天津甕星(あまつみかぼし)は、日本神話に登場するである[1][2]。別名は天香香背男(あめのかがせお)[3][4]香香背男(かがせお)。

概要 編集

古事記』には登場しない[1]。『日本書紀』の葦原中国平定にのみ登場する[5][6]

『日本書紀』巻第二 神代下 第九段本文 編集

【原文】

一云「二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。 故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。」

【書き下し文】

あるわく。「二神ふたはしらのかみつい邪神あしきかみ及び草木石くさきのいわの類をつみないて、皆すでおわる。うべなわぬ者は、ただ星神ほしののみ。 かれまた倭文神しとりがみ建葉槌命たけはづちのみことつかわせば、すなわうべないぬ。故、二神あまに登る。倭文神、此をと云う。」

【現代語訳】

一説によれば「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。 そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」

本文(上述)では、経津主神(ふつぬしのかみ)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)は不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかった[7]。そこで倭文神(しとりがみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したとしている[8][9]

『日本書紀』巻第二 神代下 第九段一書(二) 編集

【原文】

一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。 時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。」

【書き下し文】

一書あるしょいわく、天神あまつかみ経津主神ふつぬしのかみ武甕槌神たけみかづちのかみつかわして葦原中国あしはらのなかつくにたいらげ定めせしむ。 時に二神ふたはしらのかみ曰く、「天に悪しき神有り。名を天津甕星あまつみかぼしまたの名を天香香背男あめのかがせおと曰う。う、先ずの神を誅し、しかる後に下りて葦原中国をはらわん」。

【現代語訳】

ある書によれば、天津神はフツヌシとタケミカヅチを派遣し、葦原中国を平定させようとした。 その時、二神は「天に悪い神がいます。名をアマツミカボシ、またの名をアメノカガセオといいます。どうか、まずこの神を誅伐し、その後に降って葦原中国を治めさせていただきたい。」と言った。

第二の一書では天津神となっている[10]。経津主神と武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている[11][12][13]

鹿島神宮や静神社の社伝によれば、武甕槌命は香島(723年に鹿島と改名)の見目浦(みるめのうら)に降り(現在の鹿島神宮の位置)[14][15]、磐座に坐した(鹿島神郡の要石とも)[16]。天香香背男は常陸の大甕(現在の日立市大甕、鹿島神宮より北方70km)を根拠地にしており、派遣された建葉槌命は静の地(大甕から西方約20km)に陣を構えて対峙した[13]。建葉槌命の陣は、茨城県那珂郡瓜連(うりづら)町の静神社[17]と伝えられる[13][15]

「カガ(香々)」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものであると考えられる[18]。神威の大きな星を示すという[19]平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。

星や月を神格化した神は世界各地に見られ、特に星神は主祭神とされていることもある。 しかし、日本神話においては星神は服従させるべき神、すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。これについては、星神を信仰していた部族があり、それが大和王権になかなか服従しなかったことを表しているとする説がある。

全国の星神社星宮神社の多くは天津甕星を祭神としている。

茨城県日立市大甕神社は、建葉槌命を主祀神とする[20](一説には素戔嗚尊とも)[21]。 同神社伝では、甕星香々背男(天津甕星)は常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配していたとしている。大甕神社の神域を成している宿魂石は、甕星香々背男が化したものと伝えられている。

葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることもあり、また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。

参考文献 編集

  • 坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店〈岩波文庫〉、1994年9月。ISBN 4-00-300041-2 
  • 鹿島神宮元宮司東実「三 日本神話と武甕槌神」『鹿島神宮 <改訂新版>』学生社〈日本の神社〉、2000年8月。ISBN 4-311-40717-3 
  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館

脚注 編集

  1. ^ a b 神道大辞典一巻コマ32(原本44頁)
  2. ^ #岩波1994、一巻455頁(本文)
  3. ^ #植松1920仮名上コマ124(原本101頁)
  4. ^ #岩波1994、一巻459頁(本文)
  5. ^ #六国史、日本書紀コマ34-35(原本51-52頁)
  6. ^ #勤皇文庫2巻コマ23(原本13頁)
  7. ^ 鹿島神宮(学生社2000)56-57頁『葦原中国』
  8. ^ #岩波1994、一巻120頁(本文)
  9. ^ #植松1920仮名上コマ117-118(原本87-88頁)
  10. ^ #六国史、日本書紀コマ38(原本58-59頁)
  11. ^ 宇治谷, 孟 (Tsutomu Ujitani)『日本書紀』 上、講談社、1988年、56-8, 64-6頁。ISBN 9780802150585 
  12. ^ #岩波1994、一巻136頁(本文)
  13. ^ a b c 鹿島神宮(学生社2000)60-61頁『常陸は天といわれていた』
  14. ^ 鹿島神宮(学生社2000)63-64頁『鹿島に降った武甕槌神』
  15. ^ a b 鹿島神宮(学生社2000)65-66頁『神軍の陣形』
  16. ^ 鹿島神宮(学生社2000)68-69頁『はじめて祀られた場所』
  17. ^ 神道大辞典二巻(平凡1939)コマ92(原本152頁)『シズジンシャ』
  18. ^ #岩波1994、一巻121頁(註六)
  19. ^ #岩波1994、一巻137頁(註五)
  20. ^ 谷川, 健一『日本の神々』(snippet)岩波書店〈岩波新書 新赤版 第 618 巻〉、1999年https://books.google.co.jp/books?id=PIUEAQAAIAAJ 
  21. ^ 桜井純一 編「国立国会図書館デジタルコレクション 大甕停車場」『日本鉄道線路案内記』皇国敬神会、1902年9月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762800/468 国立国会図書館デジタルコレクション 

関連項目 編集