大阪市電市岡車庫(おおさかしでん いちおかしゃこ)は、かつて大阪府大阪市港区市岡元町3丁目にあった大阪市電車庫

概要 編集

市岡車庫は、1903年明治36年)8月に大阪市電の第一期線として建設が開始された大阪市電築港線(花園橋西詰・築港桟橋間)の建設開始と同時に着工し、同年9月12日の築港線の開業と同時に、当時の大阪市西区市岡町(現在の大阪市港区市岡元町3丁目)に開設された。

大阪市電初の車庫として開設された市岡車庫は、木造二棟の粗末な造りで、単車でやっと10両が収容できるという小さな車庫であった。

建物は築港線に沿って建てられ、東西それぞれに入庫線と出庫線があった。この入庫線・出庫線と営業路線とのポイントでは度々脱線事故が発生しており、1906年(明治39年)10月には、東側の入庫線・出庫線と営業路線とのポイントで車庫の扉に6号車両が衝突し、門扉を破損したという記録が残っている。

このように小さく、設備も十分とはいえない市岡車庫であったが、市電開業当初の1号車両から10号車両まで、10両の車両の組立も行われた。

1908年(明治41年)8月1日、大阪市電の第二期線として大阪市電東西線(九条中通一丁目・末吉橋間)、大阪市電南北線(大阪駅前・恵美須町間、渡辺橋・大阪駅前間)が開業したのに伴い、同日に廃止された。跡地は現在、市岡元町公園になっている。

関連項目 編集