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天山丸
Tenzan Maru 1942 Scan10017.JPG
概歴
建造 1942年9月10日[1]
沈没 1945年7月30日[2]
要目
船種 客船
総トン数 7,907t[3]
全長 143.4m[3]
全幅 18.2m[3]
機関 蒸気タービン2基[3]
出力 16,900hp[3]
航続距離
速力 23.3kt[3]
乗客定員 2,048名(一等60名、二等342名、三等1,646名)[3]
貨物積載量
姉妹船 崑崙丸

天山丸(てんざんまる、Tenzan maru)は、鉄道省関釜航路鉄道連絡船。天山丸型の第1船である。

命名の由来編集

中国西部の天山山脈の名をとり命名。

航跡編集

就航編集

関釜連絡船には金剛丸型(金剛丸興安丸)が1936年 - 1937年に就航していたが、日本軍満蒙開拓団などを乗せて大混雑に見舞われていた。そこで、新たに金剛丸型とほぼ同一の天山丸型4隻の建造が決定される。日中戦争と、それに続く太平洋戦争の影響で軍艦建造が優先される中、第1船の天山丸は三菱長崎造船所第880番船として1940年(昭和15年)11月19日に起工し1941年(昭和16年)8月8日に進水、1942年(昭和17年)9月10日に竣工[1]。第2船の崑崙丸は天山丸よりおよそ1年半ほど遅れて起工し1943年(昭和18年)3月に就航したが[1]、第3・4船の建造は中止された。金剛丸型とほぼ同じ姿であるが、船体は一回り大きかったという。しかし、戦時色が濃くなってきたこともあり、船体は連絡船標準色には塗られず、灰色一色の戦時警戒色であった。

沈没編集

1945年(昭和20年)7月28日午後2時頃、退避のため大社港から隠岐諸島へ航行中、西ノ島三度崎灯台沖でアメリカ軍戦闘機ロケット弾の攻撃を受け炎上[2]。沈没は免れたが機関室が破壊され、自力航行できなくなる。修理のため曳航されていたが、7月30日午前5時30分頃、日御崎沖約26キロ地点付近で浸水し、沈没した[2]。アメリカ側の記録では、沈没緯度経度は北緯35度40分 東経132度39分 / 北緯35.667度 東経132.650度 / 35.667; 132.650としている[2]

その他編集

脚注編集

  1. ^ a b c #創業百年の長崎造船所 pp.562-563
  2. ^ a b c d Chapter VII: 1945” (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. HyperWar. 2014年12月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g #日本の客船1 p.220

参考文献編集

  • 三菱造船(編)『創業百年の長崎造船所』三菱造船、1957年。
  • 野間恒、山田廸生『世界の艦船別冊 日本の客船1 1868~1945』海人社、1991年。ISBN 4-905551-38-2

関連項目編集