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祭神編集

祭神は次の1柱[1]

大物主神とは別に、『新撰姓氏録』大和国神別 工造条に火明命十世孫として見える大美和都禰命を祭神とする説があり、これにより尾張氏(火明命の後裔氏族)と当社奉斎氏族との同祖関係が推測される[1]

歴史編集

 
社殿
左に本殿、右に幣殿・拝殿。

概史編集

創建は不詳。上記のように、大物主神を奉斎する大和の大神氏(三輪氏)一族が来住し祭祀を担ったと見る説と、大美和都禰命を奉斎する尾張氏関係氏族が祭祀を担ったと見る説がある[1]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では尾張国中島郡に「大神神社 名神大」と記載され、名神大社に列している[1]。社名は、写本によっては「大神々社」「太神社」とも表記される。『妙興寺文書』「中島長利寄進状」(観応元年(1350年))では、大神の地はと塚[2](現・一宮市大和町戸塚)の北東部になるとあり、この記載が名神大社比定の傍証になる[1]。一方、他の名神大社と異なり『延喜式』臨時祭 名神祭条では当社の記載がないため、神名帳の「名神大」を衍字と見る説もあるが、肯定説では『貞観式』や臨時祭式の成立後に当社が名神大社の列に加わったためと推測する[1]。また『和名抄』に見える郷名のうちで、当地を中島郡美和郷にあてて「みわ(神/美和)」のつながりを見る説が古くからあるが、『新編 一宮市史』では拝師郷または川埼郷にあてる[1]

社伝によると、当地は熱田社(熱田神宮)の荘園(熱田庄)で、毎年旧暦7月7日には熱田社に素麺を奉納したといい、「花池」の地名はその名残とする[1]。しかし『尾張国地名考』ではこの伝承は否定されており、真偽は不詳[1]。また近世には、当社は「三明神」「三宮明神」と称されていたという[1][3]

明治5年(1872年)5月には近代社格制度において郷社に列した[4]。現在では尾張国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している(ただし一般的には尾張国一宮は真清田神社とされる[5])。これに関して大神神社側では、真清田神社・大神神社が対の宮であったとし、ともに一宮となったと主張している[3]。現在神職は常駐しておらず、一宮市内の大神社宮司が兼務する。

神階編集

  • 従一位[6]または正二位上[7] (『尾張国内神名帳』) - 表記は「大神名神」。位階は写本により異同がある。

摂末社編集

現在の摂末社は、次の6社[3]

  • 六所社
  • 三島社
  • 白山社
  • 神明社
  • 招魂社
  • 素盞社

文化財編集

一宮市指定有形文化財編集

  • 木造狛犬 1対(彫刻)
    江戸時代後期、文化12年(1815年)の作。阿形・吽形の2体からなる。阿形は高さ40センチメートル、吽形は高さ45センチメートルで、いずれも檜材寄木造[8]。昭和57年3月1日指定[9]

その他編集

神宝として刀剣3振があり、一宮市博物館に保管されている[3]

現地情報編集

所在地

交通アクセス

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 大神神社(平凡社) & 1981年.
  2. ^ と塚の「と」の字は「石偏+弖」。
  3. ^ a b c d 境内説明板。
  4. ^ 明治神社誌料 & 1912年.
  5. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 102-113。
  6. ^ 『神社覈録 上編』(皇典研究所、1902年、国立国会図書館デジタルコレクション)413コマ。
  7. ^ 『国内神名帳』 (PDF) (文政13年(1830年)転写合本、愛知県図書館「貴重和本デジタルライブラリー」より)6コマ。
  8. ^ 一宮の文化財めぐり & 1999年, p. 191.
  9. ^ 一宮の文化財めぐり & 1999年, p. 240.

参考文献編集

  • 境内説明板
  • 「大神神社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所編、明治神社誌料編纂所、1912年。
  • 「大神神社」『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490239
  • 田邊裕「大神々社」『式内社調査報告 第8巻』式内社研究会編、皇學館大学出版部、1989年。
  • 『一宮の文化財めぐり 増補改訂版』一宮市教育委員会、1999年。

外部リンク編集