天津 (お笑いコンビ)

日本のお笑いコンビ(1999-)
天津 (お笑い)から転送)

天津(てんしん)は、吉本興業東京本社(東京吉本)に所属する日本のお笑いコンビNSC大阪校21期出身。

天津
メンバー 木村卓寛
向清太朗
結成年 1999年
事務所 吉本興業
活動時期 1998年 -
出身 NSC大阪校21期
出会い NSC
現在の活動状況 テレビ、ライブなど
芸種 漫才
ネタ作成者 両者
過去の代表番組 PON!
爆笑レッドカーペット
麒麟の部屋など
同期 レギュラー
村田秀亮(とろサーモン
千鳥
ロバート
森三中など
公式サイト 公式プロフィール
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メンバー 編集

木村 卓寛 (きむら たくひろ、1976年5月22日 - )(47歳)
ツッコミ(ネタによってはボケ)担当、立ち位置は向かって左。
兵庫県姫路市出身。
身長169cm、体重58kg。血液型B型。
向 清太朗 (むかい せいたろう、1980年2月27日 - )(44歳)
ボケ(ネタによってはツッコミ)担当、立ち位置は向かって右。
広島県福山市出身。
身長164cm、体重74kg。血液型B型。

特徴・概要 編集

1999年2月結成[1]。コンビ名の由来は、木村が「天津甘栗」の文字が印刷されたTシャツを着用していたことから。

結成後は主にうめだ花月で活動していた。一時期「オタク漫才」を前面に押し出し、向は「萌え」の文字入りジャージを着用していた(次項に詳述)。M-1グランプリでは、2002年から準決勝まで進出している。

2008年、第38回『NHK上方漫才コンテスト』決勝進出。同年からは、オタクキャラに頼らない普通の漫才をすることが多くなった。また、木村の詩吟ネタ、向の妄想恋愛ネタなどいずれもピンでの活動が増えている。

情報バラエティ番組PON!』(日本テレビ)2010年4月1日放送分から2011年3月24日放送分まで突撃芸人ならびにコメンテーターとして毎週木曜日にレギュラー出演していた。

エロ詩吟が流行った頃は木村のピンでの仕事が多かったが、2012年頃には向のピンでの仕事が増加し、『ごきげん!ブランニュ』(朝日放送テレビ)にて木村がアルバイトを始めたと発言した。

2021年4月、木村が『Go!Go!いわて』(岩手朝日テレビ)のMCへ就任したことに伴い、木村のみ活動拠点を岩手県中心に移した。事前に向は木村にファミリーレストランでこれを知らされており、しばらくは遠距離でのコンビ活動となる[2]

このように、木村と向はともにソロ活動を本格化し、活動拠点も互いに異なっているもののコンビ仲は良い。月1回は必ずイベントを開催し単独公演を行うなど、コンビとしての活動も継続して行っている[3]

出囃子 編集

BRAHMAN「BEYOND THE MOUNTAIN」

ネタ 編集

オタク漫才とその歴史 編集

2003年・次世代のホープ
2003年頃は麒麟笑い飯の次世代のホープは天津・千鳥ダイアンという位置づけで期待されていた。この時期に演じていたのは、普通のしゃべくり漫才コント漫才であった。コント漫才では、例えば向が「料理のことで木村を見下すキザな男」など変わったキャラを演じていたが、決してオタク関連のものではなかった。またこの時期にフリートークでは「日本橋を歩いていたらオタクに間違われた」と語っていた。
2004年・オタク漫才の萌芽
ところが、2004年後半頃から突然オタクを公言するようになり、「萌えジャージ」を自分でも着用し始めるとともに「脳内妹」「脳内猫耳メイド・ゆみみ」などネタでもオタクっぽいボケをするようになった。
2005年・オタク漫才全盛
2005年3月頃はまだネタ中では「自分はオタク」とは明言せず、明らかにオタクっぽいボケをするにもかかわらず木村が「お前オタクか?」と聞いても否定するというつくりになっていた。
そしてその後、2005年夏にかけてネタの部分でもさらに急速にオタク色が濃くなっていった。この期間のネタはもっぱら「もしもオタクが○○だったら」という設定のものばかりになり、オタク先生、オタクコンビニ店員、オタク銀行強盗、オタク美容師などのネタができあがった。とりわけオタク美容師のネタは十八番だったらしく、大舞台では好んで演じていた(天津にはオタク漫才を始める前にも美容師の別のネタがある)。極めつきとしてオタク業界そのものの規模を数字で語るしゃべくり漫才まであった。
さらに2005年8月頃、ネタの冒頭で向が「オタクだにゃん!」という自虐気味のつかみギャグをはじめた。これによってオタク漫才のイメージが完全に定着した。「オタク○○」というネタの路線は2005年いっぱいまで続けられ、向が単独でおたくイベントと称した「オタッキー&翼」というイベントを行うほどであった。
2006年・オタク漫才の終焉
2006年に入って、天津のネタはまたも方向転換を示し始め、野菜オタク・お菓子オタク・携帯オタクといった「○○に夢中な人」という意味での「○○オタク」という設定のネタをやり始めた。依然冒頭で「オタクだにゃん」をやりオタク漫才とは銘打っているものの、これまでとは大きく傾向の異なったネタとなり、ステレオタイプ的なオタクを題材にしたネタから離れる傾向が見られる。その一方では、向が単独で前述の濃いオタク要素が満載の「オタッキー&翼」を再度開催するなど幅広い芸風を見せ始めている。
2007年・オタク漫才の発展
2007年に入ると向のオタクボケに対し木村がそれ以上に「濃度」の高いオタク発言で返し、ボケを封じると言う新たな展開を見せ始めた。

ピン活動 編集

2008年から木村の「エロ詩吟」ネタが脚光を浴び、以降はピンでの活動も増えるようになる[1]。また、向も独自の妄想恋愛ネタでのテレビ出演が増え、全国ネットの番組に出演するようになると共に2009年7月には活動の場を東京に移すことになった。

もちろん並行してコンビ活動も行っており、『エンタの神様』(日本テレビ)では、木村の詩吟に合わせて向が演技する「モテない男の悲哀詩吟」といった発展芸も披露している。

出演 編集

過去 編集

テレビ 編集

ラジオ 編集

CM 編集

Web 編集

イベント 編集

脚注 編集

外部リンク 編集