大畑大介

日本のラグビー選手

大畑 大介(おおはた だいすけ、1975年11月11日 - )は、日本の元・ラグビー選手

大畑 大介
第67回朝日杯フューチュリティS表彰式にて
(2015年12月20日)
生年月日 (1975-11-11) 1975年11月11日(48歳)
出身地 日本の旗 大阪府大阪市城東区
身長 1.76 m (5 ft 9+12 in)(選手時代)[1]
体重 82 kg (12 st 13 lb)(選手時代)[1]
学校 東海大学付属仰星高等学校
大学 京都産業大学
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション スリークォーターバック
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1998–2002 神戸製鋼 ()
2003 モンフェラン[2] 2 (20)
2003–2011 神戸製鋼 67 (210)
代表
チーム 出場 (得点)
1996-2007  日本 58[3] (345)
更新日:  2015年3月27日
7人制代表
チーム 大会
 日本 13
更新日:  2022年12月16日

大阪府大阪市城東区の出身(実家は2011年までパン屋を経営)[3]。ポジションはウィング(WTB)センター(CTB)で、走力を活かしてトライを量産[3]。高校(東海大仰星)の頃はフルバック(FB)。現役時代にはトップリーグ神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属。2008年のラグビーシーズンに発足したトップリーグキャプテン会議では2009年シーズンまで初代代表を務めた。

2010年シーズンを最後に現役を引退した。引退後は神戸製鋼コベルコスティーラーズのアンバサダー大使)やSPORTS JAPAN アンバサダーとして、全国各地や各種メディアなどでラグビーの振興・普及活動につとめる[3]

経歴 編集

来歴 編集

1996年アジア選手権に出場する日本代表(ジャパン)に選ばれて全試合に出場し、韓国との最終戦で初キャップを獲得[3]

1997年京都産業大学ラグビー部の主将を務め関西大学ラグビーリーグ戦を制した。続く第34回大学選手権2回戦にて早稲田大学相手に69 - 18 と大勝。ラックから早稲田ボールを再三奪った京産が大畑のカウンターからトライの山を築いた[4]。しかし準決勝戦では、この年優勝した関東学院大学に38-46で完敗した。 

1999年香港セブンズで、日本代表は下位チームによるトーナメントグループ(プレートトーナメント)に回ったが、その決勝のスコットランド戦の終了間際、大畑は自陣ゴール前から独走トライで日本を逆転勝利に導き、MVPを獲得した。

2002年7月6日、国立競技場でのワールドカップアジア最終予選台湾戦で、テストマッチにおける日本新記録となる8トライを記録。そして2006年5月14日、花園ラグビー場でのジョージア戦で3トライを挙げてテストマッチ通算65トライとし、オーストラリアデイヴィッド・キャンピージが保持していた64トライの世界記録を更新した。

ワールドカップでは、1999年2003年の2大会[3] で日本代表の全試合(計7試合)にフル出場し、計3トライを記録している。

2006年アジア選手権(兼ワールドカップアジア最終予選)では主将を務める。2004年にも1度務めたが、当時の主将だった箕内拓郎の代役としてだった。

2006年のトップリーグ最終節ヤマハ戦で右アキレス腱を断裂し、2007年上半期をリハビリに費やす。2007年8月10日、「リポビタンDチャレンジ2007 日本代表 vs アジア・バーバリアンズ ラグビーワールドカップ2007 日本代表壮行試合」にて、見事復帰、アジア混合チームにトライを上げ快勝した。2007年ワールドカップにおいても、副将に選ばれている。2007年8月25日、イタリアで行われたポルトガルとの本大会に向けた調整試合で左アキレス腱を断裂。

2008-2009シーズン・トップリーグ第1節NEC戦で復活。元南アフリカ代表ヤコ・ファン・デル・ヴェストハイゼンのパスをカット。一気に50mを走りきり、復活トライをあげた。その後チームは、トップリーグプレーオフに進出するが、2009年2月1日の準決勝東芝戦で左肩を亜脱臼。そのまま退場した。

2010-11トップリーグ開幕を前に同シーズンを最後に引退することを表明。2011年1月9日、リーグ最終戦の豊田自動織機戦で右ひざ膝蓋腱英語版を断裂。これを最後に選手生活にピリオドを打つこととなった[3]。なお、この右ひざの手術の翌日、外泊許可を取ってバラエティ番組さんまのまんま』の収録に参加している(放映日は関西テレビ 2011年1月29日、フジテレビ 2011年2月6日)。高校の同級生である建山義紀投手(当時テキサス・レンジャーズ)と上原浩治投手(当時ボストン・レッドソックス)が出演すると云うことで、3人揃うのは滅多にないから、とのことであった。

ワールドカップ2015(イングランド大会)の開会式で、各国レジェンドの1人として出演した[5]

ラグビーワールドカップ2019のアンバサダーを務める[6]

2016年、ワールドラグビーからワールドラグビー殿堂として表彰される[7]坂田好弘が2012年に選ばれて以来で、2人目[3]

テストマッチでのトライ一覧 編集

トライ 対戦相手 会場 大会 日付 勝敗 得点 備考
1   韓国   台北スタジアム 1996年アジアラグビーフットボール大会 決勝 1996年11月9日 勝利 41-25 [1]
2
3
4   カナダ   サンダーバードスタジアム英語版バンクーバー 1998年パシフィック・リム選手権 第6戦 1998年6月20日 敗北 25-34 [2]
5   アルゼンチン   秩父宮ラグビー場東京都 アルゼンチン代表第1回来日第2戦 1998年9月15日 勝利 44-29 [3]
6   香港   ナショナルスタジアムシンガポール 1998年アジアラグビーフットボール大会 兼 第4回RWC予選 第3戦 1998年10月31日 勝利 47-7 [4]
7
8   トンガ   秩父宮ラグビー場東京都 1999年パシフィック・リム選手権 第2戦 1999年5月8日 勝利 44-17 [5]
9   サモア   花園ラグビー場大阪府 1999年パシフィック・リム選手権 第3戦 1999年5月22日 敗北 37-34 [6]
10   アメリカ合衆国   ホノルルハワイ州 1999年パシフィック・リム選手権 第5戦 1999年6月12日 勝利 47-31 [7]
11
12   スペイン   旧国立競技場東京都 スペイン代表第1回来日第2戦 1999年8月20日 勝利 30-7 [8]
13   ウェールズ   ミレニアム・スタジアムカーディフ ラグビーワールドカップ1999 第2戦 1999年10月9日 敗北 15-64 [9]
14   フィジー   秩父宮ラグビー場東京都 2000年パシフィック・リム選手権 第1戦 2000年5月20日 敗北 22-47 [10]
15
16   韓国   青森県総合運動公園青森県 2000年アジアラグビーフットボール大会 決勝 2000年7月2日 勝利 34-29 [11]
17   カナダ   フレッチャーズフィールド英語版マーカム 2000年パシフィック・リム選手権大会 第5戦 2000年7月15日 敗北 18-62 [12]
18   ロシア   旧国立競技場東京都 リポビタンDチャレンジ2002 ロシア代表第1回来日 2002年5月19日 勝利 59-19 [13]
19   韓国   旧国立競技場東京都 第2回アジア3国対抗(第5回RWCアジア地区最終予選) 2002年6月16日 勝利 90-24 [14]
20
21
22
23   チャイニーズタイペイ   旧国立競技場東京都 第2回アジア3国対抗(第5回RWCアジア地区最終予選) 2002年7月6日 勝利 155-3 [15]
24
25
26
27
28
29
30
31   韓国   東大門運動場ソウル特別市 第2回アジア3国対抗(第5回RWCアジア地区最終予選) 2002年7月14日 勝利 55-17 [16]
32   チャイニーズタイペイ   台南ラグビー場 第2回アジア3国対抗(第5回RWCアジア地区最終予選) 2002年7月21日 勝利 120-3 [17]
33
34   韓国   蔚山公設運動場 第14回アジア競技大会 決勝 2002年10月13日 敗北 34-45 [18]
35   アメリカ合衆国   ボクサースタジアム英語版サンフランシスコ 第1回スーパーパワーズカップ 2003年5月17日 敗北 27-69 [19]
36   ロシア   秩父宮ラグビー場東京都 第1回スーパーパワーズカップ 2003年5月25日 敗北 34-43 [20]
37   オーストラリアA英語版   秩父宮ラグビー場東京都 オーストラリアA代表来日第2戦 2003年6月8日 敗北 15-66 [21]
38   韓国   花園ラグビー場大阪府 第5回日韓定期戦 2003年6月15日 勝利 86-3 [22]
39
40   イングランドXV   東京スタジアム東京都 イングランド代表第3回来日第1戦 2003年7月3日 敗北 10-37 [23]
41   フランス   ウィロウズ・スポーツコンプレックスタウンズビル ラグビーワールドカップ2003 第2戦 2003年10月18日 敗北 29-51 [24]
42   アメリカ合衆国   セントラルコースト・スタジアムゴスフォード ラグビーワールドカップ2003 第4戦 2003年10月27日 敗北 26-39 [25]
43   カナダ   秩父宮ラグビー場東京都 第2回スーパーパワーズカップ 決勝 2004年5月30日 勝利 34-21 [26]
44   ウルグアイ   エスタジオ・ルイス・フランシーニモンテビデオ 南アメリカ遠征2005 第1戦 2005年4月16日 敗北 18-24 [27]
45   アルゼンチン   ブエノスアイレス・クリケット&ラグビークラブブエノスアイレス 南アメリカ遠征2005 第2戦 2005年4月23日 敗北 36-68 [28]
46   香港   秩父宮ラグビー場東京都 第5回アジア3国対抗(RWCアジア2次予選〉 2005年5月8日 勝利 91-3 [29]
47
48
49
50
51
52   韓国   江原道寧越郡総合 第5回アジア3国対抗(RWCアジア2次予選) 兼 第7回日韓定期戦 2005年5月15日 勝利 50-31 [30]
53
54   ルーマニア   旧国立競技場東京都 第3回スーパーパワーズカップ 1回戦 2005年5月25日 勝利 23-16 [31]
55
56   アイルランド   秩父宮ラグビー場東京都 リポビタンDチャレンジ2005 2005年6月19日 敗北 18-47 [32]
57
58 アラビアンガルフ   秩父宮ラグビー場東京都 第6回アジア3国対抗(RWC3次予選) 2006年4月16日 勝利 82-9 [33]
59
60
61   韓国   秩父宮ラグビー場東京都 第6回アジア3国対抗(RWC3次予選) 兼 第8回日韓定期戦 2006年4月23日 勝利 50-14 [34]
62
63   ジョージア   花園ラグビー場大阪府 リポビタンDチャレンジ2006 2006年5月14日 勝利 32-7 [35]
64
65
66   香港   香港フットボールクラブ球技場香港 第7回アジア3国対抗(RWC最終予選) 2006年11月18日 勝利 52-3 [36]
67   韓国   香港フットボールクラブ球技場香港 第7回アジア3国対抗(RWC最終予選) 兼 第9回日韓定期戦 2006年11月25日 勝利 54-0 [37]
68
69

人物 編集

元プロ野球選手の建山義紀と上原浩治は、東海大学付属仰星高等学校時代の同級生[8]

家族は妻と2人の娘がいる[9]

50m5秒9[10]。100mは11秒前半を記録したことがある[11]

主な記録 編集

  • 通算テストマッチトライ記録(69トライ)
  • テストマッチ年間トライ数世界タイ記録(2002年17トライ)
  • テストマッチ1試合トライ数日本記録(2002年7月6日、中華台北戦)

受賞歴 編集

  • 2003-04トップリーグベスト15・ファンサービス賞
  • 2005-06トップリーグベスト15
  • 2010-11功労賞

著書 編集

出演番組 編集

現在 編集

以下の番組には、2011年の現役引退後から出演。

以下の番組には、現役時代から出演。

他にも、プロ野球のオフシーズンに放送される「ムキムキ!ノーサイド劇場」(ABCラジオ、『元気イチバン!!ぶっちぎりプレイボール』→『スポーツにぴたっと。』金曜日に内包されるラグビー情報コーナー)にも定期的に出演。同局の看板番組『おはようパーソナリティ道上洋三です』にも、実父が熱心なリスナーであることなどが縁で、現役時代から折に触れてゲストで登場している。

過去 編集

  • ちちんぷいぷいMBSテレビ、関西ローカル)
    • 現役時代のゲスト出演を経て、引退後の2011年10月から月曜日にレギュラーで出演。2014年4月からは出演日を火曜日に変更したが、後に月曜日へ復帰した。
    • 出演期間中は、スタジオパネラーやラグビー関連の取材・解説にとどまらず、スポーツ以外の分野のVTR取材・生中継コーナーのリポーターも随時担当。スポーツ関連の挑戦企画にも参加するなど、2021年3月の番組終了まで幅広く活動していた。
  • スッキリ(日本テレビ)コメンテーターとして2021年3月まで出演

以下の番組にはいずれも、現役時代に出演

スポーツマンNo.1決定戦 編集

TBSの『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』に4度出演し、2度優勝を果たしている。「SHOT-GUN-TOUCH」では当時の世界記録となる13m50cmを記録。その他、「WORK OUT GUYS」50秒01(歴代3位)、「THE GALLON THROW」5m75cm、「BURN OUT GUYS」1分16秒39、「MONSTER BOX」16段を記録している。

大会 放送日 総合順位
第7回大会 2001年1月1日 No.1
第8回大会 2002年1月1日 3位
第9回大会 2003年1月1日 No.1
第10回大会 2004年1月1日 15位

大畑は2020年のインタビューにて「僕らマイナー競技の人間はメジャー競技の人たちと一緒にやれるという事で、野球やサッカーファンもたくさん観る。そこにどれだけインパクト与えるのかっていうのは、すごく考えていました。だから自分が出る時は、とにかく結果残さなきゃいけないっていう思いでやっていましたね。OA終了後の反響がものすごかったです」と語っている[12]

また、自身の自叙伝では2001年の初優勝時の反響の大きさについて「スタジアムに来てくれるお客さんが飛躍的に増えたし、注目度も確実にアップした」「スポーツマンNo.1決定戦での優勝は、ラグビー界においても大きな意義があったと思う」と語っている[13]

出典 編集

  1. ^ a b 日本ラグビーフットボール協会 - 日本代表 2014年11月18日閲覧。
  2. ^ “Japan's Ohata to test for French club”. The Japan Times. (2002年10月27日). https://www.japantimes.co.jp/sports/2002/10/27/more-sports/japans-ohata-to-test-for-french-club/ 
  3. ^ a b c d e f g h 東京新聞 2016年11月10日 夕刊
  4. ^ 【甘口辛口】早大を粉砕した京産大のスクラム 明大にも通用するか 大学ラグビー準決勝は注目の東西対抗 サンスポ 2023年12月25日05:00
  5. ^ (日本語) Rugby World Cup legends kick Rugby World Cup off!, https://www.youtube.com/watch?v=n1yAm9_YCU8 2023年2月1日閲覧。 
  6. ^ “大畑大介、ラグビーW杯開催予定地の熊本・大分にエール「応援していきたい」”. ORICON STYLE. (2016年4月20日). https://www.oricon.co.jp/news/2070382/full/ 2016年4月20日閲覧。 
  7. ^ “大畑大介氏ら、殿堂入り選手を表彰”. スポニチアネックス. (2016年11月18日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/11/18/kiji/K20161118013745770.html 2016年11月18日閲覧。 
  8. ^ 上原&建山&ラグビー大畑 同窓会トーク”. 日刊スポーツ (2012年1月12日). 2023年5月2日閲覧。
  9. ^ 【2006年5月14日】大畑大介 65トライ目で世界新記録達成「さすが?でしょ」”. スポーツ報知 (2020年5月14日). 2023年5月2日閲覧。
  10. ^ 大畑大介 プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2023年5月2日閲覧。
  11. ^ 日本代表スコッド強化合宿 - リポート”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年5月7日閲覧。
  12. ^ 『スポーツマンNo.1決定戦』名場面が令和に復活 池谷、ケイン、室伏らによる伝説の2002年大会再び【出場者コメントあり】”. 2020年6月3日閲覧。
  13. ^ トライ. PHP研究所. (2003年10月) 

外部リンク 編集