大関 増茂(おおぜき ますしげ)は、江戸時代前期の下野国黒羽藩の世嗣。通称は民部。

 
大関増茂
時代 江戸時代前期
生誕 寛文2年(1662年
死没 元禄元年10月22日1688年11月14日[1]
別名 民部(通称)[1]
下野黒羽藩世嗣
氏族 大関氏
父母 大関増栄
兄弟 増茂、右衛門、伊丹勝守正室、万治郎ら
増恒
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略歴 編集

下野国黒羽藩5代藩主・大関増栄の嫡男として誕生。

大関増栄の唯一の男子として黒羽藩嫡子となり、天和3年(1683年)に徳川綱吉御目見する。しかし、叙任はされなかった。元禄元年(1688年)、家督を相続することなく早世した。父・増栄も同年死去し、長男・増恒が藩主に就任した。

脚注 編集

  1. ^ a b 『寛政重修諸家譜』

出典 編集