大管区指導者

ナチ党の役職

大管区指導者(だいかんくしどうしゃ、: Gauleiterガウライター)とは、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の役職であり、党の地区区分である大管区の指導者を指す。

ヒトラーと挨拶を交す各地の大管区指導者(1943年2月7日、総統大本営

ナチ党政権下のドイツにおいては、地方の最高権力者として扱われ、後に設置される帝国大管区においても同じ役職が設置された。

語源編集

ドイツ語においてLeiterは「指導者」を意味している。また、Gau(ガウ)は、古フランク語のGaugraf(ガウグラーフ)に由来しており、これはイギリスシャイアに近い地方区分の概念である。ガウはナチ党が彼らの目的のために中世ドイツから復活させた古語の一つであった。

歴史編集

ミュンヘン一揆の失敗以後、活動を禁止されたナチ党は組織の再編成を行っており、1925年に大管区指導者の称号が作られた。1928年までに大管区指導者は党内の階級にもなり、最終的に全国指導者の次席となった。1933年のナチ党の権力掌握後は、大管区指導者の多くが国家代理官に任命され、それまで存在した地方自治体に代わり、ナチ党による全国支配を実行することとなった。第二次世界大戦勃発直後の1939年9月には、国防管理官ドイツ語版を兼任し、地域防衛の責任者となったことで、さらに権力は大きくなった。

政治的位置編集

名目上、大管区指導者はナチ党地方組織の調整のための役職であり、その上で地方自治への助言を行う党地方組織の代表であったが、実際には各地域における最高統治者であった。本来行政などを担当する地方政府は、大管区指導者の命令を追認するのみの存在と化していた。

大管区指導者は、ドイツにおけるガウの最上級政治指導者であり、ライヒの下にはガウ(州、県、行政区)、その下にクライス(Kreis、地区、郡)、さらにその下にオルト(Ort、市)が存在していた。さらにその下部に2つの地方組織、ブロック(Block、班)とツェレ(Zelle、細胞)が存在していた。オルト以上の政治指導者は制服を着用し、制服と記章によりその地位を表した。

党内序列においては、全国指導部を構成する全国指導者の下位にあたるが、ヨーゼフ・ゲッベルスは宣伝全国指導者となってからも、ベルリンの大管区指導者を兼任していた。次席には大管区指導者代理(Stellvertretender Gauleiter、副大管区指導者とも)が設置されている。

記章編集

(左)1936年制定の襟章
(右)1938年制定の襟章

関連項目編集

文献編集