大阪府立市岡高等学校
大阪府立市岡高等学校(おおさかふりつ いちおか こうとうがっこう、英: Osaka Prefectural Ichioka High School)は、大阪市港区にある公立の単位制高校。かつて併置されていた定時制課程は、日本で初めての普通科夜間中学校として創立した。
大阪府立市岡高等学校 | |
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過去の名称 |
大阪府第七中学校 大阪府市岡中学校 大阪府立市岡中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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併合学校 |
大阪府立市岡第二中学校 (大阪府立夜間中学校 大阪府立市岡夜間中学) |
校訓 | 自彊・自主自律 |
設立年月日 | 1901年(明治34年) |
創立記念日 | 6月12日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 高等学校#全日制の課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 27130G |
所在地 | 〒552-0002 |
![]() 北緯34度40分2.9秒 東経135度27分58.6秒 / 北緯34.667472度 東経135.466278度座標: 北緯34度40分2.9秒 東経135度27分58.6秒 / 北緯34.667472度 東経135.466278度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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概要編集
前身は1901年(明治34年)開校の府立7番目の旧制中学校「大阪府第七中学校」(男子校)。
創立時、大阪市西区の「片田舎」の西瓜畑[1]で、木造の2階建て校舎がポツンと建っていたため「田舎の学校」と言われていた。「片田舎の、名もない"市岡"だったが"自彊"の精神を支柱として、特に旧制中学20~30期において」人材を輩出[2]。1916年(大正5年)の第2回全国中等学校優勝野球大会(現在の高校野球)で準優勝するまでになった。
大阪湾岸エリアで海抜ゼロメートル地帯にある校地は海抜マイナス約1m。1934年(昭和8年)の室戸台風と1945年(昭和20年)の枕崎台風の2度、校舎が浸水する被害を受けている[3]。
太平洋戦争後の1948年(昭和23年)学制改革により「大阪府立市岡高等学校」(普通科)に改編され、大阪府立港高等学校(市岡高等女学校)と交流して男女共学となった。
2020年(令和2年)8月、教員が新型コロナウイルス感染症に感染し、23日から25日まで臨時休校。生徒との接触など調べられている[4][5]。
学生運動「日本初」占拠、凋落編集
1960年代のベトナム戦争や学生運動の影響を受けて、1968年9月2日、ヘルメット姿の生徒たちが校長室を占拠した。校務分掌をめぐる校長による任命制を「校長権限強化だ」と反対したものだが、大阪府立大手前高等学校の生徒と共謀、日本で最初の高校生による学校占拠となり、この事件を機に市岡高校が日本の高校紛争の拠点となった[6]。
翌1969年には反戦高協(反戦高校生協議会)を称する生徒たちが高校の裏門にバリケードを築くなど、1970年まで「市岡学園紛争」が続いた結果、「市岡高校の地盤沈下が始まり」[2]、大学進学や偏差値の面で「他学区[7]の4,5番手校に匹敵」する状況まで落ち込んだ[8]。
長い凋落の末、1999年(平成11年)の大阪府教育委員会「教育改革プログラム」に基づく府立高等学校特色づくり・再編整備計画の対象校となり、2009年度、学年制から単位制に改編された。再編整備の結果、低迷に歯止めが掛かったように見えたが、2016年度の入学者選抜(入試)では募集定員を31名も下回る志願者数。勧誘のため校長自ら各中学校に奔走したが最終的に5名の「定員割れ」となり、翌2017年の入試も一次集計では定員の82%しか志願者がおらず、人気のない状態が続いている[9][10][11]。
「日本初」普通科定時制の伝統編集
全日制課程と併置の定時制課程は、前身が1933年普通課程の夜間中学校として日本で初めて開設された大阪府立夜間中学校(大阪府立市岡夜間中学、のちに大阪府立市岡第二中学校)。定時制は1998年(平成10年)に廃止されたが、定時制廃止反対運動を契機として、廃止後も「夜に学ぶ場」を何らかの形で残したいと、定時制同窓会「田龍会」が中心となり「市岡日本語教室」を発足した[12]。
その後、1996年7月に運営団体「市岡国際教育協会」を設立。1998年4月、NPO法人として認可され、在日外国人向けに日本語学校を開いている[12]。
沿革編集
年表編集
- 1901年(明治34年) - 3月、大阪市西区市岡町に「大阪府第七中学校」設置(1900年9月5日の文部省告示第194号で認可[13]。現在地)。4月1日、「大阪府市岡中学校」に改称される。4月10日、始業式。4月22日、授業を開始。6月3日、「大阪府立市岡中学校」に再改称。6月12日、開校式(この日を創立記念日とする[3])
- 1906年 - 硬式野球部が創部
- 1916年(大正4年) - 硬式野球部が第2回全国中等学校優勝野球大会にて準優勝
- 1933年(昭和8年) - 2月14日、日本最初の普通科夜間中学として「大阪府立夜間中学」開設認可。5月5日、開校式([14]のちに大阪府立市岡夜間中学に改称)
- 1934年 - 9月21日、室戸台風のため校舎0.8m浸水[14]
- 1943年 - 3月31日、大阪府立市岡夜間中学が廃校(文部省告示第465号、認可4月1日[15][16])。4月、中等学校令により、「大阪府立市岡第二中学校」開校(文部省告示第464号、認可4月20日[17][18])
- 1945年 - 9月21日、枕崎台風のため校舎が浸水。10月16日から府立今宮中学校(現大阪府立今宮高等学校)の校舎を借りてを行っている(同年11月6日まで[14]
- 1948年 - 太平洋戦争後の学制改革により、4月1日「大阪府立市岡高等学校」に改編。大阪府立港高等学校(市岡高等女学校)・大阪市立西華高等学校(西華高等女学校)と生徒・職員を交流して男女共学を実施
- 1950年 - 大阪府立市岡夜間中学校が併合され、市岡高校の定時制課程となる
- 1968年 - 9月2日、校務分掌をめぐり、校長による任命制に反対した生徒たちが、校長室を占拠。日本で最初の高校生による学校占拠事件で、市岡高校が東京都立九段高等学校とともに高校紛争の拠点となる
- 1969年 - 反戦高協を称する生徒たちが、裏門にバリケードを築く。翌1970年まで「市岡学園紛争」が続く[14]
- 1972年 - 制服自由化を実施
- 1987年 - 第59回選抜高等学校野球大会に出場
- 1995年(平成7年) - 第67回選抜高等学校野球大会に出場
- 1998年 - 定時制課程を廃止
- 2001年 - 創立100周年記念式典を挙行
- 2009年 - 単位制高校へ改編
基礎データ編集
交通アクセス編集
鉄道編集
- JR西日本(大阪環状線)・Osaka Metro(地下鉄)(中央線) 弁天町駅より南東へ約400m(徒歩で約5分)
バス編集
- 大阪シティバス 「市岡元町」バス停より東へ約200m(徒歩で約2分)
象徴編集
校章編集
校章は旧制中学校の「中」を表す六稜に「市岡」を図案化したもので、左右に付した三本線は「(大阪)市内第三中学[19]」を表しており、硬式野球部の帽子でよく知られている。
なお、1910年(明治43年)までは帽子白線は二本線だった[3]。
ちなみに第五(尋常)中学校として創立の天王寺高校の校章は、旧制中学の「中」を表す六稜に「天」図案化したもので、左右に付した二本線は「(大阪)市内第二中学[20]」を表している。また11番目の中学校として創立の今宮高校の校章は、旧制中学の「中」を表す六稜に「今」を図案化したもので、左右に付した四本線は「(大阪)市内第四中学[21]」を表している。
校風・制服編集
比較的自由な校風で制服はなく(着用自由の標準服あり)、服装は生徒各自に任されている。しかし硬式野球部員のみ制服・制帽を着用する習慣が残っている(引退すれば私服も可)。
学校施設編集
校舎編集
学校行事編集
- 体育祭(6月) - 各学年1クラスずつ縦割りチームに分かれ、応援合戦や様々な競技
- 古典芸能鑑賞(6月) - 学年ごとに歌舞伎、文楽、能・狂言を鑑賞する。2015年の場合、3年生が大槻能楽堂で狂言(萩大名)と能(羽衣)を鑑賞
- 音楽鑑賞(9月) - ザ・シンフォニーホールにて、大阪フィルハーモニー交響楽団によるクラシック音楽を鑑賞
- 文化祭(9月)
- 修学旅行(10月、2年) - 最近の行き先は、北海道や沖縄、外国ではグアムなど
- 合唱大会(1月、1・2年) - 1954年(昭和29年)から続く伝統行事。大阪市中央公会堂や森ノ宮ピロティホールで開催
諸活動編集
部活動編集
部活動は盛ん。最近では陸上部・男子バレーボール部等が近畿大会に、文化部では吹奏楽部が全日本吹奏楽コンクール大阪府大会14年連続で金賞、関西大会の10度出場で金賞4度となっている[要出典]。
- 硬式野球部 - 三本線の入った帽子で知られ、春夏で21回(春11回・夏10回)甲子園に出場。予選も1915年(大正4年)の夏の第1回大会から欠かさず出場し、1916年(大正5年)の第2回大会で準優勝[3]。私立の台頭が著しくなった近年も1987年(昭和62年)の第59回センバツ、1995年(平成7年)の第67回センバツに選ばれている。
- 軟式野球部 - 1986年の第31回全国高等学校軟式野球選手権大会に出場し、同年の秋季近畿地区大阪大会で優勝。2009年(平成21年)秋季近畿地区大阪大会ベスト4。
- サッカー部 - 全国高等学校サッカー選手権大会に出場6回(最高成績はベスト4)。
高校関係者と組織編集
高校関係者組織編集
- 大阪府立市岡高等学校同窓会 - 同窓会。固有の団体名は無し
著名な出身者編集
政治・行政編集
- 奥宮正武 - 戦史家。大本営海軍参謀、元航空自衛隊空将(旧中22期)
- 影佐禎昭 - 大日本帝国陸軍中将(旧中5期)
- 左近正男 - 元日本社会党の衆議院議員(高校7期)[要出典]
- 中井光次 - 元大阪市長。元内務省(旧中6期)
- 福間知之 - 元日本社会党の参議院議員(旧中38期)
経済編集
- 大坪文雄 - パナソニック特別顧問(高校16期)
- 手塚昌利 - 元阪神電鉄社長、元阪神タイガースオーナー(旧中43期)
- 能村龍太郎 - 元太陽工業社長(旧中35期)
- 広岡知男 - 元朝日新聞社社長、東京六大学野球・東大選手・首位打者、野球殿堂(旧中20期)
- 松原治 - 元紀伊國屋書店社長(旧中31期)
- 山元賢治 - 元アップルジャパン社長(高校30期)
学問編集
- 石濱純太郎 - 関西大学名誉教授(東洋史学。旧中1期)
- 岡芳包 - 元徳島大学学長(細胞生理学・体力医学(旧中26期)
- 岡田實 - 大阪大学第8代総長(工学。旧中19期)
- 亀崎直樹 - 岡山理科大学教授、元神戸市立須磨海浜水族園園長、元日本ウミガメ協議会会長(高校27期)
- 角山栄 - 和歌山大学名誉教授・元学長、元堺市博物館館長(経済史学・歴史学。旧中34期)
- 田宮猛雄 - 東京大学名誉教授、元日本医師会会長、国立がんセンター初代総長(旧中1期)
- 津田正太郎 - 法政大学教授(社会学、高校44期)
- 冨田憲二 - 京都大学基礎物理学研究所名誉教授(宇宙物理学、高校8期)
- 三浦宏文 - 元工学院大学学長、東京大学名誉教授(ロボット工学、高校8期)
- 宮本又次 - 大阪大学名誉教授(民俗学・経済史学、文化功労者、旧中19期)
文化・芸能編集
- 安藤豊 - RKB毎日放送アナウンサー(高校17期)
- 石田英司 - MBS毎日放送制作局エグゼクティブ、高校30期)
- 稲見一良 - 作家(旧中43期)
- 岩本多代 - 女優(高校10期)
- 植田佳奈 - 声優(高校51期)
- カネシゲタカシ - 漫画家、元芸人(高校46期)
- 小出楢重 - 画家(旧中2期)
- ジェームス三木 - 脚本家、高校6期)
- 柴崎友香 - 作家(芥川賞。高校44期)
- 田中涼子 - タレント(高校55期)
- 谷甲州 - 作家(高校21期)
- 直木三十五 - 作家(旧中5期)
- 中川三郎 - 洋舞家、日本タップダンス界の祖(旧中28期)
- 信時潔 - 作曲家(旧中1期)
- 三好達治 - 詩人(旧中13期)
- 山内久司 - ABC朝日放送顧問、花園大学客員教授(高校2期)
スポーツ編集
- 青木一三 - 元関大野球部選手・マネージャー、元阪神タイガース等のスカウト(旧中42期)
- 阿部良之 - 自転車ロードレース選手、シドニーオリンピック出場(高校40期)
- 今西壽雄 - 登山家、元日本山岳会会長、マナスル世界初登頂(旧中27期)
- 岩村吉博 - 元大阪タイガース選手(高校3期)
- 蔭山和夫 - 元南海ホークス選手・監督、元早大主将(旧中39期)
- 笠原和夫(元高橋ユニオンズ選手・監督、元早大主将、最後の早慶戦出場(旧中34期)
- 川本泰三 - 元サッカー日本代表監督、日本サッカー殿堂(旧中26期)
- 佐伯達夫 - 元日本高等学校野球連盟会長、東京六大学野球・元早大選手、野球殿堂(旧中8期)
- 島野りーみん - プロボクサー。元女子競輪選手(高校53期)
- 伊達正男 - 元阪急ブレーブスコーチ、元早大投手、野球殿堂(旧中23期)
- 田中勝雄 - 元早大野球部監督、野球殿堂(旧中12期)
- 中西勝己 - 元毎日オリオンズ選手(高校6期)
- 南秀憲 - 元阪神タイガース選手(高校31期)
- 南村侑広 - 元読売ジャイアンツ選手・コーチ、元早大選手(旧中31期)
- 森田忠勇 - 元関大野球部監督、元大阪タイガース二軍監督(旧中19期)
その他編集
脚注編集
- ^ 市岡高校のある市岡元町は、1925年(大正14年) に西区から分離され、新設された港区の所属となった。
- ^ a b “会長挨拶 澪標について 大阪府立市岡高等学校同窓会-澪標ホームページ-” (日本語). 大阪府立市岡高等学校同窓会. 2020年10月10日閲覧。
- ^ a b c d “自彊百年史 (1901年~1926年) 大阪府立市岡高等学校同窓会-澪標ホームページ-” (日本語). 大阪府立市岡高等学校同窓会. 2020年10月10日閲覧。
- ^ “大阪で新たに134人感染 80代女性が死亡” (日本語). 関西テレビ放送. (2020年8月23日) 2020年10月10日閲覧。
- ^ 新型コロナウイルス感染症に伴う非常事態宣言発令による休校期間を補うため、夏休みが短縮されていた。
- ^ 小林哲夫著『高校紛争 1969-1970 「闘争」の歴史と証言』(中公新書、2012年)
- ^ 大阪府では2014年まで学区制度があった。
- ^ “「市岡」は遂に消えるか!” (日本語). 市岡高校28期生同窓会サイト. 2020年10月10日閲覧。
- ^ “平成27年度終業式” (日本語). 大阪府立市岡高等学校ブログ (2016年3月22日). 2020年10月10日閲覧。
- ^ “同期会 ページ 22 大阪府立市岡高等学校同窓会-澪標ホームページ-” (日本語). 大阪府立市岡高等学校同窓会. 2020年10月10日閲覧。
- ^ “「12期の広場」3月号のラインアップ 大阪府立市岡高等学校同窓会-澪標ホームページ-” (日本語). 大阪府立市岡高等学校同窓会. 2020年10月10日閲覧。
- ^ a b “協会について” (日本語). 市岡国際教育協会. 2020年10月10日閲覧。
- ^ 官報明治33年(1900年)9月5日第5151号。大阪府第一高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)、大阪府第八中学校(現・大阪府立富田林高等学校とともに認可。
- ^ a b c d e “自彊百年史 (1926年~1950年) 大阪府立市岡高等学校同窓会-澪標ホームページ-” (日本語). 大阪府立市岡高等学校同窓会. 2020年10月10日閲覧。
- ^ 官報昭和18年(1943年)4月20日 第4879号
- ^ 市岡夜間中学とともに、高津夜間中学、北野夜間中学も廃校となった。
- ^ 官報昭和18年(1943年)4月20日 第4879号
- ^ 市岡第二中学校とともに、高津第二中学校、北野第二中学校、今宮第二中学校も開校。
- ^ 大阪市内に限れば3番目の創立
- ^ 大阪市内に限れば2番目の創立
- ^ 大阪市内に限れば4番目の創立