大鳥神社 (目黒区)

旧村社

大鳥神社(おおとりじんしゃ)は、東京都目黒区下目黒にある神社。かつての目黒村(それ以前は下目黒村)の総鎮守[1]。11月に行われる酉の市でも知られる。目黒区最古の神社。

大鳥神社


鳥居と拝殿

地図
所在地 東京都目黒区下目黒3-1-2
位置 北緯35度37分55.7秒 東経139度42分29.1秒 / 北緯35.632139度 東経139.708083度 / 35.632139; 139.708083 (大鳥神社 (目黒区))座標: 北緯35度37分55.7秒 東経139度42分29.1秒 / 北緯35.632139度 東経139.708083度 / 35.632139; 139.708083 (大鳥神社 (目黒区))
主祭神 日本武尊国常立尊弟橘媛命
社格 旧村社
創建 大同元年(806年)[1]
別名 大鳥大明神社
例祭 9月9日前後の土・日
地図
大鳥神社の位置(東京都区部内)
大鳥神社
大鳥神社
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部下の目の病を治癒を祈願し、無事治癒した由緒があり、盲神(めくらがみ)と呼ばれ、この「めくら」が段々と訛っていき「目黒(めぐろ)」という地名の由来の神社となっている。

歴史 編集

言い伝えによると景行天皇(西暦71年~130年)の時代に当地に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が東夷平定の折に当社に立ち寄って、平定達成と部下の目の病の治癒を祈願した。これらの願意は無事に叶い、日本武尊はその神恩に感謝し剣を奉納した。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806年)に社殿が完成したという。この年を大鳥神社では創建の年としており、これは目黒区最古である[2][3][4]

江戸図における最古のものとされている室町時代長禄の江戸図には「鳥明神」として当神社が描かれており、当時の江戸図には9つの神社しか描かれていないため、大鳥神社は江戸九社のひとつとして知られている。また『江戸名所図会』では「大鳥大明神社」として描かれている[1]

当神社の酉の市は江戸時代天保6年(1835年)に当地の農家が浅草から取り寄せて売ったことから始まったといわれている。現在でも11月の酉の日には境内には熊手を扱う店が軒を連ね賑わいを見せる[3][5]

現在の社殿は昭和37年(1962年)に完成したもの。平成18年(2006年)には鎮座1200年祭が行われた。隣接する目黒通り山手通りの交差点は大鳥神社の名前が冠せられており、交通の要所となっている[2][6]

境内社 編集

  • 目黒稲荷神社

交通 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 江戸名所図会 1927.
  2. ^ a b 渡辺典博『続 巨樹・巨木 日本全国846本』山と渓谷社、1990年、161|ISBN=4-635-06256-2頁。 
  3. ^ a b 歴史を訪ねて 大鳥神社”. 目黒区役所 (2013年10月1日). 2016年6月20日閲覧。
  4. ^ 山本和夫・富岡丘蔵・樋口信助『東京史跡ガイド14 目黒区史跡散歩』学生社、1977年、92頁。 
  5. ^ 目黒区郷土史研究会『東京ふる里文庫4 目黒区の歴史』名著出版、1978年、92頁。 
  6. ^ 東京都教育庁生涯学習部文化課『東京都の文化財 三』東京都教育委員会、1992年、79頁。 

参考文献 編集

  • 東京都教育委員会 『東京都の文化財 3無形文化財・民俗文化財・名勝・天然記念物』 1992年。
  • 山本和夫・富岡丘蔵・樋口信助 『東京史跡ガイド14 目黒区史跡散歩』 学生社。1977年。
  • 目黒区郷土史研究会・文、東京にふる里をつくる会・編 『東京ふる里文庫4 目黒区の歴史』 名著出版。1978年。
  • 渡辺典博 『続 巨樹・巨木 日本全国846本』 山と渓谷社、ヤマケイ情報箱、2005年。ISBN 4-635-06256-2
  • 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 大鳥大明神社」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、109-111,114頁。NDLJP:1174144/59 

関連項目 編集

外部リンク 編集