天白村 (愛知県)
日本の愛知県愛知郡にあった村
天白村(てんぱくむら)は、かつて愛知県愛知郡にあった村。現在の名古屋市東部に該当する。
てんぱくむら 天白村 | |
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天白村役場跡(2015年6月) | |
廃止日 | 1955年4月5日 |
廃止理由 |
編入合併 猪高村、天白村 → 名古屋市 |
現在の自治体 | 名古屋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 愛知郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 23.49 km2. |
総人口 |
12,699人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 名古屋市、愛知郡鳴海町、日進村、猪高村 |
天白村役場 | |
所在地 | 愛知県愛知郡天白村大字島田字石薬師190[1] |
座標 | 北緯35度07分16秒 東経136度58分58秒 / 北緯35.12122度 東経136.98269度座標: 北緯35度07分16秒 東経136度58分58秒 / 北緯35.12122度 東経136.98269度 |
ウィキプロジェクト |
名古屋市昭和区に編入後、旧・天白村の殆どの領域で名古屋市天白区が設置されている。村名は天白川に由来する。
天白川などの川沿いは比較的平地であるが、多くは丘陵地帯と田畑であり、米、麦、ニンジン(天白にんじん)の生産地であった。また、平針街道[2]の宿場町「平針宿」でもあった。
沿革
編集- 江戸時代初期、この地域は尾張藩領、熱田神宮領、伝馬除地(免租地)であった。
- 1878年(明治11年) - 中根村、八事村、名古屋新田(一部)が合併し、弥富村となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 野並村と島田村が合併し、島野村となる。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 植田村、島野村、平針村、弥富村の一部[3]が合併し、天白村になる。
- 1928年(昭和3年)3月15日 - 名古屋市と境界変更が行われ、天白村の一部(旧・弥富村)が名古屋市南区弥富町[4]と中区広路町[5]に編入される。
- 1955年(昭和30年)4月5日 - 名古屋市に編入され、昭和区の一部となる。
- 1975年(昭和50年)2月1日 - 昭和区から分離。旧・天白村の地区が天白区として新設される[6]。
学校
編集- 天白村立天白小学校(現・名古屋市立天白小学校)
- 天白村立天白小学校野並分校(現・名古屋市立野並小学校)
- 天白村立八事小学校(現・名古屋市立八事東小学校)
- 天白村立平針小学校(現・名古屋市立平針小学校)
- 天白村立植田小学校(現・名古屋市立植田小学校)
- 天白村立天白中学校(現・名古屋市立天白中学校)
神社・仏閣
編集- 針名神社
- 八事神社
- 塩竈神社
- 御嶽神社
- 野並八劔社
- 島田神社
- 菅田神社
- 植田八幡社
- 徳林寺
- 観音寺
- 島田地蔵寺[7]
- 政林禅寺
- 大学院
- 仏地院
- 常楽寺
その他
編集- 旧・天白村役場の建物は、1922年に愛知郡役所建物を移築したものであった。名古屋市編入後も使用され続け、1975年に天白区新設時には天白区役所となっている。1976年に現在の天白区役所が完成すると解体され、現在は天白信用農業協同組合事務所の敷地の一部となっている。
- 旧・天白村は名古屋市編入後に昭和区天白町となっている。1961年頃から土地区画整理組合が設立され、急速に開発が進んだ。1955年の人口が12,699人であったが、1975年に天白区が新設された際の人口は87,931人であり、約20年で人口は約7倍に増加したことになる。
- 1937年(昭和12年)に東山植物園が開園した当時、所在地は名古屋市ではなく旧・天白村であった。
脚注
編集- ^ a b 愛知県郡市町村勢要覧(愛知県総務部統計課 1951年10月刊行)
- ^ 1612年(慶長17年)に徳川家康の命によって造られた東海道の脇街道の一つ。岡崎街道、姫街道ともいう。岡崎城と名古屋城を結ぶ。現・愛知県道56号名古屋岡崎線にほぼ該当。
- ^ 旧・八事村、名古屋新田の地区。残部は呼続町に編入。
- ^ 現・瑞穂区弥富町。
- ^ 現・昭和区。
- ^ 天白町大字植田の一部は名東区と千種区に編入された。名東区に編入されたのは、現在の梅森坂西のほぼ全域と梅森坂の一部(国立病院機構東名古屋病院の周辺)、千種区に編入されたのは、東山動植物園のこども動物園と植物園のあたりである。
- ^ 1906年から1920年まで、天白村役場が仮設置されている。