大野功統
大野 功統(おおの よしのり、1935年(昭和10年)10月16日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。
大野 功統 おおの よしのり | |
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生年月日 | 1935年10月16日(83歳) |
出生地 |
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出身校 | 東京大学法学部 |
前職 |
国家公務員(大蔵省) 衆議院議員 (香川県第3選挙区支部長) |
所属政党 | 自由民主党(山崎派) |
称号 |
法学士 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ 旭日大綬章 |
親族 |
岳父・加藤常太郎(衆議院議員) 長男・大野敬太郎(衆議院議員) |
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内閣 |
第2次小泉改造内閣 第3次小泉内閣 |
在任期間 | 2004年9月27日 - 2005年10月31日 |
選挙区 |
(旧香川2区→) 香川3区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1986年7月6日 - 2012年11月16日 |
防衛庁長官(第70・71代)、文部科学副大臣(第2次森改造内閣)、衆議院議院運営委員長(第62代)、衆議院議員(8期)などを歴任した。
衆議院議員を務めた加藤常太郎は岳父、衆議院議員の大野敬太郎は長男。
目次
来歴編集
日本統治時代の台湾生まれ[1]。父は大野乾、母はカツエ。台湾で第二次世界大戦敗戦を迎える。小学校が閉鎖されたため、引き揚げまでは新聞配達のアルバイトをして過ごしていた[1]。1947年、香川県三豊郡豊浜町(現観音寺市)に引き揚げ[1]。高松第一高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、大蔵省に入省。入省同期に柿澤弘治(元外務大臣)、尾崎護、角谷正彦ら。国際機構課長を経て退官し、1978年に香川県知事選挙に出馬したが、惜敗。1986年、第38回衆議院議員総選挙に、引退する岳父・加藤常太郎に代わり自由民主党公認で旧香川県第2区から出馬し、初当選する。1996年以降は小選挙区比例代表並立制の導入に伴い、香川県第3区から出馬し当選を重ねる。
2004年、第2次小泉改造内閣で防衛庁長官に任命され、第3次小泉内閣まで務める。2007年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟・自民党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、副委員長に就任した。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、自民党に全国的に猛烈な逆風が吹き荒れる中、香川3区で8回目の当選。2011年6月、同じ近未来政治研究会(山崎派)に所属する甘利明元経済産業大臣が立ち上げた政策グループ「さいこう日本」に参加。2012年8月、次期衆議院議員総選挙に出馬せず、政界を引退する意向を表明した[2]。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、香川3区からは大野の政策秘書である長男・敬太郎が自民党公認で出馬し、初当選した。
人物編集
政策編集
所属団体・議員連盟編集
- 日仏友好議員連盟(会長)
- 日傷援護議員協議会(会長)
- 日本・ドミニカ友好議員連盟(会長)
- 日本・モザンビーク友好議員連盟(会長)
- 日本・イスラエル友好議員連盟(会長)
- 日本イスラエル親善協会(会長)
- 日韓議員連盟
- 海事振興連盟(副会長)
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 日朝国交正常化推進議員連盟
- 自由民主党朝鮮半島問題小委員会(副委員長)
- さいこう日本[4]
- 例外的に夫婦の別姓を実現させる会
家族・親族編集
大野家編集
- 父乾(元香川県副知事)
- 明治38年(1905年)生[5]。香川県出身[5]。大阪外語仏文科卒[5]。台湾総督府に入り昭和22年(1947年)香川県庁に移り[5]、三豊地方事務所長、渉外食糧各課長、経済部長、出納長を経て昭和32年(1957年)3月副知事に就任[5]。
- 大野によれば「オヤジは何事も真面目にやる男だった。踊りを習えば、家庭に帰って来ても、夜更に至るまでレコードをかけておさらいをしていた。死ぬ直前は真剣に字を習っていた。毎夜欠かさず墨をすった。忙しかったのであろう。連夜十二時近くに帰ってきても、それから酒を飲みながら何度となく同じ字を練習した。酒がまわってくると書いた字を自慢した。われわれ見物人がそれをほめないと機嫌が悪かった。そして一区切りつくと、親子はとりとめのない世間話をした。そこには、憂き世を忘れた天真らんまんのオヤジの姿があった。わたくしはそんなオヤジが一番好きであった。」という。
- 姉は大阪大学教授藤田広志に嫁いだ。
- 家族は妻、一男、一女。妻とは見合い結婚であった。
親戚編集
著書編集
- 『ウォームハート-構造改革のあとにくるもの-』パレード発行、星雲社発売、2006年7月
- 『特恵関税』日本関税協会、1969年。
- 『南と北-世界経済の新路-』日本関税協会、1968年2月
脚注編集
- ^ a b c d e 首相官邸ホームページ
- ^ 大野氏「明鏡止水の心境」 今期限り政界引退表明
- ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
- ^ “甘利氏の「さいこう」発会式 自民党議員19人が参加”. 産経新聞. (2011年6月23日) 2011年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e 『第二十一版 大衆人事録 西日本編』お二三二頁