大門だいもん)は、北海道函館市北海道旅客鉄道(JR北海道)函館駅前にある歓楽街である。

概要 編集

函館駅、かつてあった青函航路若松埠頭(いわゆる新桟橋)大森遊廓が元になり形成された歓楽街である。主要交通手段がから鉄道に変化して、街の中心が十字街(青函航路東濱桟橋、いわゆる旧桟橋)から1910年(明治43年)以降の函館駅および青函航路若松埠頭(いわゆる新桟橋)に変化、繁華街も当地に移った[1]

名前の由来は、1908年(明治41年)の大火で、函館の遊廓(遊里)は蓬萊町蓬莱町遊里及び台町の台町遊里から当地に移転し、大森遊廓と呼んだ[2]。その入り口に吉原遊廓の如く巨大ながそびえていて、その巨大な門を「大門」を呼んだことからである。なお、1934年(昭和9年)3月21日の函館大火で焼け落ちて以降門は再建されていない。

この歓楽街は2つの町丁にまたがり、函館駅側は若松町大森浜側は松風町であると言われているが、これだというエリアの定義はなく、函館市民各自によってそれぞれである[3]

松風町は1899年(明治32年)、旧東川町より分割されたものでその町丁名由来は成田山成田山函館別院函館寺)や新川小辺に小松林(防風林防砂林)があったからである[4]。若松町とは1873年(明治6年)10月に新しくできた町丁で、函館市総合福祉センター(旧・函館市立若松小学校)付近は一本木町と呼ばれていたが若松町の町丁名ができたときに名称廃止された[5]。付近は電車路(国道278号)を中心に左右に横通りがあり、それに沿って歓楽街が広がっている。横通りは駅側より、音羽通り、ヤナギ小路、高砂通り、仲通り、富士銀通り、京極通り、大門広小路(はこだてグリーンプラザ)、浅草通り、祇園通りがある。

正確な大門地帯は松風町全体で、若松町は駅前である。

第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月14日に空襲を受けており、アメリカ軍機により当時あった精肉店爆弾が直撃した。一説では向いの北海道拓殖銀行が攻撃目標であったとされる。

遊廓では敗戦直後に廃業した業者もいたが、1945年(昭和20年)10月のアメリカ軍函館進駐で再度吹き返すことになる。GHQの1946年(昭和21年)1月21日発表「日本における公娼の廃止に関する覚書」と24日の公娼制度廃止命令によって遊廓自体は終止符を打つはずであった。しかし皮肉なことに結果として街娼が増加することとなり、警視庁は社会上やむを得ないとして、特殊飲食店など集娼地域(地図上に赤い線で囲んだので「赤線」と呼んだ)を指定、事実上公娼制度を復活させてしまった。最終的に1956年(昭和31年)5月、やっと売春防止法(1956年(昭和31年)5月24日法律第118号)が成立し、1958年(昭和33年)4月、函館の赤線こと大森遊郭は廃止された[6]。函館市日ノ出町法華宗妙見寺に遊郭慰霊碑があり、現在も供養が続けられている。[要出典]

1967年(昭和42年) - 1968年(昭和43年)、函館駅前 - 松風町間 の路面電車を廃止して道路をショッピングセンター化する構想があったが、市民の反対により断念した[7]

1969年(昭和44年)「松風町2-7富士銀行」が最高路線価を記録する。1973年(昭和48年)に「松風町渡辺時計店駅前通り」に移る[1]

大型商業施設は棒二森屋(1937年<昭和12年>開店)、彩華デパート(1959年<昭和34年>開店>)、和光デパート(1968年<昭和43年>開店)の3店舗があったが、東部地区の人口急増を背景に、五稜郭地区が商店街として急成長し、1969年(昭和44年)には西部地区の十字街にあった丸井今井函館店が移転した(跡地は函館市末広町分庁舎を経て函館市地域交流まちづくりセンター)。ついで旧亀田市の美原地区(旧・赤川通地区)が、新興商店街として台頭した。昭和30年代から昭和40年代にかけて、地域的な人口の移動やモータリゼーション(車社会化)とあいまって、商店街が郊外へと移った[8]。繁華街として賑わいがあったころは北洋漁業が盛んで青函連絡船があったころである。長い航海に備える人、北海道の玄関口として連絡船の出港を待ち合わせる人、市場でひと仕事を終えた人たちの消費が繁華街の経済を支えた[3]。1988年(昭和63年)、青函トンネル開業に伴う青函連絡船が廃止された後の1992年(平成4年)には最高路線価地点の座を五稜郭地区の「本町丸井今井函館店前電車通り」に譲り[1]、1998年(平成10年)彩華デパートが、2013年(平成25年)和光デパート、2019年(平成31年)棒二森屋と3店舗とも閉店した。

小さな町の繁華街であるが業種の多さ、つまり多様性があり魅力的だった。ここにくれば楽しいものはすべて揃っている。かつて北海道内有数の歓楽街と呼ばれた理由の一つである[3]

1977年(昭和52年)から1978年(昭和53年)にかけてアーケードが設置されたが、2015年(平成27年)に函館市中心市街地活性化基本計画に基づき老朽化や維持費用の問題を理由に撤去[9]。すっきりとした印象になった。

函館市は(旧)中心市街地活性化法に基づき、1999年(平成11年)5月に「(旧)函館市中心市街地活性化基本計画」を策定し、活性化の施策を展開した。景気低迷、都市機能の拡散、大規模集客施設の郊外立地化、少子高齢化に伴う人口減少等により、当歓楽街のみならず市全体が衰退してきている[10]

地域交通 編集

JR北海道および道南いさりび鉄道による鉄道、函館市企業局交通部(旧・函館市交通局)による軌道事業「函館市電」、函館バス、北海道バスによる路線バスが運行されている。かつては函館市企業局交通部(旧・函館市交通局)による路線バス事業「函館市営バス」が運行されていたが函館バスに移管された。

2008年(平成20年)に実施した20歳以上対象の市民アンケートによると、街に来る際に使われる交通手段は自家用車が61.5%と大半を占め、バス18.9%、市電が8.8%である[11]

JR北海道 編集

道南いさりび鉄道 編集

函館市電 編集

 
函館駅前交差点を走る函館市電

前身の馬車鉄道亀函馬車鉄道が1898年(明治31年)1月9日に十字街 - 鶴岡町(後の函館駅前) - 東川町間を開業させたことがこの地域での最初の営業である。8月19日に函館鉄道(函館 - 湯川間未開業)と合併し函館馬車鉄道に改称。9月29日には鶴岡町 - 海岸町間が開業。

1911年(明治44年)10月1日に電力会社函館水電が函館馬車鉄道を買収し、1913年(大正2年)6月29日に東雲町(後の労働会館前) - 湯川間が電化した(北海道初の路面電車)。10月31日には十字街 - 函館駅前 - 海岸町、函館駅前 - 大門前(現在の松風町)間が電化。

1934年(昭和9年)8月1日に帝国電力に改称、1940年(昭和15年)8月6日に帝国電力が大日本電力に合併した。1943年(昭和18年) 1月14日に大日本電力が函館の路面電車事業を道南電気軌道に譲渡し[12]、さらに1943年(昭和18年)11月1日、函館市に譲渡、函館市役所交通局が発足し、函館市営化した。同年12月22日に函館市交通部に改称。1950年(昭和25年)8月31日、集電装置をポール方式から定圧ビューゲル方式へ換装した[13]

1952年(昭和27年)10月1日に公営企業としての函館市交通局が発足。1992年(平成4年)4月1日、東雲線(宝来町 - 松風町間)と1993年(平成5年)4月1日 - 本線の一部(函館駅前 - ガス会社前間)・宮前線(ガス会社前 - 五稜郭公園前間)が廃止された[14]。2011年(平成23年)4月1日に函館市水道局と統合し函館市企業局交通部となる。

1990年代には函館駅前土地区画整理事業の整備の指針となった顔づくり計画の策定時に、駅前広場へのスイッチバック方式による乗り入れを検討したが、路線延長のための事業費、幹線道路における通行の流れ、交差点の信号処理の問題で見送っている[15]

停留所 編集

当地区には函館駅前停留所と松風町停留所の2か所設けられている。

函館市営バス 編集

 
函館市営バス(1994年撮影)
注意:撮影地は大門ではない

前身の運送業である高木荘治(弁天町)が1928年(昭和3年)1月25日が、函館駅前 - 中の橋 - 開発(現・五稜郭)間の路線バス運行を開始したのが始まりである。1930年(昭和5年)3月、函館水電に譲渡し、函館乗合自動車合資会社(函館バスの前身、函館乗合自動車株式会社とは別会社)が設立される。1938年(昭和13年)7月帝国電力。1940年(昭和15年)6月には旭自動車株式会社を吸収し、1940年(昭和15年)7月大日本電力を経て、1942年(昭和17年)10月道南電気、同年11月社名変更して道南電気軌道に渡る。1943年(昭和18年)10月函館市へ譲渡されたバス事業である[16][17]

戦後1956年(昭和31年)、函館市交通局(現・函館市企業局交通部)が高砂町にバスセンターを開設、日本中央競馬会函館競馬場北駐車場にあった従来の深堀町バス車庫と連携しながら函館駅を中心とした路線網を構築するが、バスセンター自体は1971年(昭和46年)3月4日に売却[18]。そのまま運行を続けていたものの、2003年(平成15年)4月までにすべての系統を函館バスに移管。バス事業を廃止し、撤退した[19]。 完全移管直前まで当地に設けられた拠点は駅前出張所で、最後に残った6番系統を担当、跡地は駐車場となった[20]

函館バス 編集

 
函館バス
路線バス車両一例 (T4211)

函館バスの前身、臨港バスが1938年(昭和13年)1月に上磯からの路線を函館駅前に延伸乗り入れをした[21]

北海道バス 編集

文化 編集

音楽 編集

  • 瀬川瑛子の父で歌手の瀬川伸の「函館ステップ」では歌詞の中に当繁華街「大門」が出てくる[22]
  • 1965年(昭和40年)11月10日、当歓楽街のある松風町が歌詞に含まれる『函館の女』(作詞・星野哲郎)が北島三郎の歌唱によって発売され、140万枚の売り上げを記録した[23]

年表 編集

前史 編集

  • 1858年(安政5年) - 地蔵町にあった桝形(旅人改所)が廃止され、国道5号(亀田道)沿いに市街地化が進む[24]
  • 1868年(慶応4年/明治元年)12月4日 - 函館戦争開始
  • 1869年(明治2年)6月27日 - 函館戦争終結

はじまり 編集

  • 1898年明治31年)1月9日 - 亀函馬車鉄道(後の函館馬車鉄道)の鶴岡町停留場(現在の函館駅前停留場)開業
  • 1904年(明治37年)7月1日 - 北海道鉄道 (初代)函館駅(2代目)開業[25]
  • 1908年(明治41年) - 明治40年函館大火により蓬莱町より遊郭が移転し大森遊廓形成[26]
  • 1910年(明治43年) - 若松埠頭青函連絡船桟橋(T字型桟橋)完成
  • 1913年大正2年)10月31日 - 函館水電大門通線(現・大森線)の単線開通。大門前駅(現・松風町停留場)開業[27][28]
  • 1914年(大正3年)5月10日 - 函館水電大門通線(現・大森線)複線化[27]
  • 1915年(大正4年) - 活動写真常設館の音羽館開館
  • 1918年(大正7年)
    • 日時不明 - 旭自動車、松風町18番地 - 湯川村川尻間の路線バス運行を開始[28]
    • 11月1日 - 旭自動車、函館駅前(若松町117番地)へ変更。初の函館駅乗り入れ[28]
  • 1921年(大正10年)以降 - 大正10年函館大火以降、十字街から松風町停留所付近に繁華街の中心を持ってこようと東部協会が生まれる[26]
  • 1923年(大正12年) - 松風町商盛会が生まれる[26]
  • 1930年昭和5年)3月 - 高木荘治(運送業)の路線バスの運営者が函館水電系の函館乗合自動車合資会社になる[28](のちの道南電気軌道、函館市交通局の「函館市営バス」、現・函館バスの一部路線)
  • 1932年(昭和7年)
    • 月日不明 - 大門座(函館東宝の前身)が開館
    • 12月1日 - 旭自動車、路線バス、函館駅前 - 湯川に変更[28]
  • 1928年昭和3年)1月25日 - 高木荘治(運送業)、函館駅前 - 中の橋 - 開発(現・五稜郭)間の路線バス運行を開始[28]
  • 1934年(昭和9年)3月21日 - 昭和9年函館大火で被災
  • 1937年(昭和12年)10月1日 - 棒二森屋開店
  • 1938年(昭和13年)1月 - 臨港バス(函館バスの前身の一つ)が上磯からのバス路線を延伸し、函館駅前に乗り入れ
  • 1943年(昭和18年)10月 - 道南電気軌道、函館市に事業譲渡[28]
  • 1944年(昭和19年)6月1日 - 函館乗合自動車株式会社(現・函館バス)設立
  • 1945年(昭和20年)7月14日、15日 - 函館空襲[29]

第二次世界大戦後 編集

  • 1955年(昭和30年)1月25日 - 日活映画の封切館、函館日活劇場(初代)が開館
  • 1956年(昭和31年)
    • 月日不明 - 函館市交通局(現・函館市企業局交通部)、高砂町にバスセンターを開設。函館駅中心の運行を確立
    • 月日不明 - 近代テアトル(映画館)開館[30]
  • 1957年(昭和32年)3月19日 - 函館日活劇場が須貝興行に譲渡されて函館映画劇場になる(日活映画封切館は大門シネマが引き受ける) 
  • 1958年(昭和33年)4月 - 大森遊廓廃止
  • 1959年(昭和34年)
    • 月日不明 - 彩華デパート開店
    • 月日不明 - 大門シネマ、函館日活劇場(二代)に改称[31]
  • 1961年(昭和36年)10月1日 - 函館駅、北海道初の特急列車おおぞら号」運行開始
  • 1965年(昭和40年)7月1日 - 現在の若松町成立[32]
  • 1968年(昭和43年)- 和光デパート開店
  • 1970年(昭和45年)4月 - 函館駅前バスターミナル開設
  • 1971年(昭和46年)3月4日 - 函館市交通局(現・函館市企業局交通部)、バスセンター売却。引き続き運行
  • 1972年(昭和47年)11月28日 - 東宝大門座(旧大門座)が改築され、函館東宝劇場、函館スカラ座の2館体制になる
  • 1977年(昭和52年)から1978年(昭和53年)にかけてアーケードを設置
  • 1980年(昭和55年)10月 - 千歳空港駅(現・南千歳駅)開業により札幌中心のダイヤに変更されたことに伴い、北の玄関口の前の繁華街としての役目がほぼ終わる
  • 1984年(昭和59年)12月8日 - 函館映画劇場が改装され函館映劇とグランドシネマの2館体制に移行
  • 1988年(昭和63年)3月13日 - 青函トンネル開通に伴い、青函連絡船特急おおとり号の廃止により北の玄関口の前の繁華街としての役目が完全に終了する

青函連絡船廃止後 編集

  • 1992年平成4年)
    • 4月1日 - 函館市交通局(現・函館市企業局交通部)東雲線、宝来町 - 松風町間廃止[33]
    • 月日不明 - 函館東宝劇場、函館スカラ座が改装され函館東宝に統一、函館東宝1・2・3の3スクリーン化
  • 1993年(平成5年)
    • 4月1日 - 函館市交通局(現・函館市企業局交通部)本線の一部、函館駅前 - ガス会社前間廃止[33]
    • 4月21日 - 高速はこだて号の前身の一つ、北海道中央バス道南バスによる「オーシャンドリーム」運行開始。函館駅前バスターミナル発着[34]
    • 11月 - 巴座が閉館
  • 1998年(平成10年)
    • 月日不明 - 彩華デパート閉店
    • 月日不明 - 近代テアトルが移転、テアトルシアターに改称[30]

平成再開発時代 編集

  • 1999年(平成11年)
  • 2000年(平成12年)11月1日 - はこだてティーエムオー業務開始[35]
  • 2001年(平成13年)
  • 2003年(平成15年)
    • 4月 - 函館市交通局(現・函館市企業局交通部)バス事業「市営バス」撤退
    • 6月21日 - 函館駅5代目駅舎(現駅舎)の使用開始[37]
  • 2004年(平成16年)
    • 3月21日 - 函館映劇閉館
    • 6月1日 - 函館駅前バスターミナル、新バスターミナル供用開始
    • 8月26日 - 函館駅前交差点、変則交差点を解消[38]
    • 月日不明 - 函館駅前停留場移転共用開始[38]
  • 2005年(平成17年)12月1日 - 棒二森屋、店名を「中合 棒二森屋店」に改称[39]
  • 2006年(平成18年)2月3日 - 函館東宝閉館
  • 2008年(平成20年)6月26日 - テアトルシアター閉館[30]
  • 2010年(平成22年)7月1日 - 大門キッズスタジアム(現・はこだてキッズプラザ)開設
  • 2012年(平成24年)- 第1回はこだてグルメサーカス開催[40]
  • 2013年(平成25年)10月31日 - 和光デパート閉店[41]
  • 2014年(平成26年)11月26日 - 函館市企業局交通部、全面改築した函館駅前停留場の供用開始[42]
  • 2015年(平成27年) - 駅前通りアーケードを撤去

新幹線時代 編集

  • 2016年(平成28年)
    • 3月26日 - 北海道新幹線新函館北斗駅開業に伴い、本州方面優等列車廃止
    • 7月29日 - キラリス函館オープン
    • 10月 - はこだてみらい館、はこだてキッズプラザ開館
    • 10月15日 - 函館市運営の高齢者交流施設ふらっとDaimonがオープン[43]
  • 2019年(平成31年)
    • 1月31日 - 棒二森屋(中合 棒二森屋店)が閉店[44]
    • 2月8日 - 函館駅前ビル(旧・棒二森屋B館)開業[45]
  • 2022年令和4年)1月30日 - 函館駅前ビル、ふらっとDaimon閉鎖[46][47]
  • 2023年(令和5年)3月10日 - みずほ銀行函館支店閉店[48]

主要施設等 編集

かつてあった施設 編集

イベント 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 路線価でひもとく街の歴史 第36回北海道函館市 鈴木文彦 ファイナンス2023年2月号 財務省
  2. ^ 『函館における見番の移り替わり』 山口精次 市立函館博物館研究紀要第29号 2019年
  3. ^ a b c 『函館・大門の「におい」を探して-』 NHK函館放送局 2023年3月15日9:42更新 2023年10月11日閲覧
  4. ^ 新編=函館町物語 p62
  5. ^ 新編=函館町物語 p66
  6. ^ 函館市史デジタル版 通説編第4巻 第7編 市民生活の諸相(コラム) 函館市 2013年5月27日閲覧
  7. ^ 函交労50年の歩み p59
  8. ^ 函館市史 通説4 p428-p431
  9. ^ アーケード撤去完了 大門の商店街見守り38年 函館新聞社 2015年9月5日10:13更新 2023年7月5日閲覧
  10. ^ a b c d e 平成29年度産業建設委員会行政監視報告書 高山市議会
  11. ^ 函館市中心市街地活性化基本計画 函館市 2013年
  12. ^ 函館の路面電車100年 p42-p43
  13. ^ 函交労50年の歩み p22
  14. ^ 鉄道旅行地図帳 p24-p25
  15. ^ 平成22年第4回12月定例会 - 12月09日-03号 - P.81 市長(西尾正範) 函館市議会 2011年3月1日閲覧
  16. ^ 函館市史 通説3 p566-p568
  17. ^ 函館市電のあゆみ 函館市 2022年4月19日更新 2023年8月6日閲覧
  18. ^ 函交労50年の歩み p33,p67
  19. ^ 「市営バスの民営化完了」2003/3/18/eHAKO函館地域ニュースアーカイブ :-)”. www.ehako.com. 2022年8月23日閲覧。
  20. ^ バスラマ・インターナショナル』No.77 pp.8-10
  21. ^ 北斗市歴史年表「乗合自動車・バス事業」 北斗市 2023年8月9日閲覧
  22. ^ 函館=その歴史・史跡・風土= p92-p93
  23. ^ 『読売新聞』1989年3月12日付東京朝刊、37頁
  24. ^ 日本歴史地名体系
  25. ^ 日本鉄道旅行地図帳 1号 北海道 p26
  26. ^ a b c 新編=函館物語 p63
  27. ^ a b 函館市史 通説編3 p564-p566
  28. ^ a b c d e f g 函館市史 通説編3 p566-p568
  29. ^ 函館市史 通説編3 p1284-p1286
  30. ^ a b c 「テアトル シネマ」26日で閉館』 函館新聞/e-HAKODATE 2008年6月24日14:41更新 2023年9月16日閲覧
  31. ^ 心に残る映画黄金期 あす映画の日…旧函館日活劇場支配人・田口さん 映写技師・潟端さん 函館新聞/eHAKO携帯版 2007年11月30日 2023年9月15日閲覧
  32. ^ 新編=函館町物語 p24-25
  33. ^ a b 鉄道旅行地図帳 pp.24-25
  34. ^ “オーシャンドリーム号が運行開始”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1993年5月6日)
  35. ^ a b TMOとは? 株式会社はこだてティーエムオー 2023年9月17日閲覧
  36. ^ a b c d e 『函館初のインターネットカフェ、エスイーシーの「Hot Web cafe」オープン!』 函館電子新聞 2001年7月26日更新 2023年9月17日閲覧 インターネットアーカイブ
  37. ^ 「鉄道記録帳2003年6月」『RAIL FAN』第50巻第9号 鉄道友の会 2003年9月1日 p19
  38. ^ a b "変則から十字路へ/函館駅前交差点の供用開始" e-Hakodate/函館新聞 2004年8月28日16:51更新 2024年1月20日閲覧
  39. ^ “ダイエーが百貨店事業の統合を正式決定、棒二森屋を当面存続へ”. 函館新聞 (函館新聞社). (2005年10月13日)
  40. ^ 函館最大級の食イベント「はこだてグルメサーカス」、3年ぶりに開催へ 函館経済新聞 2022年6月17日更新 2023年9月17日閲覧
  41. ^ 『和光ビル 45年の歴史に幕』 函館新聞社 2013年11月1日9:49配信 2023年7月4日閲覧
  42. ^ “函館駅前電停安全地帯の供用開始”. 函館市. 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月5日閲覧。
  43. ^ "居心地良い空間に 「ふらっとDaimon」オープン" e-Hakodate/函館新聞 2016年10月16日9:44更新 2024年1月22日閲覧
  44. ^ 函館の老舗デパートが閉店 イオン傘下の棒二森屋』西日本新聞 2019年1月31日19:03更新 2023年7月9日閲覧
  45. ^ ボーニアネックスが函館駅前ビルとしてオープン!  函館だいもん商店街 2019年2月7日更新 2024年1月22日閲覧
  46. ^ "ふらっとDaimon終了のお知らせ" 白ゆりグループ 2022年1月24日更新 2024年1月22日閲覧
  47. ^ "旧棒二森屋アネックス館の函館駅前ビル、2022年1月閉館" 函館市 2019年2月6日更新 2024年1月22日閲覧
  48. ^ "函館で135年、歴史に幕 みずほ銀行支店が閉店" 北海道新聞 2023年3月10日 22:47更新
  49. ^ "キッズスタジアム、来月からキラリスで再スタート" 函館新聞 2016年9月20日5時00分更新 2024年1月20日閲覧
  50. ^ 旧さいかデパート跡地を「マルハン」に賃貸』 函館新聞社 2003/5/10 12:08更新 2023年7月9日閲覧
  51. ^ 函館市史 通説編4 p428-431
  52. ^ "WAKOビル(2013/11解体)" e-Hakodate 2016年6月3日更新 2024年1月27日閲覧
  53. ^ 函館駅前ビル31日閉館 大門地区、書店ゼロに 「くまざわ」が完全閉店”. 北海道新聞 (2022年1月17日). 2022年1月17日閲覧。
  54. ^ 新編=函館町物語 p65
  55. ^ “企画・映画の私の物語 第3部「渡り鳥シリーズ」(5)野島邦夫さん”. 函館新聞 (函館新聞社). (2008年5月24日) 2023年7月9日閲覧。

参考文献 編集

  • 自治体史他
    • 函館市史 通説編2 函館市総務部函館市史編さん室編 函館市 1990年
    • 函館市史 通説編3 函館市総務部函館市史編さん室編 函館市 1997年
    • 函館市史 通説編4 函館市総務部函館市史編さん室編 函館市 2002年
    • 函交労50年の歩み 函館市交通局労働組合 1995年
  • 商業誌

関連項目 編集

外部リンク 編集