大谷廣次 (2代目)

江戸時代中期の歌舞伎役者
大谷広次 (2代目)から転送)

二代目 大谷 廣次(にだいめ おおたに ひろじ、新字体:広次享保2年(1717年) - 宝暦7年6月2日1757年7月17日))は江戸時代中期の歌舞伎役者。屋号駿河屋俳名十町・東洲。

にだいめ おおたに ひろじ
二代目 大谷 廣次
屋号 駿河屋
定紋 丸十
生年月日 1717年
没年月日 1757年7月17日
襲名歴 1. 辰松文七
2. 初代大谷文蔵
3. 三代目坂東又太郎
4. 初代大谷鬼次
5. 二代目大谷廣次
俳名 十町・東洲
辰松武左衛門
二代目尾上菊五郎
当たり役
曽我物語』の河津三郎

人形遣い辰松武左衛門の子。はじめ初代大谷廣次の門下。後に人形遣い辰松幸助の門下となり辰松文七。享保20年(1735年)に再度初代廣次の門下に入り、養子となって大谷文蔵と改名。享保21年(1736年)に四代目市村竹之丞の門下に移り三代目坂東又太郎襲名。寛保3年(1743年)には三たび大谷廣次の門下に入り大谷鬼次を名乗る。師死去の翌年の延享5年(1748年)に二代目大谷廣次を襲名した。

先代師匠初代廣次の豪快な芸を受け継ぎ人気を得る。特に『曽我物語』の河津三郎は初代中村助五郎の股野五郎との相性が抜群で「助廣次」と謳われるほどだった。

実子に二代目尾上菊五郎がいるが早世している。

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