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歴史編集

この場所には江戸時代後期の天保年間以降[2]彦根藩井伊家高松藩松平家の下屋敷があった[2]。この時期に築かれた大名庭園が大隈庭園のもととなっている[2]。池泉回遊式庭園は近江八景をもとにしているという[2]

明治維新後、この庭園の所有者は転々としたが[2]、1874年(明治7年)に大隈重信が入手して別邸とした[2]。1882年(明治15年)、大隈は隣接地を東京専門学校(現在の早稲田大学)開設のための用地として購入[2]。1884年(明治17年)に大隈はこの邸宅を本邸とし[2]、この際に庭園を和洋折衷式に改修している[1][2](作庭者は佐々木可村[1])。園芸にも熱心であった大隈は、庭園に温室や菜園を設けて洋ランやメロンなどを育てた[2]

1922年(大正11年)に大隈が没すると、庭園は早稲田大学に寄付され[1][2]、大隈会館の庭園として[1]一般公開された[2]。1945年5月の空襲で深刻な被害を受けたが[1][2]、戦後ほぼ復旧された[1][2]

庭園内編集

庭園には広大な芝生、小川、季節の植物、散歩道があり、提灯や小さな石塔、彫像が置かれている。

中華民国獅子像
1983年(昭和58年)、早稲田大学創立100周年を記念して、台湾校友会から寄贈されたもの。
エミレの鐘と韓鐘閣
エミレの鐘は、聖徳大王神鐘朝鮮語版(通称エミレの鐘)の約1/2の縮小レプリカで、1983年(昭和58年)に早稲田大学創立100周年を記念して、韓国校友会から寄贈された[2]。当初鐘は大隈記念講堂内に展示されていたが[2]、早稲田大学創立125周年を記念して韓国校友会から韓国式の鐘楼が庭園内に寄贈され、2004年(平成16年)に鐘が鐘楼にかけられた[2]
童子石・文人石
朝鮮王朝時代の石像。早稲田大学創立125周年を記念して2007年(平成19年)に高麗大学校校友会会長から寄贈された[2]
孔子
2008年(平成20年)、中華人民共和国から寄贈された[2]。設計・製作は山東省政府[2]
完之荘
1952年(昭和27年)、校友の実業家小倉房蔵(雅号が完之)から寄贈された建築物[2]。飛騨地方にあった古民家[2]
旧大隈邸門衛所
1902年(明治35年)に建設された大隈邸の門衛所[2]。戦災も免れ、早稲田大学の敷地内で最も古い建築物である[2]
大隈綾子
大隈重信夫人[2]朝倉文夫[2]。1927年(昭和2年)に早稲田大学創立45周年記念として、大隈信常により寄贈・建立[2]
田中穂積
早稲田大学第4代総長[2]。朝倉文夫作[2]。1957年(昭和32年)に早稲田大学創立75周年記念として、校友会により建立[2]

ギャラリー編集

 
韓鐘閣とエミレの鐘
 
孔子像
 
灯籠と石の橋
 
蓮の

アクセス・利用案内編集

東京メトロ東西線早稲田駅から徒歩約4分[1]

一般公開は、月曜日から土曜日の授業実施日(天候不順日は閉園)[1]の、9時から17時まで(10~3月は16時30分まで)[1]

周辺編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j 大隈庭園”. 一般社団法人新宿観光振興協会. 2019年4月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae なぜここにある!? 大隈庭園の銅像・建造物”. 早稲田ウィークリー. 早稲田大学 (2018年10月15日). 2019年4月22日閲覧。

関連文献編集

  • 服部嘉香 『随筆 早稲田の半世紀』 中和出版、1957年

外部リンク編集