大阪府立生野高等学校
大阪府立生野高等学校(おおさかふりつ いくの こうとうがっこう、英: Osaka Prefectural Ikuno High School)は、大阪府松原市で初の公立の高等学校。前身は大正末期1920年、大阪市生野区に新設された府立13番目の中学校(修業5年間の旧制中学校〈男子校〉[1])。
大阪府立生野高等学校 | |
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![]() (2019年〈令和2年〉11月撮影) | |
過去の名称 |
大阪府立第十二中学校 大阪府立生野中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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校訓 |
五綱領 (剛健・質実・自重・自治・至誠) |
設立年月日 | 1920年(大正9年)4月2日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 文理学科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 27163C |
所在地 | 〒580-0015 |
![]() 北緯34度34分20.1秒 東経135度33分12.9秒 / 北緯34.572250度 東経135.553583度座標: 北緯34度34分20.1秒 東経135度33分12.9秒 / 北緯34.572250度 東経135.553583度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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概要編集
大正期、中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が新設した旧制中学校5校のひとつ。東成郡生野村(現・大阪市生野区)に設置された(文部省告示第197号1920年4月2日付で、設置と4月開校を認可[2])。
太平洋戦争後の1948年(昭和23年)学制改革により、新制の高校の大阪府立生野高等学校に改編され、大阪府立勝山高等学校(旧制の府立生野高等女学校)と生徒を交流(入れ替え)して男女共学が実施された。
1969年に大阪市外へ移転した(松原市の現在地。移転の経緯は、下記「沿革」の項を参照)。
普通科の高校だったが、大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校になり改編。2011年(平成23年)度より文理学科が併置された(普通科は2020年〈令和2年〉3月末で廃止)。
なお、2010年度より10年間、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されていた[3]。
2020年(令和2年)に100周年の式典を開く予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響で祝賀会は延期となり、式典も学校と大阪府立国際会議場と2会場での分散に変更された[4]。
建学の精神編集
学校の基礎を築いたのは、創立時の校長事務取扱三沢糾(旧制の府立高津中学校長)が招聘した初代校長の池田多助である。池田は「大阪に魂の道場を作る」と宣言、「精神教育・教養教育・運動教育」を3本柱に掲げた。建学の精神、校訓、校章、校歌は創立時から変わりなく受け継がれている。
建学の精神を示す「サンタマリア丸」の絵と「至誠通神」の書は体育館の舞台左右の壁にかけられ、困難に立ち向かう「開拓者精神」と「まごころ」の重要性をそれぞれ説いている。
沿革編集
(年表節の主要な出典は公式サイト[5])
当初、大阪市内に建設される予定だったが予算面から用地確保が困難となり、二転三転の末、郊外の東成郡生野村大字林寺(現・大阪市生野区生野東4丁目、大阪府営南生野住宅付近)に校地を定めた。
学校周辺は開校当初こそ校歌にも唄われたような「生駒、金剛、遥(はる)に見」える田園風景だったが、1925年に大阪市東成区(当時)に編入されると瞬く間に中小企業の密集地帯となり、1943年(昭和18年)の生野区新設の頃に人口が20万人を超えた。
喧騒音がひどくなり、プールに不審者が侵入するなどの事件も起きたことから1965年、府教委は校舎新築を兼ねた郊外移転の検討を開始し、羽曳野市などの近鉄沿線で校地を探し始める。翌1966年には松原市議会が「府立高校誘致促進特別委員会」を設置し、誘致へ動き出した。当時、松原市内に公立の高校が存在せず、一方で(当時の学区)第四学区の高校進学率自体が他学区に比べ6ポイントほど低かった(府内平均は35%)ため、「松原市内の中学生の進路保障」を掲げて市民が熱心に運動を展開。生野高校OBで当時大阪府議会議員の中山太郎らも同窓会を説得し、“生野の名前を残す”条件で移転が決まった。
年表編集
- 1920年(大正9年) - 4月6日、「大阪府立第十二中学校」として[2]東区の大阪府立高津中学校(現大阪府立高津高等学校)内で開校(生徒定員1,000名)。7月31日、校舎建設敷地として東成郡生野村に校地を買収
- 1921年 - 「大阪府立生野中学校」と改称(文部省告示第73号1921年2月28日付で改称を認可[6])。生野村大字林寺に校舎が完成
- 1948年(昭和23年) - 学制改革に伴い新制の高校の「大阪府立生野高等学校」に改編。大阪府立勝山高等学校(大阪府立生野高等女学校)と職員・生徒の交流を行い男女共学を実施
- 1956年 - 勝山高校との間で、クラブ活動の定期戦が始まる
- 1966年 - 学校移転地として大阪府松原市新堂町に校地を買収
- 1969年 - 第1期工事竣工。生野区の旧校舎にて離校式を挙行、松原市の新校舎に移転
- 1973年 - 松原市移転に伴い、勝山高校との定期戦を終了(通算成績8勝9敗1分)
- 2003年(平成15年) - 大阪府教育委員会のエル・ハイスクールに指定(2007年3月まで)
- 2010年 - スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定(2015年度までの5年間[3])
- 2011年 - 文理学科を併置
- 2015年 - 2期目のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定(2019年度までの5年間)
- 2018年 - 新入生から全クラス文理学科となる
- 2020年(令和2年) - 3月末、普通科を廃止(全て文理学科に)。10月、100周年事業は新型コロナウイルス感染症の影響で、式典のみ分散で開催(祝賀会は2021年に開く予定[4])
基礎データ編集
交通アクセス編集
- 鉄道
象徴編集
百花に先駆け厳冬に香り高く咲く「白梅」がシンボル。学校の花として採用され、卒業生が進学先や就職先で作る親睦会に「白梅会」の名を冠することも多い。
- 生活指導
細かく生活指導(ルールや時間を守らせる、制服を正しく着る、染色・脱色・パーマの禁止、ピアスなどの装飾品・化粧の禁止、挨拶や身だしなみ指導、遅刻の度重なる生徒に早朝登校指導)を行っている。遅刻や制服指導は厳しいが、染色や化粧等の指導は緩い。
- 校章
校章は、大阪府立高津中学校(旧制中学校、現・大阪府立高津高等学校)の山桜を入れた校章にならい、旧制中学の「中」を表す六稜に「白梅」の図柄をあしらっている。
高津が山桜をあしらう以前の旧制中学では、第五(尋常)中学校として創立の大阪府立天王寺高等学校の校章は「中」を表す六稜に「天」の文字で、左右に付した二本線は「(大阪)市内第二中学[7]」を表現。第七中学の市岡高校の校章は「中」を表す六稜に「市岡」を図案化し、左右の三本線は「(大阪)市内第三中学[8]」を表現するなど、六稜に校名の頭文字や設立番号を入れる例が多かった。なお、生野の制帽の2本の白線は「文武両道」を表している。
- 校歌
校歌「登高賦」は、前身の第十二中学校にちなみ、12番まで歌詞がある。メロディーは旧制一高の寮歌の一つから一部借用し、古色蒼然としており、作詞は初代校長の池田多助。現在は1番、11番、12番を抜粋して歌い、「古き浪華の夢ならぬ 吾等の歴史いざ書かむ」というフレーズで終わる。
校歌と並んで、応援歌が存在する。作詞者の奥村林蔵は平成初期ごろまでの生野高校エスペラント部の顧問(現在は廃部。eo:Okumura Rinzo(エスペラント版)も参照)。
- 校訓
校訓の「五綱領(剛健・質実・自重・自治・至誠)」は兵庫県立神戸一中、県立神戸二中の「四綱領(質素剛健、自重自治)」をモデル。正門脇に五綱領を刻んだ大きな石碑がある。
- 制服
制服はコシノヒロコのデザインのブレザー。男子は白色ボタンダウンシャツにネクタイ、チェックのスラックスとベスト(任意)。女子は白ブラウスにリボン、チェックのスカートとベスト。
授業編集
授業は70分間5時限を基本。早朝や放課後、土曜、夏休みなどに希望者講習を実施。
教育方針編集
- 五綱領(剛健・質実・自重・自治・至誠)に基づく「人間教育」[要出典]
- 剛健とは物事に動じない強くたくましい意志を持つこと、質実とは飾らない素直な心を持つこと、自重とは行動に品位を失わないこと、自治とは自己の信念に基づいて行動し、その行動に責任を持つこと、そして、至誠とはそれらを貫いて持つべき誠実な心と態度を表す。人としての基本的な資質の育成が教育の根本。
- 学習・行事・部活動が3本柱、「文武両道」の実践
- 勉学・学校行事・部活動を高校生活の3本柱とし、豊かな感性を持った、個性輝く人間を育成する。
- 勉学は自然と社会の基本的な仕組みを理解するとともに、知性の広がりと深まりを求め、しなやかな思考力、確かな判断力、ユニークな創造カ、豊かな表現力を高める。
- 部活動は物事を成し遂げる意志の養成と深い友情を学ぶ場。
- また、学校行事は皆で協力して一つのことを成し遂げる場であり、互いの個性を知り、尊重しあうことを学ぶとともに、自己実現を図る場。
- これら高校生活の3本柱に積極的に取り組むことで、人としての感性を磨き、個性を伸ばす。
- 国際人として社会の様々な分野で活躍するリーダーとなる人材の育成、幅広い教養を身につけるとともに、自ら意欲的に学ぼうとする姿勢の育成
- 社会の様々な分野でリーダーとして活躍し、国際人として尊重され、尊敬されるにふさわしい、幅広い教養と豊かな人間性を涵養し、品格を高めることをめざす。
- 意欲的に学ぶ姿勢を身につけることで、生涯を通して学び続けていく基礎を得、生きていく中での大きな課題を解決できる人間へと成長する。
学校行事編集
- 新入生歓迎会(4月)
- 自治会が主催、パンフレット配布で各クラブ紹介。吹奏楽部の歓迎コンサート、軽音楽部の視聴覚ライブ、ダンス部のダンス披露、書道部の書道パフォーマンスなどイベントが実施。
- 遠足(5月)
- 1年生は学年全体での野外活動が中心。2、3年生はクラス委員や学年委員が中心となり独自に計画を立てる。
- 卒業生を囲む会(2年生次:5月)
- 教育実習期間に、実習生や卒業生を多数招き、希望分野別に大学の話など体験談を聞く。
- 体育祭(5月)
- クラス毎ではなく、全学年を4団に分け、団対抗で競技が行われる。学年ごとにレクリエーションもあり、応援団の工夫を凝らした応援合戦も見物。
- 1日総合大学(2年次、7月)
- 芸術鑑賞(7月)
- 古典芸能、演劇、クラシック音楽など芸術作品を鑑賞。
- 文化祭(9月)
- 1年間でクラスで取り組む最大の行事。夏休みから練習や準備。1年生は演劇や映画、2年生はお化け屋敷などのイベント、3年生は飲食系の模擬店。実行委員が組織され生徒自身で創造。2008年、来場者2700人超。
- 修学旅行(宿泊校外学習)(2年生、夏~秋)
- 近年、教員によって決められる。毎年、行き先は異なる。かつて行き先の決定から内容まで、生徒の手で調査、企画、プレゼンテーション、投票により進められていた。
- 合唱コンクール(1年次に2月)
- 松原市文化会館を会場に、クラス対抗。30年以上も続く。
- 耐寒登山(2年次)
- 例年大和葛城山に登る。
学校施設編集
松原市立松原中学校に隣接した校舎は、半世紀前1970年代の建設、旧耐震基準の既存不適格のままであり震度6強の揺れで倒壊の恐れがある。このため2008年(平成20年)度から改修を行った [9]。
校地から約700m東に、反正天皇丹比柴籬宮址の石碑があり(柴離神社[10])、校舎を増築の際に珍しい子持ち勾玉が出土している。
諸活動編集
部活動編集
- 陸上部 - 中学時代に無名の選手を、3年間で記録を伸ばすことで知られる強豪校[要出典]。
- サッカー部 - 1984年(昭和59年)、大阪府代表としてインターハイに出場。戦前にも全国中等学校蹴球選手権大会(全国高等学校サッカー選手権大会の前身)に出た。
- 硬式野球部 - 夏の甲子園大阪大会で戦前に4回、ベスト4となった。戦後は1989年(平成元年)にベスト8(元木大介らがいた上宮高等学校に敗北)。1985年、大阪府立成城工業高等学校(現大阪府立成城高等学校)に完敗、野茂英雄に完全試合を達成された。
- 水泳部 - 飛込男子で全国優勝があり、背泳などで全国大会に出場[要出典]。
- 書道部 - 2008年に近畿大会、2009年に近畿大会と全国大会に出場[要出典]。
不祥事編集
氏名・成績・進学先676人分流出編集
2013年(平成25年)8月13日、教職員が保管のUSBメモリーの紛失が発覚。メモリーの中に、3年生130人分の氏名と成績、卒業生546人分の氏名と進学先などの個人情報が保存されていた[11][12]。
高校関係者と組織編集
関連団体編集
高校関係者一覧編集
- 政治・行政
- 中山太郎 - 元外務大臣・元総理府総務長官。元衆議院・元参議院議員(中18回)
- 林英夫 - 元神戸市議会議員。元サンテレビニュースキャスター(高20期)
- 福家俊一 - 元衆議院議員・運輸政務次官(中7回)
- 吉村洋文 - 第20代大阪府知事、第20代大阪市長。元衆議院議員、元大阪市会議員(高46期)
- 経済
- 学術
- 家本修 - 大阪経済大学名誉教授
- 遠藤慶太 - 皇學館大学教授(高45期)
- 片山貞雄 - 滋賀大学名誉教授(中24回)
- 切池信夫 - 精神科。大阪市立大学名誉教授(高17期)
- 正野重方 - 元東京大学教授。日本人初アメリカ気象学会名誉会員(中4回)
- 野間光辰 - 京都大学名誉教授。井原西鶴研究、読売文学賞受賞(中4回)
- 松本和彦 - 大阪大学教授(高35期)
- 三宮真智子 - 鳴門教育大学教授(高24期)
- 村田治 - 関西学院大学学長(高26期)
- 宮地充子 - 大阪大学大学院工学研究科教授
- 森川昭彦[要出典] - 美容整形。元銀座美容外科院長(中21回)
- 屋敷二郎 - 一橋大学教授(高40期)
- 渡瀬譲 - 元大阪市立大学学長(中1回)
- 文化
- 赤澤竜也 - 作家(高35期)
- 岡田誠三 - 作家。「ニューギニア山岳戦」で直木賞(中8回)
- 小河勝 - 教育者。隂山英男と大阪府教育委員を務めた(高15期)
- 定金伸治 - 作家。「ジハード」で第1回 ジャンプ小説・ノンフィクション大賞(高42期)
- サトウサンペイ - 漫画家。朝日新聞「フジ三太郎」連載、文藝春秋漫画賞(中23回)
- 蝉川夏哉 - 作家。小説「異世界居酒屋「のぶ」」など(高54期)
- 田中健一 - クイズ作家。日本テレビ「第16回アメリカ横断ウルトラクイズ」優勝(高41期)
- 富山昌克 - 園芸研究家。NHK「趣味の園芸」(高35期)
- 中川健一 - 牧師。ハーベスト・タイム・ミニストリーズ代表(高18期)
- 中野武彦 - 作家、元電通社員、作家畔柳二美の伴侶(中20回)
- 成瀬政博 - イラストレーター。画家横尾忠則の弟(高17期)
- 松岡阜 - 彫刻家。阪神甲子園球場ベーブ・ルース記念碑レリーフ制作(中18回)
- マツセダイチ - 漫画家。ゲッサン連載(高56期)
- 松宮宏 - 小説家(高28期)
- 吉岡たすく - 児童文化研究家。放送文化基金賞(中9回)
- 芸能・メディア
- 石井浩二 - フジテレビプロデューサー(高39期)
- 榎原美樹 - 元「NHKニュース10」キャスター。元バンコク特派員(高34期)
- 桂文華 - 落語家。なにわ芸術祭新人賞(高35期)
- 柴田美保子 - 女優。NHK「チコちゃん日記」など(高19期)
- 露の新治 - 落語家。文化庁芸術祭優秀賞 (高21期)
- 寺内壮 - 日本テレビプロデューサー、元ニッポン放送「オールナイトニッポン」DJ(高31期)
- 豊島美雪 - ラジオパーソナリティ、毎日放送ラジオ「朝いちばん!豊島美雪です」(高31期)
- 東佳樹 - シエナウインドオーケストラ打楽器奏者(高46期)
- 広河隆一 - 元デイズ・ジャパン発行人(高14期)
- 比留木剛史 - NHKアナウンサー(高40期)
- 松尾昭典 - 映画監督。石原裕次郎「夜霧の慕情」など(中22回)
- MIYA - ベーシスト。元Rhymescientist(高51期)
- 本村康祐 - ラジオパーソナリティ。タカラトミー社員(高61期)
- 守田比呂也 - 俳優(中18回)
- 吉田留三郎 - 上方芸能評論家(中1回)
- 吉永孝雄 - 文楽研究家。元羽衣学園短期大学学長(中4回)
- 米倉紀之子 - 劇団昴の女優・声優。元岡山放送アナウンサー(高38期)
- スポーツ
- そのほか関係者
脚注編集
- ^ 府立第九、第十六の2中学校があった大阪府立池田高等学校の項目を参照
- ^ a b 官報大正9年(1920年)4月2日第2298号
- ^ a b “【報道発表】平成22年度スーパーサイエンスハイスクールについて (PDF)”. 文部科学省 (2010年4月7日). 2010年4月10日閲覧。
- ^ a b “創立100周年記念式典のご案内”. 大阪府立生野高等学校同窓会. 2020年12月17日閲覧。
- ^ “沿革│大阪府立生野高等学校”. 大阪府立生野高等学校. 2021年1月2日閲覧。
- ^ 官報大正10年(1920年)4月2日第2570号
- ^ 大阪市内に限れば2番目の創立
- ^ 大阪市内に限れば3番目の創立
- ^ “棟別耐震性能一覧表【府立学校】” (日本語). 大阪府庁. 2020年12月17日閲覧。
- ^ “7 反正天皇と丹比柴籬宮/松原市”. 松原市役所. 2019年4月13日閲覧。
- ^ “教育委員会事務局 教育振興室高等学校課・支援教育課 - 大阪府” (日本語). 大阪府庁. 2020年12月17日閲覧。
- ^ “府立高校で在校生や卒業生の個人情報含むUSBメモリを紛失 - 大阪” (日本語). Security NEXT 2020年12月17日閲覧。
関連項目編集
- 大阪府立勝山高等学校 - 前身は府立12番目の高等女学校
- 大阪府立高津高等学校 - 前身は府立第十一中学校(旧制中学校)
- 大阪府立松原高等学校 - 府立86番目、松原市で初めて設置の公立高校
- 旧制中等教育学校の一覧 (大阪府)
- 大阪府高等学校一覧