大阪府立豊中高等学校

日本の大阪府豊中市にある公立の高等学校

大阪府立豊中高等学校(おおさかふりつ とよなか こうとうがっこう、: Osaka Prefectural Toyonaka High School)は、大阪府豊中市にある公立高等学校。前身は大正末期1921年に新設された(修業5年間の旧制中学校男子校〉。

大阪府立豊中高等学校
大阪府立豊中高等学校
2010年平成22年〉12月撮影)
過去の名称 大阪府立第十三中学校
大阪府立豊中中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
設立年月日 1921年大正10年)4月
創立記念日 5月13日
共学・別学 男女共学
分校 能勢分校
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 文理学科
学期 3学期制
高校コード 27105F
所在地 560-0011
大阪府豊中市上野西二丁目5番12号

北緯34度47分42.9秒 東経135度28分11.2秒 / 北緯34.795250度 東経135.469778度 / 34.795250; 135.469778座標: 北緯34度47分42.9秒 東経135度28分11.2秒 / 北緯34.795250度 東経135.469778度 / 34.795250; 135.469778
外部リンク 大阪府立豊中高等学校
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概要編集

略称は「豊高」。大正期、中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が新設した旧制中学校5校のひとつ。1922年、大阪府立豊中中学校として開校した(文部省告示第447号1921年9月12日付で、設置と大正11年4月開校を認可[1])。

太平洋戦争後の学制改革に伴い1948年昭和23年)に新制の大阪府立豊中高等学校に改編。近隣の大阪府立桜塚高等学校(旧制の大阪府立豊中高等女学校)などと生徒を交流(入れ替え)して男女共学となった。

1960年代大学紛争(学生運動)に影響され「豊高紛争」が発生した。被差別部落差別をきっかけに生徒が校長軟禁警察隊が突入し生徒が逮捕された[要検証][2][出典無効]

2020年令和2年)生徒のほぼ全てが大学進学を志望しており[要出典]2011年平成23年)度から大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校になり、従来の普通科に加えて文理学科を併置した(普通科は2018年度の入学者選抜〈入学試験〉より廃止)。

能勢分校編集

2016年11月18日の大阪府教育委員会会議で、府北部の山間部の大阪府立能勢高等学校が豊中高校の能勢分校に改編されることが決定(能勢キャンパス)。2018年度、大阪府で19年ぶりの分校として開校した[3]

能勢高校は2004年総合学科に改編されたが入試の生徒募集で10年間連続して定員割れとなっていた。このため、能勢町立へ改編(大阪府から能勢町への移管)を検討したが、町の財政負担が増えるのを避ける府の方針で、かつて同じ豊能郡だった豊中市にある豊中高校の分校に決まった[4]

なお、同じ豊中高校ながら分校(能勢)から本校(豊中)まで約30kmの距離で離れており、電車バスを乗り継いでも約1時間40分は掛かり、生徒の交流も学校行事や夏休みの機会に限られる。このため、インターネット回線で本分校を結び、リアルタイムで映像と音声を流す「ネット教室」システムが導入されている[5]

沿革編集

大正期の旧制中学校増設の際、府立第十三中学校は大阪市内に建設される予定だったが、候補地が二転三転した。1921年大正10年)ひとまず入学試験を当時大阪市北区に所在していた府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)で行い、授業も当時東成郡生野村(現・大阪市生野区)に所在していた府立生野中学校(現・大阪府立生野高等学校)の校舎を間借りして行った。

その後、阪急宝塚本線の沿線開発によって発展期を迎えていた豊能郡豊中村から誘致があり、校地がようやく決定した。翌1922年年に校舎が完成、移転した(現在地)。

太平洋戦争後の学制改革の際、近隣の大阪府立桜塚高等学校(旧制の大阪府立豊中高等女学校)と生徒を交流(入れ替え)して男女共学となったが、アメリカなど占領軍GHQなどの新制の中学校を優先する方針で、校舎を転用するため廃校という話も持ち上がっていた。

平成末期2008年豊中市在住の弁護士橋下徹大阪府知事に就任。橋下知事の学力向上を目指す意向により、橋下知事の母校の大阪府立北野高等学校など9学区制時代のトップ校9校が、2011年度から大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校となった。

この時、9学区制時代に北野高校と同じ第1学区だった豊中高校も、9校と同等の進学実績があるとして事業の対象校となり[6]、文理学科の高校に改編された。

年表編集

 
改築前の正門

基礎データ編集

交通アクセス編集

鉄道
バス

象徴編集

校歌

校歌1935年昭和10年)1月17日に発表。他の多くの校歌にも見られる北原白秋による作詞、山田耕筰による作曲。1955年9月16日、歌詞を改定し、新制の高校として制定した。

制服

制服制度がある。元々1950年昭和25年)公募投票で女子の「標準服」(紺色ジャンパースカート、白色ブラウス、上着ボックスコート)が導入。その後、周辺校と同様に一部生徒の間で1970年代学生運動の影響もあり、制服“自由化”運動があるなど、着用をめぐり長年論争が続いていたがその後、1998年平成8年)に「標準服の着用をなくす」決定。2010年度までは私服姿で登校も可能だった[7]。なお、ピアス、髪の脱色などは禁止されていない。

授業編集

2・3年生時に英語で、3年時に数学少人数授業を実施している。一時期、1時限45分間授業を導入していたが、2011年度より1時限50分間へ戻されている。

かつて体育の授業で、「豊高体操」と呼ばれる独自の体操を行っていた(現在、一般的なラジオ体操を行っている)。

諸活動編集

部活動・同好会編集

終戦直後1946年に、進駐軍の米国人中尉が来校してアメリカンフットボールを指導。大阪府立池田高等学校とともに(日本における)高校アメフト発祥の地とされている。

運動部
文化部
同好会

学校施設編集

校舎は、1969年昭和44年)から改築された(1973年まで)。半世紀以上前の建設、旧耐震基準既存不適格のままであり震度6強の揺れで倒壊の恐れがある。このため2007年平成19年)度から改修を行った[8]

現在、同窓会「豊陵会」が使用している教室は、正門すぐそばの北側で、元々テニスコートだった場所に増築されたため、教室の上部がテニスコートになっている。

なお、太平洋戦争末期の1945年6月24日、米軍の機銃掃射で校舎に被害を受けている。

同窓会および学校関係者編集

関連団体編集

  • 大阪府立豊中高等学校同窓会豊陵会 - 同窓会。読み方は「ほうりょうかい」。

著名な卒業生編集

政治
法曹
経済
学術
芸能
スポーツ

脚注編集

[脚注の使い方]

関連項目編集

外部リンク編集