天然足会(てんねんそくかい)は、日本統治時代の台湾において纏足風習の廃絶を目指し1900年(明治33年)に発足した団体である。「天然足」とは「身体改造をしない、ありのままの足」という意味である。

背景 編集

纏足は唐代の末期頃から出現した漢民族の風習で、女児の足を布で巻き、足の発育を妨げ、足裏の骨格を湾曲変形させ、足裏を非常に小さいまま保つようにする。女性が小さな足をもつことは、高貴と美の象徴とされた。台湾総督府は、一種の身体改造というべきこの習慣を悪習とみなした。とはいえ総督府も本島人の慣習にはかたくなな干渉はせず、纏足の禁止はしなかった。

発足と活動 編集

台北の漢方医である黄玉階(1850-1918)は纏足の追放を訴え、1900年(明治33年)3月15日に「(台北)天然足会」を発起し、県当局に登録申請を行い、「解纏足(纏足をほどく)」運動の幕を開けた。同時に学校教育や新聞、雑誌などの宣伝指導を通じて運動を広めた。しかし、纏足は、千年近く続く漢民族の伝統となっており、会員の家族ですら纏足を止めないなど、その追放は容易ではなく、一時活動の停滞を余儀なくされた。1903年(明治36年)に入ると、纏足追放の気運が再び高まり、台北のみならず台湾各地に支部が結成された。大正に入ると、台湾総督府も積極的に纏足追放に乗り出し、1915年(大正4年)保甲の規約にも纏足禁止する条文を明記し、違反者は保甲連座法で処罰した。その後、纏足の風習は廃絶されるに至った。

参考文献 編集

  • 台湾総督府警務局編『台湾総督府警察沿革誌』台湾総督府警務局、1942年
  • 「台湾史小事典」中国書店(福岡)(2007年) 監修/呉密察・日本語版編訳/横澤泰夫 157ページ

関連項目 編集