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大田 勇治(おおた ゆうじ、1964年7月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市[1]出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

大田 勇治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県鹿児島市
生年月日 (1964-07-21) 1964年7月21日(55歳)
身長
体重
182 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1990年 ドラフト外
初出場 1992年4月11日
最終出場 1992年7月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

概要・人物編集

鹿児島商工高では、1982年右翼手として春夏連続で甲子園に出場[1]春の選抜は1回戦でエース山中賢次を擁する鳴門商に9回逆転サヨナラ勝ち、しかし2回戦では二松學舎大付に惜敗[2]夏の選手権は3回戦に進むが、比叡山高に敗退[3]

八幡大学に進学。九州六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1985年秋季リーグでは、6本塁打のリーグ記録をマーク[1]。リーグ最多本塁打の19本の記録も残している[1]1986年全日本大学野球選手権大会では準決勝に進むが、森浩之らのいた東洋大に敗退。

大学卒業後は社会人野球日本通運に入社、打線の中軸として活躍する。1989年都市対抗ではNTT関東の補強選手として出場、新日鐵広畑との1回戦で本塁打を放つ。1990年都市対抗にも日本通運の四番打者として連続出場。しかし1回戦でプリンスホテル佐藤康弘に抑えられ敗退した。

同年オフにドラフト外で26歳ながら日本ハムファイターズにテスト入団[1]。契約金は0だった。1年目の1991年は一軍未出場ながら、二軍では規定打席に到達する。1992年に新制土橋正幸監督の下で一軍初昇格。左翼手として4試合に先発出場、6月には一番打者としても起用されるが成績が残せず、同年限りで引退した[1]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1992 日本ハム 42 39 36 2 6 0 0 0 6 1 1 1 3 0 0 0 0 5 1 .167 .167 .167 .333
通算:1年 42 39 36 2 6 0 0 0 6 1 1 1 3 0 0 0 0 5 1 .167 .167 .167 .333

記録編集

背番号編集

  • 53 (1991年 - 1992年)

脚注編集

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、105ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目編集