタオルのようなもので首を絞めた。その後、気絶したCを車に乗せA宅を出たが、途中でCが息を吹き返したため車内で再度首を絞めて殺害した」というものだった[新聞 98]

それまでの取り調べで、両被告人の母K2はC殺害について「K4から『人を殺した』と打ち明けられて初めて知った」と息子2人の関与をほのめかした[新聞 98]

これを受け捜査本部は、強盗殺人容疑での再逮捕を視野に追及を進めた[新聞 98]

2004年11月26日、被告人K3逃走の詳細が判明編集

2004年11月26日、K3が福岡地検久留米支部の仮庁舎から逃走した際の詳細な経緯が判明した[新聞 90]

この時「護送した大牟田署員3人はK3とともに同行室に入った際、誰も室外で待機していなかった」「オートロック式の鉄格子が閉まらないよう、1人が右足を室外に出していた」「食事の際、腰縄を床に放置していた」「K3が室内を自由に歩き回っていた」など様々な不手際が明らかになった[新聞 90]

2004年12月7日編集

福岡県警、K3・K4兄弟を再逮捕編集

2004年12月7日、福岡県警捜査本部はK3・K4兄弟を「Aの次男Cに対する強盗殺人容疑」で再逮捕した[新聞 99]。これに加え、K3についてはCに対する死体遺棄容疑でも再逮捕した[新聞 99]

また同日、大牟田署の取調室で拳銃自殺を図った兄弟の父K1を銃刀法違反容疑などで再逮捕した[新聞 99]

これにより、母K2を含めK1一家4人全員が「A宅に大金があると思い込み金目当てで犯行に及んだ」と断定した上で、被害者4人全員について強盗殺人罪・殺人罪で立件を完了した[新聞 99]

福岡地検久留米支部、K1ら一家4人を殺人・銃刀法違反罪で追起訴編集

福岡地検久留米支部は同日、K1ら被告人一家4人を被害者B・D両名に対する殺人・銃刀法違反の罪で、福岡地裁久留米支部に追起訴した[新聞 99]

2004年12月17日、福岡地検久留米支部、被告人K1を銃刀法違反罪で追起訴編集

2004年12月17日、福岡地検久留米支部は大牟田警察署の取調室で拳銃自殺を図った被告人K1を「2004年9月22日午前10時15分頃同署の取調室にて拳銃1丁・実弾8発を所持した」として、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪(加重所持)で福岡地検久留米支部に追起訴した[新聞 100]

2004年12月27日、福岡地検久留米支部、被告人K3・K4兄弟を被害者Cに対する強盗殺人罪で追起訴編集

2004年12月27日、福岡地検久留米支部は被告人K3・K4兄弟を「2004年9月16日夜、被害者Cの首を絞めて失神させ指輪など貴金属61点(約400万円相当)が入った金庫を奪った上、Cの首を再び絞め、Cを諏訪川に投げ込んで殺害した」として強盗殺人罪で福岡地検久留米支部に追起訴した[新聞 101]

両被告人はCに対する死体遺棄罪でも逮捕されていたが、福岡地検久留米支部は「Cが死亡する前に川に遺棄しCが溺死した可能性も否定できない」として死体遺棄罪での起訴は見送り強盗殺人罪でのみ起訴した[新聞 101]

また同じく死体遺棄容疑で逮捕された母K2は「関与が認められない」として不起訴処分とした[新聞 101]

2005年1月4日、大牟田警察署、被告人K3を単純逃走容疑で書類送検編集

2005年(平成17年)1月4日、大牟田警察署は被告人K3を「2004年11月13日午後5時40分頃、大牟田署員3人の隙をついて取り調べ中の福岡地検久留米支部から脱走した」として単純逃走罪で福岡地検久留米支部に書類送検した[新聞 102]。これにより福岡県警は一連の事件捜査を終結させた[新聞 102]

2005年1月11日、福岡地検久留米支部、被告人K3を単純逃走容疑で追起訴編集

2005年1月11日、福岡地検久留米支部は被告人K3を前述の書類送検容疑である単純逃走罪で福岡地裁久留米支部に追起訴した[新聞 103]

福岡県弁護士会筑後部会があみだくじで弁護人を選出した問題編集

弁護人については当初4被告人ともに、それぞれ国選弁護人・私選弁護人が選任されたが、次男K4の弁護人が産休のために辞退した[新聞 104]

これに加え妻K2の私選弁護人も「やりたくない」と辞退したほか夫K1の弁護人も担当できなくなった[新聞 104]。その結果、長男K3以外3被告人についてはいずれも弁護人が担当できない状態となった[新聞 104][新聞 105]。部会所属の弁護士曰く、引き受け手が見つからなかった理由は「福岡拘置所が建て替え予定で遠隔地になることや、調書が膨大で手間がかかるため引き受け手が見つからなかったことだ」という[新聞 106]

そのため3被告人について地元の福岡県弁護士会筑後部会(部会長:高橋謙一)が部会の国選弁護人名簿に基づき依頼して回ったが、いずれにも断られてしまった[新聞 104][新聞 105][新聞 107]。そのため高橋は苦肉の策として[新聞 104][新聞 105]「公平を期する方法」と[新聞 106]、新たに弁護人3人(被告人1人につき1人)をあみだくじで新たに選出した[新聞 104][新聞 105][新聞 107][新聞 106]

高橋は『朝日新聞』の取材に対し「これが初めてではなく10年ほど前にも1度(あみだくじでの選出を)やったことがある」と話した[新聞 107]。あみだくじによる選出は2004年12月2日、部会事務局で実施し「当たった」3人がそのまま国選弁護人に選任された[新聞 107]

2004年12月11日あみだくじによる弁護人選出が判明し『読売新聞』・『朝日新聞』・『東京新聞』などで報道された[新聞 104][新聞 105][新聞 107][新聞 107]。部会関係者は「被告人に最適な弁護人を決めるという意味ではまずいやり方だったかもしれない」と高橋は「部会としてのコメントはできない」とそれぞれ語った[新聞 104][新聞 105]

日本弁護士連合会(日弁連)刑事弁護センター委員長・佐藤太勝は「聞いたこともない選び方で適切な方法とは思えない。重大事件用の名簿がないなら刑事弁護の経験が豊富な人を協議で選ぶのが妥当ではないか」と話した[新聞 107]

部会は当時、従来の国選弁護人名簿とは別に重大事件用も名簿を作成中だったが、その名簿に登録予定だった中堅以上の弁護士を中心とした十数人があみだくじの対象になっていた[新聞 104][新聞 107]。高橋は「準備中の名簿の並ぶ順もくじで決めるつもりで、それを前倒ししただけだ」と説明した[新聞 107]

刑事裁判編集

第一審・福岡地裁久留米支部編集

2005年1月、初公判日時指定編集

福岡地方裁判所久留米支部は被告人K1・K2・K3・K4の計4人について、2005年(平成17年)1月23日までに、初公判日時を2005年3月15日午後2時に指定した[新聞 108]

2005年3月15日、第1回公判、各被告人罪状認否・検察側冒頭陳述編集

2005年3月15日午後2時、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で被告人一家4人の初公判が開かれた[新聞 109][新聞 3][新聞 4]

初公判ではまず人定質問が行われた後、K1・K4・K2・K3の順に各被告人に対し罪状認否が行われた[新聞 3]。その結果4被告人は大きく分けて、主たる争点についてそれぞれ以下のように認否した[新聞 3]

各被告人の主な罪状認否
罪状 被告人K1(父親) 被告人K2(母親) 被告人K3(長男) 被告人K4(次男)
強盗殺人罪(被害者C) 起訴されず[新聞 3] 否認[新聞 3] 認める[新聞 3]
強盗殺人罪(被害者A) 認める(単独犯を主張)[新聞 3] 認める[新聞 3]
殺人罪(被害者B)
殺人罪(被害者D)

父K1は起訴された3人の殺害行為について起訴状を無視し「(他の3被告人とは)共謀せず自分が単独で実行した」と主張した[新聞 3]

母K2は「間違いありません」と起訴事実を認めた上で「極刑を受けるために来た。被害者・遺族には申し訳ないことをした」と謝罪した[新聞 3]

次男K4は起訴された4人の殺害行為について「起訴事実の通り間違いありません」と全面的に起訴事実を認め謝罪の意を示した[新聞 3]

一方長男K3は「福岡地検久留米支部から逃走した単純逃走罪は認めるが、それ以外は一切認めません」として殺害・遺体遺棄についていずれも無罪を主張した[新聞 3]

以上のように殺害の中心格とされるK3が起訴事実を否認した一方、K1が起訴状を無視し罪を被る発言を繰り返すという異例の展開となった[新聞 3]

被告人K1の弁護人は共謀に関する認否を留保した上で、次回公判(2005年4月12日予定)以降公判を分離するように要望した[新聞 3]

一方検察側は冒頭陳述で「K1・K2夫妻は6600万円以上の借金を抱え、暴力団上部団体への上納金・生活費の支払いなどに困窮したことから、Aを殺して金を奪う強盗殺人を計画した。それを知ったK3・K4兄弟が両親に内緒でCを殺害し、その後両親を加えて残る3人の連続殺人に発展した」としてその経緯を詳述した[新聞 3][新聞 4]

2005年4月12日、第2回公判、分離公判に編集

2005年4月12日、第2回公判が開かれた[新聞 110]

この後半以降、起訴事実をすべて認めたK2・K4両被告人と単独犯を主張したK1・逃走以外の罪を全面否認したK3の両被告人は、それぞれ分離公判で審理されることとなった[新聞 110]

検察側は被害者Aらの殺害に使われたとされる凶器などを証拠提出した上で、極刑を望む被害者遺族の供述調書を朗読した[新聞 110]

また検察側の証人申請に基づき、K1・K3両被告人の次回公判(2005年4月26日)で被告人K2が[新聞 110]、K2・K4両被告人の次回公判(2005年5月17日)で被告人K3が、それぞれ証人出廷し、証人尋問が行われることが決定した[新聞 110]

母親K2・次男K4両被告人の審理編集

2005年5月17日、第3回公判、K2・K4両被告人の分離後初となる公判編集

2005年5月17日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて、K2・K4両被告人について分離後初となる公判が開かれた[新聞 111]

同日、公判が分離された被告人K3が検察側の証人として出廷し証人尋問が行われる予定だった[新聞 111]

しかし後述のように当時K3は体調を崩し入院していたため、同日の公判を欠席した[新聞 111]

検察側は当時のK3の様態について「最低でも1週間から10日間の入院が必要だ」と述べた[新聞 111]

2005年6月21日、被告人K3が検察側証人として出廷も、弟K4と一触即発編集

2005年6月21日の公判で被告人K3が検察側証人として出廷した[新聞 112][新聞 113]

K3は被害者4人の殺害についてはいずれも「やっていない」として、全面的に起訴事実を否認した[新聞 112]

その一方で唯一起訴事実を認めた福岡地検久留米支部からの逃走事件について「逃走前夜留置されていた福岡県警久留米署で自殺を図ったが、死にきれなかったため死のうと思って逃げた」と証言した[新聞 112]

またK3は「親父(被告人K1)の近くで死のうと思い大牟田に向かった」[新聞 113]、「裁判所宛に『全部1人でやった』と遺書を書けば弟K4が助かると思った」と述べた[新聞 112]

閉廷後、起訴事実を認めていた弟K4がK3に対し「あんたの意見に同意してやる。生きられるか試してみろ」と言い放った[新聞 113]

これに対しK3は「何言ってるんだ貴様」と激怒しK4に殴り掛かろうとした[新聞 113]

K3は刑務官たちに数人がかりで抑えられ廊下に連れ出されたが、その後も怒鳴り声を上げていた[新聞 113]

2005年10月11日、被告人K4、証人出廷の兄K3と再び一触即発編集

2005年10月11日の公判で、被告人K3が再び検察側証人として出廷した[新聞 114][新聞 115]

公判で被告人K4の弁護人はB・D両被害者の殺害について「K3も銃を何発か撃ったのではないかと思う」とする被告人K2の供述調書を読み上げた[新聞 114]

その上で弁護人はK3に対し「親に疑われてどう思うか」と尋ねたが、これに対し証言台にいたK3は「(K2のことは)実の親とも、身内とも思っていない」と答えた[新聞 114][新聞 115]

すると左後方の被告人席に座っていた弟K4が「アホか殺すぞ」などと叫び、兄K3に殴り掛かろうとした[新聞 114][新聞 115]。これに対しK3も「俺がやれるか」と応え、刑務官に取り押さえられ退廷させられた[新聞 114][新聞 115]

この騒動により高原正良裁判長が休廷を宣言し[新聞 115]、公判は約15分間中断した[新聞 114]

約15分後、審議を再開する際K4は、高原裁判長から「いいたいことがあると思うが辛抱して聞いてください」となだめられ謝罪した[新聞 115]

K3・K4両被告人が法廷内でトラブルを起こしたのは、前述の2005年6月21日以来2回目だった[新聞 114]

2005年11月15日、被告人K2への被告人質問編集

2005年11月15日の公判で被告人質問が行われた[新聞 116]

被告人K2は被害者Aを殺害した経緯について「犯行当時約6000万円に上る借金を抱えており生活が苦しかった」と説明した[新聞 116]

その上で「長い間、夫婦2人で計画を練っていたわけでも親子4人で計画したわけでもない。その時だけ何かにとりつかれたように、『Aを殺害して金銭を奪おう』という話になった」と話した[新聞 116]

2006年3月14日、第22回公判、K2・K4両被告人、被害者遺族に直接謝罪編集

2006年(平成18年)3月14日第22回公判が開かれ、検察側の被告人質問が行われた[新聞 117][新聞 118]

この日は被害者Aの母親ら被害者遺族も公判を傍聴していた[新聞 117][新聞 118]

被告人質問の最後で被告人K4は、被害者遺族のいた傍聴席に歩み寄り「すいませんでした」と一礼した[新聞 117][新聞 118]

またこの時、被告人席に座っていた被告人K2も立ち上がり、Aの母親に対し「ばあちゃん、ごめんなさい」と頭を下げた[新聞 117][新聞 118]

これに対しAの母親は「どうしてあんなことをしたのか」と問いかけたが、高原正良裁判長から発言を制止された[新聞 117][新聞 118]

閉廷後Aの母親は『朝日新聞』・『毎日新聞』の取材に対し「すいませんという気持ちは分かるがいくら謝っても殺された娘たちは帰ってこない。被告人たちを同じようにしてほしい」と語り[新聞 117]、両被告人の死刑を望む意思を示した[新聞 118]

2006年3月28日、第23回公判、被害者遺族3人が意見陳述、被告人K4が被害者遺族に暴言編集

2006年3月28日第23回公判が開かれ、被害者遺族3人(Aの母親、Aの妹、Dの母親)が意見陳述し、いずれもK2・K4両被告人の極刑を求めた[新聞 119][新聞 120]

Aの母親の意見は高原裁判長が代読した[新聞 120]。その中でAの母親は[新聞 120]「なぜ娘Aと孫2人(B・C)が殺されなければならなかった」[新聞 119]「K2が息子2人(K3・K4)を殺人鬼に育て上げた。同じ苦痛を受けさせてやりたい」と語った[新聞 120]

この公判で初めて傍聴したDの母親は、息子の遺影を持ち陳述に臨んだ[新聞 120]。Dの母親は「息子Dが死んだことが今でも信じられない。いつか帰って来ると思っているが、現実はそうではない」[新聞 119]「どうして何も非がない息子が惨殺されなければならなかったのか。死刑判決を求めます」と述べた[新聞 120]

Aの妹は「姉AはK2を信用していたから、K2が導くままについていった」と述べた[新聞 119]

陳述後、弁護人による被告人質問が行われた[新聞 120]。しかし被告人K4は前回公判で謝罪したAの母親に対し「ふざけんな。親を悪く言うな」と恫喝した[新聞 120]

これに対し高原裁判長は「落ち着きなさい」と諭し、被告人K2が、K4を制止した[新聞 120]

公判後Aの母親は『毎日新聞』の取材に対し「K4は口で謝るだけで全く反省がない。絶対に許せない」と語った[新聞 120]

2006年5月2日、第24回論告求刑公判、K2・K4両被告人に死刑求刑編集

2006年5月2日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で母親K2・次男K4の両被告人に対し第24回公判となる論告求刑公判が開かれた[新聞 121][新聞 122][新聞 123][新聞 124][新聞 46]

検察側は両被告人に対し、いずれも死刑を求刑した[新聞 121][新聞 122][新聞 123]

論告で検察側は「K1・K2両被告人が生活資金の工面に困ったため、被害者Aに対し嘘の土地購入話を持ち掛け、多額の現金を用意させた上で殺害しようと計画した」と指摘した[新聞 123]

その上で被告人K2を「一連の犯行の動機面で中心的な存在だ」と結論付けた[新聞 123]

また4人殺害を実行した被告人K4が被告人質問で「(親に殺害行為を実行させず、自分が殺害したことは)自分の考えるヤクザ論としては、自分は名誉と思う」と答えたことなどを挙げ「その歪んだ観念・発想から抜け出す可能性は見い出せない」と述べた[新聞 123]

そして犯行を「史上稀に見る凶悪な事件」とした上で、両被告人について「もはや矯正は不可能で、極刑をもって臨むほかない」と断じた[新聞 121][新聞 122]

閉廷後、被害者Aの母・妹はそれぞれ「(被告人らに)反省の念が見られず、残念だ」「(姉・甥2人の)3人がどれだけ恐怖を味わって死んだか。死刑以上の刑があればいい」と、それぞれ語った[新聞 124]

2006年6月13日、第25回公判、K2・K4両被告人の最終弁論編集

2006年6月13日福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて第25回公判が行われ、結審した[新聞 125][新聞 126]

最終弁論で両被告人の弁護人は、それぞれ「被告人なりに反省・悔悟の情を示している」と主張し死刑回避を求めた[新聞 125]

被告人K2の弁護人は「事件を主導的に企画・立案したのは夫K1でK2の関与は従属的だった」と述べた上で「K2は事件の内容を真摯に語っていることから再犯の可能性はない」と主張した[新聞 126]

被告人K4の弁護人は「K4は事件当時精神的に未熟だった。矯正の可能性がないと決めつけるべきではない」と訴えた[新聞 126]

最終意見陳述で被告人K2は「重ねてお詫びすること以外、何もない」と、被告人K4は「本当に申し訳ない。判決は素直に受け入れたい」と、それぞれ語った[新聞 125]

2006年10月17日、判決公判、K2・K4両被告人に死刑判決編集

2006年10月17日判決公判が開かれ、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)は母親K2・次男K4の両被告人に対し、検察側の求刑通りそれぞれ死刑判決を言い渡した[新聞 14][新聞 7][新聞 127][新聞 128][新聞 129][新聞 130][新聞 131][新聞 132]

福岡地裁久留米支部は判決理由で一連の犯罪事実・被告人4人の共謀について、すべて検察側の主張通りに事実認定した[新聞 14][新聞 129]

また一連の殺害動機について「K2が、生活難・資金難を打開し、被害者Aが所持していた多額の現金を奪おうとしたものだ」と指摘した[新聞 14][新聞 129]

その上でCを除く3人の殺害に関与した被告人K2を「動機面での中心的存在であり、『関与は従属的だ』として量刑の軽減を求める弁護人側の主張は認められない」とした[新聞 14]

そして、殺害された4人について「痛ましいことこの上なく、誠に哀れで悲惨だ」と追悼した上で、4人殺害を実行した被告人K4に対しては「Aを殺害する際、たばこを吸ったり遺体の上に寝そべるなどしたことなどから、人間の生命の尊厳を軽視する態度が著しく矯正は困難だ」と断じた[新聞 14]

そして被告人K4は公判中「親に人殺しをさせるくらいなら自分が殺した方がマシだ。後悔していない」「また同じ状況になれば人を殺す」などと発言したり、被害者遺族に暴言を吐くなどしていたが[新聞 130]、これらの態度に対しては「暴力団組長の父親の下で人命を軽視し両親の支持であれば殺人も厭わないなど、暴力団特有の反社会的な美意識を強く持っており矯正は困難だ」と認定した[新聞 129][新聞 130]

判決言い渡し後、被告人K2は、傍聴席にいた被害者Cの遺族と被害者A一家の遺族にそれぞれ深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べた[新聞 130]

その一方で被告人K4が法廷に残した最後の言葉は「なるようにしかならんやろ」というものだった[新聞 130]

被害者遺族や、検察庁・弁護人の判決への反応編集

被害者Aの妹は「2人が死刑になっても、姉や甥は帰ってこない。殺され方を思うと死刑より重い刑罰があればいいと思う」と死刑判決を聞いてもなお、やり場のない無念さを口にした[新聞 130]

また同じく判決公判を傍聴したAの母親は「死刑判決は当然だが一度に娘と孫2人の命を奪った被告人たちからは、心からの反省を最後まで受け取れなかったことが許せない」と語った[新聞 130]

福岡地検久留米支部の支部長・内藤惣一郎は判決を受け「適正な判決と考える。改めて被害者の方々のご冥福をお祈りします」と述べた[新聞 132]

一方で被告人K4の弁護人・永尾広久弁護士は閉廷後「判決には不満が残る。世界的な死刑廃止の潮流に逆行するものと言わざるを得ない。更に上級審の判断を求めるよう、被告人には控訴するよう勧める」とコメントした[新聞 132]

また被告人K2の弁護人・北村哲弁護士も「弁護人として控訴を検討したい」と述べた[新聞 132]

K2・K4両被告人が控訴編集

被告人K4は死刑判決を受けた2006年10月17日付で、判決を不服として福岡高等裁判所控訴した[新聞 133][新聞 134]

被告人K2も2006年10月26日付で福岡高裁に控訴した[新聞 135][新聞 134]

父親K1・長男K3両被告人の審理編集

2005年4月26日、第3回公判編集

2005年4月26日、K1・K3両被告人について第3回公判が開かれた[新聞 136]

同日、分離公判となった被告人K2が検察側の証人として出廷した[新聞 136]。K2は、K1が単独犯を主張しK3が全面否認していた被害者Aの殺害について、両被告人との共謀を認める証言をした[新聞 136]

その上でK2は「A殺害は当初K1とともに計画したが、自分が実行を躊躇っていたところK3が『自分が殺してもいい』と持ち掛けた」「長男Cの殺害は次男K4を含め4人全員で決めた」と、4被告人による共謀の状況を検察側の主張通りの形で明らかにした[新聞 136]

2005年5月、K3の体調不良、第4回公判期日が2度にわたり取り消し編集

福岡地裁久留米支部はK1・K3両被告人について第4回公判を2005年5月10日午後2時から開廷することを予定していた[新聞 137]

しかしK3は2005年5月5日午前8時頃、拘置先の福岡刑務所にて房内で体調を崩しているところを巡回した刑務官に発見されたため、医務官から応急措置を受けた後、病院に搬送された[新聞 137]

そのため福岡地裁久留米支部は、第4回公判を開廷予定だった2005年5月10日、公判日程を取り消し公判を中止した[新聞 137]

その後、福岡地裁久留米支部はいったん2005年5月24日午後2時から改めて第4回公判を開廷することを決定した[新聞 138]

しかし2005年5月20日、福岡地裁久留米支部は「K3の体調不良」を理由に再び公判日程を取り消した[新聞 138]。この時点でK3は気管支系の疾患などを併発したが、回復に向かっていた[新聞 138]

公判再開後2005年7月27日になって福岡矯正管区はこの体調不良について「不眠症の薬の副作用が原因だ」と発表した[新聞 139]。発表によればK3は福岡刑務所に拘置された同年1月以降不眠を訴えたため、毎夜、刑務官から向精神薬を受け取り服用していた[新聞 139]

K3は「自殺未遂ではない。薬の効き目を高めるため刑務官の目をごまかし、1回か2回、薬を飲むふりをしてから吐き出しては一度に飲んでいたかもしれない」と話した[新聞 139]

2005年6月7日、第4回公判、検察側証人尋問編集

2005年6月7日、福岡地裁久留米支部でK1・K3両被告人の第4回公判が開かれた[新聞 140]

体調不良のため入院していた被告人K3は、この日までに退院し前回公判から約1か月半ぶりに出廷した[新聞 140]。しかしこの日は顔色が悪くやつれた様子だった[新聞 140]

同日、被告人K2が検察側証人として出廷した[新聞 140]

K2は次男K4がAを絞殺した際の状況について「一緒にいたK3が『しっかり首を絞めろ。人は息を吹き返すぞ』と自分に話しかけてきた」と証言した[新聞 140]

2005年6月14日、第5回公判、被告人K3の弁護人冒頭陳述編集

2005年6月14日第5回公判が開かれ、被告人K3の弁護人による冒頭陳述が行われた[新聞 141]

弁護人は被告人K3について「4人の殺害現場に居合わせた事実はなく起訴事実を認めている母K2らとの謀議もなかった」として、被害者4人の殺害について改めて無罪を主張した[新聞 141]

また弁護人は「次男K4が死刑になるのを防ぐため、K1を除く母子3人で『K3も計画に加わったことにする』物語を作り上げた」と主張した[新聞 142]

2005年6月28日、被告人K3の弁護人側証人として、被告人K2が出廷編集

2005年6月14日の公判で被告人K3の弁護人が母K2被告人を証人尋問した[新聞 143]

被告人K2は逮捕当初「4人全員を自分1人で殺した」と供述したが、後に家族の関与を認めたことについて「まず次男K4、次に夫K1、最後に長男K3と、それぞれ関与を認め、話した」と述べた[新聞 143]

その一方でK3の関与を認めた経緯については「覚えていない」被害者Cの殺害については「K4が1人で殺したと聞いた」とそれぞれ証言した[新聞 143]

2005年7月12日、証人としてK2が出廷編集

2005年7月12日の公判で被告人K2が再び証人出廷した[新聞 142]

同日、被告人K1が妻K2に対し直接質問する一幕があった[新聞 142]

K1は「事件は私が全部1人で実行したので、あなたと共謀した覚えはない。なぜ共謀したというのか」と質問すると、K2は一息置いて「私は嘘はついていません」と話した[新聞 142]

また、K3の弁護人が、「『K3も計画に加わったことにする』物語を作り上げた」と主張したことについて、裁判官がK2に対し、「このような話をしたことがありますか」と尋ねると、K2は「ありません」と答えた[新聞 142]

2005年8月23日、証人として被告人K4が出廷編集

2005年8月23日の公判で、被告人K4が始めて証人出廷した[新聞 144]

起訴事実を認めていたK4は検察側から被害者Cの殺害について質問を受けると「兄K3から、Cを殺害しA宅金を奪う計画を持ち掛けられた」「『このことは両親にも言うな。もし警察にばれたらお前が自首して「全部自分1人でやった」と言え』と言われた」と証言した[新聞 144]

その上で殺害・死体遺棄について2人で実行したことを証言した[新聞 144]

2005年9月27日、証人として被告人K4が出廷編集

2005年9月27日の公判で被告人K4が検察側証人として出廷した[新聞 145]

K4は主尋問にて「一連の犯行は家族4人全員で計画して行った。なくなった被害者4人に申し訳ないし、これ以上みっともない姿をさらしたくない」と話し謝罪の言葉を述べた[新聞 145]

その上でK4は遺棄した遺体の発見を遅らせるため川に潜って遺体を探したことなど、事件の詳細について証言した[新聞 145]

最後にK4は「犯行は自分の単独犯だ」と主張していた父K1について気持ちを聞かれると「息子であることを誇りに思う。正しいことを言ってほしい」と述べた[新聞 145]

その一方で犯行を否認し続けていた兄K3に対しては「両親を踏み台にして自分だけ責任逃れしようとは人間失格だ。最後くらいはきちんとするのが社会に対してのけじめだ」と批判した[新聞 145]

2006年2月7日、被告人K3への被告人質問編集

2006年2月7日、被告人K3の公判で捜査段階の供述の任意性について被告人質問が行われた[新聞 146]

被告人K3は弁護人の質問に対し、捜査段階で死体遺棄容疑を認めていたことについて「検察官がシャープペンシルで下書きした書類をボールペンでなぞった」「『内縁の妻が別れると言った』と聞きショックで『否認しても無駄だ』と思った」と述べた[新聞 146]

その上で「検察官から『犯行を認めれば内縁の妻の接見禁止は解除する』と言われた。内縁の妻に会いたくて嘘の供述をしようと思った」と述べた[新聞 146]

これに対し検察側は矛盾点を指摘した上で「任意性について疑わしい事情はない」と反論した[新聞 146]

2006年4月18日、被告人K1への被告人質問編集

2006年4月18日、K1・K3両被告人の公判で被告人K1に対し被告人質問が行われた[新聞 147]

被告人K1は弁護人の質問に対し家族との共謀を否定した上で「全て1人でやった」と従来通りの主張を繰り返した[新聞 147]

また分離公判中の妻K2・次男K3の両被告人がそれぞれ起訴事実を認めている点について「(2人は)自分を庇って、『やった』と言っている。息子が人を殺すわけがない」と話した[新聞 147]

2006年4月25日、被告人K1への被告人質問編集

2006年4月25日K1・K3両被告人の公判で被告人K1に対し被告人質問が行われた[新聞 148]

被告人K1は被害者Aの殺害について強盗目的を否定した上で「Aの態度が気に入らず殺した。金品を奪う目的はない」と話した[新聞 148]

2006年5月16日、被告人K3への弁護人側被告人質問編集

2006年5月16日、K1・K3両被告人の公判で被告人K3に対し弁護人からの被告人質問が行われた[新聞 149]

被告人K3は被害者Aを「自分が殺す」と語ったことについて「『Aが知人の工務店に支払いをしないのは母K2の説得力が弱いからだ』と考え、母K2を本気にさせようとしただけだ」と述べ、改めて共謀を否定した[新聞 149]

2006年5月30日、被告人K3への被告人質問編集

2006年5月30日、K1・K3両被告人の公判で被告人K3に対し被告人質問が行われた[新聞 150]

被告人K3は「2004年9月18日未明、K1ら他の被告人3人が被害者Aの殺害を話し合っていた際、自分は部屋の外で仕事の電話をかけていた」としてアリバイを主張した[新聞 150]

またAが殺害された時についても「弁当屋・ファミリーレストランに行った後、実家でビデオを見ていた。3人が何をしているのか知らなかった」などと述べ改めて関与を否定した[新聞 150]

2006年6月27日、被告人K3への被告人質問編集

2006年6月27日、K1・K3両被告人の公判で被告人K3に対し高原正良裁判長による被告人質問が行われた[新聞 151]

被告人K3は高原裁判長から「死刑を求刑されたK2・K4両被告人はともに『K3も共犯だ』と証言している」と指摘した[新聞 151]。その上で「2人は、極刑を受ける可能性も出てくるあなたの立場もわかっているはずだ。なぜ2人はあなたの言う事実と違うことを言うのか」と質問した[新聞 151]

これに対し被告人K3は「私は正直に言っているだけだ」と改めて殺害を否定した上で「K2・K4は犯行に私を含めることで無期懲役になると思っているのでは」と話した[新聞 151]

2006年9月19日、被害者遺族2人が意見陳述編集

2006年9月19日、K1・K3両被告人の公判で被害者遺族2人が意見陳述し、それぞれ両被告人の極刑を求めた[新聞 152]

2006年10月24日、第31回論告求刑公判、K1・K3両被告人に死刑求刑編集

2006年10月24日福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて、第31回公判となる論告求刑公判が開かれた[新聞 153][新聞 154]

検察側は父親K1・長男K3両被告人に対し、先に死刑判決を言い渡された母親K2・次男K4両被告人と同様死刑を求刑した[新聞 153][新聞 154]

論告で検察側は「両名とも公判で虚偽の不合理で取るに足りない供述を積み重ねている」[新聞 154]「自己中心的かつ凶悪な犯行で、何ら酌量すべき事情はない」と断じた[新聞 153]

特に捜査段階では犯行を認めたものの公判で一転して否認に転じた被告人K3に対しては「両親や弟に刑事責任を擦り付ける人間性は、まさに邪悪そのものとしか言いようがない」と非難した[新聞 154]

2006年11月28日、第32回公判、最終弁論編集

2006年11月28日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて第32回公判が行われ結審した[新聞 155][新聞 156]

最終弁論で被告人K1の弁護人側は「真摯に反省しており謝罪する態度がある」として[新聞 156]死刑回避を求めた[新聞 155][新聞 156]

また被告人K3の弁護人側は「K3にはアリバイがある」と訴え、取り調べ中の逃走事件以外[新聞 156]全ての罪状についてこれまで通り無罪を主張した[新聞 155][新聞 156]

最終意見陳述で被告人K1は「自分1人で殺した。妻子は一切犯行には関係ない」と述べた[新聞 155]

被告人K3は「事件を止めることができなかった自分自身も責任を感じてはいるが決して殺害には関与していない」と陳述書を読み上げ無罪を訴えた[新聞 155]

2007年2月27日、判決公判、K1・K3両被告人に死刑判決編集

2007年(平成19年)2月27日判決公判が開かれ、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)は父親K1・長男K3両被告人に対し検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した[新聞 15][新聞 157][新聞 158][新聞 19][新聞 159][新聞 160][新聞 161]

これにより、犯行に関与した一家4人がいずれも死刑判決を受けるという[新聞 15]前代未聞の事態となった[雑誌 2]

福岡地裁久留米支部は一連の犯行を「人命を軽視した冷酷・残忍な犯行で、極刑をもって臨むほかない」と非難した[新聞 15]

判決理由においては、Aら3人の殺害についてK1の主導により、被告人4人が共謀して実行したことを事実認定した[新聞 15]。その上でK1が「自分の単独犯だ」と主張したことに対しては「主張は不自然・不合理で信用できない」として退けた[新聞 15]

その上で被告人K1について「常に犯行の中心的存在として主導的・積極的に関与した」[新聞 159]「大牟田署で拳銃自殺を図ってでも事件の真相を隠そうとするなど暴力団特有の歪んだ価値観が根付いており矯正は困難だ」と非難した[新聞 15]

また被告人K3に対しても「捜査段階で容疑を認めた自白は臨場感・迫真性があり体験したものでなければ語り得ないものだ」として無罪主張を退け有罪と認定した[新聞 161]。その上で「捜査段階で殺害への関与を認めながら公判で無罪を主張しており反省は深まっていない。実行役を弟K4に押し付け脇役に転じるなど態度は自己中心的・狡猾だ」と断じた[新聞 15][新聞 159]

そして一連の犯行について「親子4人がかりの殺害行為は執拗かつ冷酷だ」「死者への冒涜を厭わない姿勢も顕著だ」など、犯行を非難する文言が次々と述べられた[新聞 159]

なお被告人K3が取り調べ中に福岡地検久留米支部から脱走を図った事件については「監視体制に油断があった点は地検の落ち度を指摘せざるを得ない」とした[新聞 15]

被害者遺族や、検察庁・弁護人の判決への反応編集

被害者Aの母親は娘2人(いずれもAの妹)とともに判決公判を傍聴した[新聞 159]

閉廷後Aの母親は「被告人K1は自分が裁かれているのにしんみりとではなく堂々と座っていて腹が立った。反省の色は感じられなかった」「死刑判決を聞いた時だけは少しほっとしたが、本当に死刑執行を見届けるまで無念さは収まらない」と語った[新聞 159]

妹の1人は閉廷後「大事な姉・おいが惨殺され憎しみでいっぱいだ。被告人4人が未だに生きていることが歯がゆい」と語った[新聞 159]

福岡地検久留米支部の支部長・内藤惣一郎は判決を受け「適正な判決と考える。改めて被害者の方々のご冥福をお祈りします」と述べた[新聞 160]

一方で被告人K3の弁護人・紫藤拓也弁護士は閉廷後「判決内容についてはノーコメント、控訴するかについては被告人本人と直接会って判断したい」とコメントした[新聞 160]

また被告人K1の弁護人・富永孝太朗弁護士は「被告人の主張が受け入れられておらず事実誤認もある。上級審で改めて審理すべきだ」と述べ同日付で控訴した[新聞 160]

K1・K3両被告人が控訴編集

被告人K1は判決を不服として同日付で福岡高裁に控訴した[新聞 15][新聞 160][新聞 161]

被告人K3も2007年3月1日付で判決を不服として福岡高裁に控訴した[新聞 162][新聞 163]

控訴審・福岡高裁編集

母親K2・次男K4両被告人の審理編集

2007年6月5日、控訴審初公判編集

2007年6月5日、母親K2・次男K4両被告人の控訴審初公判が福岡高等裁判所(正木勝彦裁判長)で開かれた[新聞 164][新聞 165]

両被告人それぞれの弁護人はそれぞれ「従属的な立場だった」と主張し、死刑判決を破棄し無期懲役を適用するよう訴えた[新聞 164][新聞 165]

検察側は「第一審・死刑判決は妥当である」として、両被告人・弁護人側の控訴をいずれも棄却するよう求めた[新聞 164][新聞 165]

2007年12月25日、両被告人に二審も死刑判決編集

2007年12月25日、福岡高裁(正木勝彦裁判長)は第一審の死刑判決を支持し、母親K2・次男K4両被告人の控訴をいずれも棄却する判決をそれぞれ言い渡した[新聞 166][新聞 167][新聞 168][新聞 169][新聞 170][新聞 171]

福岡高裁は「被害者Aへの憤りを晴らし生活苦を一気に解消しようとそれぞれ重要な役割を果たした」「人命軽視の態度が甚だしく死刑が重すぎて不当とは言えない」と事実認定した[新聞 169]

冒頭で控訴棄却の主文が読み上げられた後、判決理由が朗読されると被告人K2は身動きせずに聞き入っていた[新聞 171]。その一方で被告人K4は母親とは対照的に、落ち着かないように母を見たり、傍聴席に視線を送ったりしていた[新聞 171]

閉廷後、被告人K4は弁護人に対し突然「先生、メリークリスマス!」と叫び[新聞 171][新聞 169]退廷した[新聞 167]

公判を傍聴していた被害者Aの遺族は「犯人が死刑になっても遺族の心は休まらない。K4は最初から1つも変わっておらず反省がない。一家には人間社会から退場してほしい」と語った[新聞 171][新聞 169]

K2・K4両被告人が上告編集

被告人K4は2007年12月27日、判決を不服として最高裁判所上告した[新聞 172]

被告人K2も2007年12月28日、判決を不服として最高裁に上告した[新聞 173]

父親K1・長男K3両被告人の審理編集

2007年10月11日、控訴審初公判編集

2007年10月11日、父親K1・長男K3両被告人の控訴審初公判が福岡高裁(正木勝彦裁判長)で開かれた[新聞 174][新聞 175]

第一審で自らの単独犯行を主張していた被告人K1は、他3被告人との共謀関係を一転して認めた[新聞 174][新聞 175]。その一方で「金品を奪うつもりはなかった。死刑は相当ではない」として、強盗目的を認定した第一審判決に対する事実誤認を主張した上で、死刑判決を破棄し無期懲役刑を適用するよう訴えた[新聞 174][新聞 175]

被告人K3は「有罪と認定するには証拠不十分だ」と主張し第一審同様、無罪を主張した[新聞 174][新聞 175]

検察側は「第一審・死刑判決は妥当である」として、両被告人・弁護人側の控訴をいずれも棄却するよう求めた[新聞 174]

2007年12月20日、控訴審第4回公判、結審編集

2007年12月20日、父親K1・長男K3両被告人について控訴審第4回公判が開かれ、結審した[新聞 176][新聞 177]

同日、被告人K3の弁護人は「K3にはアリバイがあり犯行への関与は不可能だ」として、第一審同様一連の殺害行為についていずれも無罪を主張した[新聞 177]

2008年3月27日、両被告人に二審も死刑判決編集

2008年(平成20年)3月27日、福岡高裁(正木勝彦裁判長)は、第一審の死刑判決を支持し、父親K1・長男K3両被告人の控訴をいずれも棄却する判決をそれぞれ言い渡した[新聞 178][新聞 179][新聞 180][新聞 181][新聞 182][新聞 183]

福岡高裁は被告人K1について「殺害の実行行為こそしていないが息子2人を犯行に引き入れ凶器の拳銃を渡すなど、主導的な役割を果たした」と事実認定した[新聞 182]

また被告人K3の「アリバイがある」とする無罪主張に対しても「犯行に関与していないとの絶対的な決め手にはならない」として退け、第一審同様、有罪と認定した[新聞 182]

そしてK3の量刑理由について「現金欲しさに積極的に殺害計画などに関与しながら脇役を装う姿は狡猾で、真摯な反省も全く見られない」と指弾した[新聞 182]

K1・K3両被告人が上告編集

被告人K1は判決同日の2008年3月27日、判決を不服として最高裁に上告した[新聞 184]

被告人K3もその後、判決を不服として最高裁に上告した。

上告審・最高裁編集

最高裁第二小法廷、母親K2・次男K4両被告人の審理編集

2011年4月15日まで、上告審口頭弁論公判開廷期日指定編集

2011年(平成23年)4月15日までに最高裁判所第二小法廷須藤正彦裁判長)は、母親K2・次男K4の両被告人について、上告審口頭弁論公判の開廷期日を、同年9月9日に指定し、関係者に通知した[新聞 185]

2011年9月9日、上告審口頭弁論公判開廷編集

2011年9月9日、母親K2・次男K4の両被告人について最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれた[新聞 186][新聞 187]

被告人K2の弁護人は「殺害行為には直接関与しておらず他の共犯者と同じ死刑は量刑不当だ」[新聞 187]「K2は首謀者ではなく犯行で果たした役割も小さい」として[新聞 186]死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 186][新聞 187]

被告人K4の弁護人も「事件当時20歳で未熟だったが現在は矯正の余地が見込める」[新聞 187]「K4には事件と向き合わせつつ生きて罪を償わせるべきだ」として[新聞 186]死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 186][新聞 187]

一方検察側は「両被告人の刑事責任は重大で死刑をもって臨むほかない」として、いずれも上告を棄却するよう訴えた[新聞 186][新聞 187]

2011年9月16日まで、上告審判決公判開廷期日指定編集

2011年9月16日までに、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は母親K2・次男K4の両被告人について、判決期日を同年10月3日に指定し関係者に通知した[新聞 188]

2011年10月3日、上告審判決公判、母親K2・次男K4両被告人の上告棄却編集

2011年10月3日、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は、母親K2・次男K4の両被告人に対しいずれも一・二審の死刑判決を支持し、上告を棄却する判決をそれぞれ言い渡した[新聞 189][新聞 190][新聞 191]

これにより母親K2・次男K4の両被告人について死刑判決が確定した[新聞 189][新聞 190][新聞 191]

被告人K4は判決後『朝日新聞』記者・小野一光に対し「死刑確定はわかっていたことではあるがやはりいろいろ複雑だ」「今は死についての怖さはまったくなく、ただただ『ああ、そうなのか』という第三者的感覚に近い。死刑確定の実感がまだないということだろう」と記した手紙を送った[雑誌 12]。その上でK4は「自分がこの手で4人を殺害したのは事実だ。これで死刑が確定するが相応だと思っている」「事件、己の行いに後悔はないが、殺害した被害者4人には、心より手を合わせたい」と綴っていた[雑誌 12]

2011年10月11日福岡拘置所で小野と面会したK4は「勾留された最初の年は暴れて6回ぐらいは懲罰房に入れられたが、この7年で人間が丸くなったとは思う。しかし、心境の変化はない。最初のころと心境は変わらない」と語った[雑誌 12]

これに加えてK4は死刑確定直前の2011年10月、福岡拘置所で『毎日新聞』記者・岸達也と面会した[新聞 42]

K4は岸に対し死を達観したような表情で「被害者には謝罪の気持ちを抱いていること」「現在も父親K1を尊敬していること」などを淡々と語った[新聞 42]

最高裁第一小法廷、父親K1・長男K3両被告人の審理編集

2011年(平成23年)5月16日までに、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は父親K1・長男K3の両被告人について、上告審口頭弁論公判の開廷期日を、同年9月12日に指定し関係者に通知した[新聞 192]

2011年9月12日、上告審口頭弁論公判開廷編集

2011年9月9日、父親K1・長男K3の両被告人について、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれた[新聞 193][新聞 194]

被告人K1の弁護人は「金銭目的を動機と事実認定した一・二審判決は、事実誤認だ」[新聞 194]「K2は心から反省しており死刑は重すぎる」として、死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 193][新聞 194]

被告人K3の弁護人も「K3は殺害には関与しておらず強盗殺人・殺人罪に関しては無罪だ」[新聞 193]「仮に共謀が成立しても犯行に消極的であり極刑は重すぎる」として[新聞 194]、死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 193][新聞 194]

一方検察側は「両被告人の刑事責任は重大で矯正の可能性はない」として、いずれも上告を棄却するよう訴えた[新聞 193]

2011年9月28日まで、上告審判決公判開廷期日指定編集

2011年9月28日までに、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は、父親K1・長男K3の両被告人について、判決期日を同年10月3日に指定し関係者に通知した[新聞 195]

2011年10月17日、上告審判決公判、父親K1・長男K3両被告人の上告棄却編集

2011年10月17日、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は父親K1・長男K3の両被告人に対し、いずれも一・二審の死刑判決を支持し上告を棄却する判決をそれぞれ言い渡した[新聞 16][新聞 17][新聞 196][新聞 197]

これにより父親K1・長男K3の両被告人についても死刑判決が確定するとともに、犯罪に携わった一家4人全員に対し死刑が確定することとなった[新聞 16][新聞 17][新聞 196][新聞 197]

死刑囚一家の現在編集

2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 4]、母親K2・次男K4はそれぞれ福岡拘置所に、父親K1は広島拘置所に、長男K3は大阪拘置所に、それぞれ死刑囚として収監されている[書籍 5]

なお次男K4は2013年(平成25年)、支援者女性と獄中結婚し、姓が「K」(イニシャル)から「I」に変わっている[書籍 5]

また母親K2は戦後日本14番目の女性死刑囚である。

死刑囚K2は2015年7月、参議院議員福島瑞穂が確定死刑囚らを対象に実施したアンケートに対し[書籍 29]「今年(2015年)1月8日、外に残した三男(K4の年子の弟)が自殺した。遺書も残されておらず本当の理由は分からないが三男は生前人間関係で悩んでいたらしい」と告白した上で「死刑は怖いが生きている限り前を向いて頑張って生きる」と述べた[書籍 30]。またこの時点で死刑囚K3は無罪を主張して再審請求をしており[書籍 31]、死刑囚K4は同アンケートで施設処遇・制度などの改善を訴えた[書籍 32]

死刑囚K4の信書を福岡拘置所が不許可にした問題編集

死刑囚K4は2012年(平成24年)、収監先の福岡拘置所から養父・養子ら計4人に信書を送ろうとした[新聞 198]

しかし福岡拘置所は「4人は刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律で信書のやり取りが認められる『親族』に該当しない」として許可しなかった[新聞 198]

これは「死刑囚が外部とのやり取りを確保するのが目的と認められる養子縁組の場合、文通は許可しない」という法務省の通達を根拠としたものだった[新聞 198]

これに対し福岡県弁護士会は、2018年2月22日付の勧告書で福岡拘置所に対し「養子縁組は適法に成立しており文通は許可されるべきだ」と指摘し、文通を不許可にしないよう勧告した[新聞 198]

その他編集

次男K4は死刑が確定するまで作家・鈴木智彦との文通を重ねており、その獄中手記を中心に構成された単行本『我が一家全員死刑』(コアマガジン発行)が上告中の2010年11月に刊行された[その他 3]。同書はその後コア新書で再刊された後、後述の映画化に合わせ2017年(平成29年)11月7日、小学館から文庫本『全員死刑』として発売された[その他 3]

同書を原作にこの事件をモチーフとした間宮祥太朗主演の映画『全員死刑』(監督小林勇貴、プロデューサー・西村喜廣)が制作され、2017年11月18日に公開された[その他 4][その他 5]

また、八乙女光主演の舞台『殺風景』(2014年5月上映)は、本事件を題材にしている[その他 6]

参考文献編集

刑事裁判の判決文編集

  • 福岡高等裁判所第三刑事部判決 2007年(平成19年)12月25日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成18年(う)第737号、『強盗殺人,死体遺棄,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反各被告事件』。

被告人b(本文中K4)がその実兄(本文中K3)と共謀の上,被害者d(本文中A)の二男である被害者e(本文中C)を殺害して貴金属を強取した強盗殺人(1)と,以下,いずれも被告人b及びその実兄が,両親である被告人a(本文中K2)とその夫(本文中K1)と共謀して,被害者dを殺害して現金を強取した強盗殺人(2),被害者dの長男である被害者g(本文中B)とその友人である被害者h(本文中D)を,上記(2)の犯行発覚を免れようとして口封じのために,けん銃などを用いて殺害し,その際,けん銃を発射した殺人等(3),被害者d,g,hの死体を車に載せて川に沈めて遺棄した死体遺棄(4)からなる事案につき,被告人a,b両名をいずれも死刑に処した原判決の量刑はやむを得ないものとして,被告人a,b両名からの控訴をいずれも棄却した。

  • 最高裁判所第一小法廷判決 2011年(平成23年)10月17日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成20年(あ)第808号、『被告人A(本文中K1)に対する強盗殺人,死体遺棄,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反,被告人B(本文中K3)に対する強盗殺人,死体遺棄,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反,逃走各被告事件』。

関連書籍編集

  • 鈴木智彦 『我が一家全員死刑』 コアマガジン、2010年11月6日。ISBN 978-4862529138
    • 次男K4による獄中手記。書名は「一家全員」となっているが、同書によると事件に関わっていない家族や、事件当時既に他界していた家族もいる。
  • 鈴木智彦 『全員死刑 大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記』 小学館文庫、2017年11月12日。ISBN 978-4094064759
    • 『我が一家全員死刑』を、映画化に合わせて加筆・修正の上、文庫化したもの。
  • 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』 インパクト出版会、2012年5月23日。ISBN 978-4755402241
  • 年報・死刑廃止編集委員会 『死刑囚監房から 年報・死刑廃止2015』 インパクト出版会、2015年10月10日。ISBN 978-4755402616
  • 年報・死刑廃止編集委員会 『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』 インパクト出版会、2017年10月15日。ISBN 978-4755402807

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 「馬沖橋」とは、大牟田市馬場町・沖田町の間を流れる諏訪川に架かる市道の橋。
  2. ^ おおむた地図ナビ:現場周辺の地図”. 大牟田市. 2018年4月7日閲覧。
  3. ^ K4によれば激しい内部抗争ゆえ、最終的にB・C・Dらと和解するために双方のグループを解散させることにしたという[書籍 14]
  4. ^ K4によれば父K1は薬物売買に人一倍厳しく、それ以前にも「前にもばれて何度かもめ、銃や刃物沙汰にまでなった」という[書籍 15]

出典編集

※以下の出典において、見出しなどに死刑囚一家・被害者の実名が含まれている場合、記事中で該当する人物の仮名に置き換えている。また、死刑囚一家の姓はイニシャル「K」に置き換えている。

判決文出典編集

書籍出典編集

新聞報道出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 読売新聞』2004年9月22日西部夕刊第一社会面7面「高1男子遺体、川に遺棄 容疑の女逮捕 母ら3人も不明/福岡・大牟田」
  2. ^ a b c d e f g 読売新聞』2004年9月22日東京夕刊第一社会面19面「15歳少年遺体、川に遺棄 母の知人女を容疑で逮捕/福岡・大牟田」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『読売新聞』2005年3月16日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田連続殺人初公判 一家4人、認否割れる」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr 『読売新聞』2005年3月16日西部朝刊「大牟田連続殺人・死体遺棄 検察側冒頭陳述要旨」
  5. ^ a b c d 『読売新聞』2004年10月27日西部朝刊1面「大牟田連続殺人事件 K親子4人を母親強殺容疑で再逮捕」
  6. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2004年11月17日西部朝刊第一社会面35面「大牟田事件 K1親子4人再逮捕 長男ら殺害容疑で 母強殺の口封じ?/福岡」
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc 『読売新聞』2006年10月18日西部朝刊1面「大牟田4人殺害判決要旨」
  8. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』2004年9月28日夕刊第一社会面9面「2少年が撃たれた銃、組員と同口径 大牟田・遺棄事件 【西部】」
  9. ^ a b c d e f g h i j 『読売新聞』2004年9月23日東京朝刊1面「福岡・大牟田の高1死体遺棄 『母子ら4人殺した』 K2容疑者が供述」
  10. ^ a b c 『読売新聞』2004年10月2日西部夕刊1面「福岡・大牟田4人殺害事件 K4容疑者の兄逮捕 死体遺棄容疑共犯で」
  11. ^ a b c d e f g h i j 『読売新聞』2004年10月8日西部朝刊第一社会面31面「福岡・大牟田の4人殺害事件 3人遺棄容疑で夫逮捕 K2・K4容疑者も再逮捕」
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m 『読売新聞』2004年9月26日西部朝刊第一社会面39面「大牟田4人殺害 2組の母子に何が K2容疑者長男、Bさんと親交」(※本記事では、K1・K2の次男であるK4が、「長男」と報道されているため、注意されたい。)
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m 『読売新聞』2004年9月26日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田連続殺人 K2容疑者の息子逮捕 死体遺棄容疑 交友トラブルか」
  14. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2006年10月18日西部朝刊1面「大牟田4人殺害 K2被告とK4被告に死刑判決 福岡地裁支部『冷酷で残虐』」
  15. ^ a b c d e f g h i j k 『読売新聞』2007年2月28日西部朝刊1面「福岡・大牟田4人殺害 父、長男にも死刑 一家4人の共謀認定/地裁久留米判決」
  16. ^ a b c d 『読売新聞』2011年10月18日西部朝刊第二社会面38面「大牟田4人殺害 親子4人 死刑確定へ 元組長と長男も上告棄却」
  17. ^ a b c d 『読売新聞』2011年10月18日東京朝刊第二社会面38面「元組長と長男も死刑確定へ 大牟田4人殺害の上告審判決」
  18. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2004年9月29日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害 見えぬ真相 金銭関係こじれ? 女友達巡るトラブル?」
  19. ^ a b 『東京新聞』2007年2月28日朝刊第一社会面27面「元組幹部、長男にも死刑 福岡4人殺害 地裁支部判決 極刑、一家4人全員に」
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m 『読売新聞』2004年10月3日西部朝刊第一社会面35面「福岡・大牟田4人殺害事件 K2容疑者が回収金着服 Aさん抗議、口論」
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 『毎日新聞』2004年10月18日東京朝刊社会面31面「[現場発]福岡・大牟田の死体遺棄 子供に厳しくしていれば…」(記者:川辺康広)
  22. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2004年9月27日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害事件 Aさん宅、金庫消える」
  23. ^ 『毎日新聞』2004年10月2日西部夕刊第一社会面7面「福岡・大牟田の死体遺棄 Cさん遺棄の疑い、K4容疑者の兄逮捕」
  24. ^ a b c d e f g h 『毎日新聞』2004年10月3日西部朝刊社会面26面「福岡・大牟田の死体遺棄 家族ぐるみの凶行か K兄弟『悪質』、不良らも嫌う」
  25. ^ a b c d e 『朝日新聞』2004年10月3日朝刊第一社会面39面「逮捕のK3容疑者も力士挫折・帰郷 大牟田・遺棄事件 【西部】」
  26. ^ a b c d e 『毎日新聞』2000年10月30日西部夕刊社会面「福岡・城島町の少年水死 傷害致死容疑、少年6人を逮捕 無断欠勤に腹立て」
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『読売新聞』2000年10月30日西部夕刊第一社会面7面「クリーク少年水死 傷害致死容疑で少年6人を逮捕 福岡県警/福岡・城島町」
  28. ^ a b c d e 『読売新聞』2000年12月14日西部朝刊第一社会面31面「クリーク水死事件 19歳を逆送致 ほか6人は少年院決定」
  29. ^ a b c 『朝日新聞』2000年11月21日夕刊第二社会面8面「少年7人を家裁送致 地検久留米支部 城島町の少年水死 【西部】」
  30. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2000年10月2日西部朝刊第一社会面39面「少年水死は事件の疑い 6月に福岡・城島町のクリークで 関係者を聴取」
  31. ^ a b c d 『朝日新聞』2000年10月2日夕刊第一社会面9面「少年が水死、男性らを聴取 6月に城島町で発見 【西部】」
  32. ^ a b c 『朝日新聞』2000年10月30日夕刊第一社会面11面「6少年、傷害致死容疑で逮捕 福岡・城島町の少年水死事件 【西部】」
  33. ^ 『読売新聞』2000年10月31日西部朝刊第一社会面31面「福岡・城島町の少年水死事件 主犯格19歳が仲間に口止め」
  34. ^ a b 『読売新聞』2000年11月1日西部朝刊第一社会面35面「少年水死事件で7人目の逮捕者 16歳、城島署に出頭/福岡・城島町」
  35. ^ a b 『読売新聞』2000年11月21日西部朝刊第一社会面35面「福岡・城島町のクリーク水死事件 少年7人を傷害致死容疑で家裁送致」
  36. ^ a b c d 『朝日新聞』2000年12月14日朝刊第二社会面30面「城島町の水死事故で19歳少年を逆送致 6人、少年院へ 【西部】」
  37. ^ 『読売新聞』2000年12月23日西部朝刊第一社会面35面「逆送致の作業員を起訴 クリーク水死事件/福岡・城島町」
  38. ^ 『朝日新聞』2001年2月14日朝刊第一社会面39面「起訴事実を元少年認める 福岡の水死事件公判 【西部】」
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  168. ^ 『読売新聞』2007年12月26日東京朝刊第二社会面30面「大牟田4人殺害 母と二男、2審も死刑/福岡高裁」
  169. ^ a b c d 『朝日新聞』2007年12月26日朝刊第一社会面29面「母・次男、二審も死刑 福岡高裁『積極的に役割』 大牟田4人殺害【西部】」
  170. ^ 『朝日新聞』2007年12月26日朝刊第二社会面30面「母親と次男、二審も死刑 福岡4人殺害、高裁判決」
  171. ^ a b c d e 『毎日新聞』2007年12月26日西部朝刊第一社会面25面「福岡・大牟田の4人殺害:『人命軽視甚だしい』 妻、次男の死刑支持--福岡高裁」(記者:石川淳一)
  172. ^ 『読売新聞』2007年12月27日西部朝刊第三社会面25面「福岡・大牟田4人殺害 K4被告が上告」
  173. ^ 『読売新聞』2007年12月28日西部朝刊第三社会面25面「福岡・大牟田4人殺害 K2被告も上告」
  174. ^ a b c d e 『読売新聞』2007年10月12日西部朝刊第一社会面31面「大牟田4人殺害控訴審初公判、父が共謀認める/福岡高裁」
  175. ^ a b c d 『朝日新聞』2007年10月12日朝刊第二社会面34面「家族と共謀、一転認める 大牟田4人殺害の控訴審で父親 【西部】」
  176. ^ 『読売新聞』2007年12月21日西部朝刊第一社会面31面「大牟田4人連続殺人 父と長男の控訴審結審、3月27日に判決/福岡高裁」
  177. ^ a b 『朝日新聞』2007年12月21日朝刊第三社会面29面「大牟田4人殺害、父と長男が結審 福岡高裁 【西部】」
  178. ^ 『読売新聞』2008年3月27日西部夕刊第一社会面15面「大牟田4人殺害 元組長と長男、2審も死刑 控訴を棄却/福岡高裁」
  179. ^ 『読売新聞』2008年3月28日西部朝刊第一社会面39面「大牟田4人殺害 父と長男、2審も死刑 福岡高裁が控訴棄却」
  180. ^ 『読売新聞』2008年3月28日東京朝刊第一社会面39面「大牟田連続殺人 元組長と長男、2審も死刑判決/福岡高裁」
  181. ^ 『朝日新聞』2008年3月27日西部夕刊1面「父・長男、二審も死刑 大牟田・4人殺害で福岡高裁 【西部】」
  182. ^ a b c d 『朝日新聞』2008年3月28日朝刊第一社会面35面「『人命軽視で悪質』指摘 大牟田4人殺害、二審も死刑 【西部】」
  183. ^ 『朝日新聞』2008年3月28日朝刊第一社会面39面「父親と長男、二審も死刑 福岡・4人殺害事件で福岡高裁」
  184. ^ 『読売新聞』2008年3月29日西部朝刊第二社会面25面「福岡・大牟田4人殺害 元組長側が上告」
  185. ^ 『読売新聞』2011年4月16日西部朝刊第三社会面29面「4人殺害 9月口頭弁論」
  186. ^ a b c d e f 『読売新聞』2011年9月10日西部朝刊第一社会面39面「大牟田4人殺害 『死刑回避』を主張 最高裁で2被告側」
  187. ^ a b c d e f 『朝日新聞』2011年9月10日朝刊第三社会面33面「大牟田4人殺害、死刑回避求める 上告審、妻らの弁護側 【西部】」
  188. ^ 『読売新聞』2011年9月17日西部朝刊第三社会面33面「大牟田連続殺人 来月3日に判決 最高裁、2被告に」
  189. ^ a b 『読売新聞』2011年10月4日西部朝刊第一社会面35面「大牟田4人殺害 母・次男死刑確定へ」
  190. ^ a b 『読売新聞』2011年10月4日東京朝刊第一社会面39面「母親と次男 死刑確定へ 大牟田4人殺害上告審」
  191. ^ a b 『朝日新聞』2011年10月4日朝刊第二社会面38面「福岡連続殺害、死刑が確定へ 母・次男の上告棄却」
  192. ^ 『読売新聞』2011年5月17日西部朝刊第二社会面30面「大牟田の4人殺害 9月12日口頭弁論 最高裁」
  193. ^ a b c d e 『読売新聞』2011年9月13日西部朝刊第三社会面37面「大牟田4人殺害 上告審弁論」
  194. ^ a b c d e 『朝日新聞』2011年9月13日朝刊第三社会面37面「元組長と長男側、死刑回避求める 大牟田・4人殺害、最高裁で上告審弁論 【西部】」
  195. ^ 『読売新聞』2011年9月29日西部朝刊第二社会面38面「元組長と長男 来月17日判決 最高裁、大牟田4人殺害」
  196. ^ a b 『朝日新聞』2011年10月18日朝刊第二社会面38面「一家4人、死刑確定へ 大牟田4人殺害、上告棄却 【西部】」
  197. ^ a b 『朝日新聞』2011年10月18日朝刊第三社会面37面「大牟田4人殺害、父子の死刑確定へ」
  198. ^ a b c d 『朝日新聞』2018年2月23日朝刊筑後第一地方面31面「信書不許可は『不当』 /福岡県」

雑誌報道出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 週刊文春』2004年10月7日号 p.37-39「大牟田4人殺害 『毎晩違う女と寝ている』と豪語する 極道一家20歳元力士の女漁り人生」(文藝春秋社
  2. ^ a b 週刊朝日』2007年3月16日号 p.163「凶悪 福岡4人殺しで一家全員『死刑』」(朝日新聞社
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 週刊新潮』2004年10月7日号 p.156-159 特集記事「『観音様』を背負ってワル力士を育てた 『大牟田4人殺し』女親分の『3度の結婚』」(新潮社
  4. ^ a b c d 月刊誌『相撲』1996年4月号(ベースボール・マガジン社、1996年4月15日発行) p.147 「角界トピックス 1996年3月新弟子検査合格者」(※上から4段目、7段落目、「68番 大島部屋」)
  5. ^ 月刊誌『相撲』1996年6月号(ベースボール・マガジン社、1996年6月15日発行) p.122「角界トピックス 力士往来<改名>◇序ノ口」(※上から2段目、3行目及び4行目)
  6. ^ a b 月刊誌『相撲』1996年7月号(ベースボール・マガジン社、1996年7月15日発行) p.174「平成8年夏場所全力士略歴星取表」
  7. ^ a b 月刊誌『相撲』2000年6月号(ベースボール・マガジン社、2000年6月15日発行) p.156「角界トピックス 2000年5月25日 新弟子検査合格者」(※上から3段目、3段落目、「6番 松ヶ根部屋」)
  8. ^ a b 月刊誌『相撲』2000年9月号(ベースボール・マガジン社、2000年9月15日発行) p.156「平成12年夏場所全力士略歴星取表」
  9. ^ 月刊誌『相撲』2000年10月号(ベースボール・マガジン社、2000年10月15日発行) p.118「角界トピックス 力士往来<改名>◇序ノ口」(※上から1段目、27行目及び28行目)
  10. ^ 月刊誌『相撲』2000年11月号(ベースボール・マガジン社、2000年11月15日発行) p.152「平成12年秋場所全力士略歴星取表」
  11. ^ 月刊誌『相撲』2001年4月号(ベースボール・マガジン社、2001年3月29日発売) p.82
  12. ^ a b c 週刊朝日』2011年11月4日号 p.154「福岡・大牟田4人殺害事件の実行犯が綴った『死刑と不敵』」(朝日新聞社、記者:小野一光)

その他報道など各種出典編集

  1. ^ 2004.12.13 : 平成16年12月定例会(第13日) 本文 29 : ◯二十六番(清田 信治君)”. 福岡県議会議事録 (2004年12月13日). 2018年4月13日閲覧。
  2. ^ a b c 2004.12.13 : 平成16年12月定例会(第13日) 本文 33 : ◯警察本部長(廣畑 史朗君)”. 福岡県議会議事録 (2004年12月13日). 2018年4月13日閲覧。
  3. ^ a b 栗下直也 (2017年11月7日). “『全員死刑』父も母も兄も弟も死刑確定”. HONZ. オリジナルの2018年4月18日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20180418150509/http://honz.jp/articles/-/44505 2018年4月18日閲覧。 
  4. ^ “間宮祥太朗、『全員死刑』主演に! 実在する事件「大牟田4人殺人事件」を描く”. シネマカフェ. (2017年3月1日). オリジナルの2018年2月17日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20180216154239/http://www.cinemacafe.net/article/2017/03/01/47462.html 2017年3月2日閲覧。 
  5. ^ “間宮祥太朗×小林勇貴が初タッグ、実際の事件モチーフにした「全員死刑」公開”. 映画ナタリー. (2017年3月1日). オリジナルの2018年2月17日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20180216154247/https://natalie.mu/eiga/news/222674 2017年3月2日閲覧。 
  6. ^ “Hey!Say!JUMP八乙女光、主演舞台で笑顔封印!西岡徳馬「(メンバーが観たら)嫉妬する」と太鼓判【コメント全文】”. ニコニコニュース (芸能ニュースラウンジ). (2014年5月4日). オリジナルの2018年4月24日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20180424144716/http://news.nicovideo.jp/watch/nw1055224 2018年4月24日閲覧。 

関連項目編集

外部リンク編集